第十二話:閑話休題
作者個人の思想ですので、批判などは受け付けません。
軽い気持ちで読んで下されば幸いでございます。
突然だが、アナタは、神様を信じますか?
と、冒頭とおなじような文句を始めに提示しておいて、ここで少しだけ「古本の神様」の話をしよう。
別に、この話が物語に影響するものなど、一つもない。
この話は『無駄話』であり、最後には『閑話休題』とつける話だ。読んでみてもいいなと思う方は、付き合っていただき、興味の無い方は読み飛ばして頂いてもなんら問題は無い。
さて、「神様」という言葉は世界によって定義が異なる。
それは、「人間」という生き物が頭の中から作り出した偶像だからだろう。ここら辺はそこまで頭の良くない作者の言えることはあまり無いのだ。
しかし、世界で共通していることは、「神様は不思議な存在」と認識していることだろう。
地域・文化によって神様は「自然のように曖昧」なものや「人間のような存在」など色々な存在があるが、神様と呼ばれる存在は、「魔法」や「神通力」、「魔法でも神通力でもない何か不思議な力」など不思議な現象を起こす。
人間はその力を畏れ、その力を羨んで、その力に心酔して神を崇める。
さて、この物語の題材である「古本の神様」も神である。
正確に言えば、日本の「神教」の考えである「八百万の神」のひと柱である。
古本の神様の不思議な力は…古くなった本の行く末と、その本の新たな主人との出会いを司っておられる。
古本の神様ショボイな。と、思った方もいらっしゃるだろう。しかし、あながち間違ってない。
古事記に登場する「天照大神」は太陽を司り、エジプト神話の「オシリス」は冥府の神。ギリシャ神話「ゼウス」は天空の神。ゾロアスター教の「アフラ・マズター」は正義と法の神である。
きっと、小説やら漫画ではこちらのようなド派手な神々が好んで登場するだろう。
では、具体的に、「古本の神様」はどんなことをしてくれるのか。
アナタはこんなことを経験したことはないだろうか。
ずっと昔、アナタが幼児といわれる年齢の頃。
アナタは夜に眠れなくて、電気を消されて暗闇になった部屋から離れていく親にこうせがむ。「何かお話を聞かせて?」と。
親は優しく微笑み、近くに置いてあった絵本を持ってきて、そっと枕元でページをめくる。
例えば、桃太郎・金太郎・かぐや姫などが詰まった日本昔話や、ヘンゼルとグレーテル・赤ずきん・シンデレラの詰まった「グリム童話」。もしくは、当時の戦隊物のヒーローの本や、親が作ったオリジナルの物語。
幼いアナタは、その物語に引き込まれて、主人公の行動に心躍らせ、ヒロインの結末に歓喜し、また悪者の行いを自分に言い聞かせる。
そして、ゆっくりと心地よい眠りの中に落ちて行き、親はその頬にキスをして部屋を出る。
それから数十年が経った、近年のアナタ。
偶然、押入れを整理する機会があって、ゴソゴソと押入れを探っていると、ふと、古ぼけた絵本が押入れの奥底から出てくるのだ。
色あせた表紙をめくれば、そこには幼い頃に読んでもらった物語の数々。捨てたと思っていたのに、その本はあの頃と同じ物語をしっかりと載せて、アナタを待っていたのだ。
キュッと胸の奥に何か懐かしい感覚がこみ上げて、暖かい気持ちでいっぱいになる。
そして、ここから先は想像の世界。
アナタは、偶然見つけたその本を捨てるのが勿体無くて、売りに出した。
その本が別の誰かの手に渡るか、そのまま処分されるかは分からないが、もしかしたら、子供の生まれた親が手に取るかもしれない。
その親が、眠れないとぐずるわが子に優しくその本を読むとしたら?
もしくは、アナタが偶然足を運んだ古本市で、とても懐かしい絵本を見つけたとしたら?
それはきっと、古本の神様のお導きなのかも。
八百万の神、という思想は日本独特だ。
それは、日常の身近な場所に、神様が存在する。という思想でもある。
◇◇◇◇
現在は、「科学」という分野が発達し、不思議なことは少なくなった。
雨が降ってほしい時は、神に祈るのではなく、テレビの天気予報を確認し。病気にかかった時は、祈祷師を呼ぶのではなく、医師を呼んで薬を飲む。
でも、たまに、今の科学では説明できない出来事が起こる時がある。
それはもしかしたら、神様が関係しているのかも…と言ったらおもしろいのではないか?
宗教やら文化やら民族やら小難しい話は抜きにして、こう考えてみるとほんわか暖かい気持ちになる。
閑話休題。