第十話:この物語のゴール
それからのことは、あまり詳しく覚えていない。
ジリジリと地面を熱する日差しすら無視して、蒼太は家に走り帰った。
ボタボタと額から汗が流れて、服はビショビショに濡れて体にへばりつくが、気にしなかった。
玄関につくと同時に、着ていた服を脱ぎ捨て、上半身裸になって自分の部屋に入った。
そして、ここ最近の日常となっていたように、『数奇な運命』を持ってベットにダイブする。
正確には、今日手に入れたばかりの『数奇な運命・下巻』を持ってベットの上で嬉しさを表現するように転げまわった。
―――また、せんばさくらに会える。
「会う」と言う表現が適切でないことなど、明後日の方向に投げ捨てて本のページをめくった。
そして、ふと、違和感を覚えた。
「…えらく、贅沢にページを使ってるな」
一ページ目をめくっても、蒼太の目的である「印」は、一つしか見つからなかった。
本を読むことを目的としていない蒼太には、まるで一ページ目には、白紙に『は』とゆう文字しか印刷されていないのではないかと思えるほど、ポツンとページの真ん中に鉛筆の小さな印が書き込まれていた。
『上巻』では、まるで少ないページを惜しむかのように、一ページにビッシリと鉛筆の印がついていたのに、この『下巻』では、そんな必要は無くなった、とでも言うように惜しみなく贅沢に、一ページに一文字だけ印が書いてあった。
しかし、それでも蒼太はそこまで気分を害することなく、一文字一文字噛み締めるように、文字を追っていった。
◇◇◇◇
はじめまして、名前も知らないアナタへ。
突然のことで、驚きますよね。これはアナタへの手紙です。
私は、とある病院で入院しています。この本の前の持ち主です。
この本を手に取って、この手紙に気付いてくれて、ありがとう。
沢山話したいことがあります。沢山、アナタに知って欲しいことがあります。
ここで出会えたことは、きっと神様のおかげだから、私と私の大切な人のことを、アナタに知ってほしいし、出来ればアナタのことを知りたいと思います。
でも、ごめんなさい。
私には、時間が無いみたいなんです。
だから、今から私が吐き出すのは、ただの泣き言なんです。
気を悪くしたらごめんなさい。せっかく新しい本を読む、素敵な時間を邪魔してごめんなさい。
今日、病院の先生に言われました。
私の、余命は残り、二ヶ月だそうです。
◇◇◇◇
神様って存在が、本当に居るのなら、その野郎は酷く残酷なんだろう。
後にはもう普通の印刷されたページしかない『数奇な運命・下巻』を閉じながら、何故かポツンと、蒼太はそう思った。
不思議と、数時間前の自分のように、怒りの感情は湧いてこなかった。
ただただ呆然と、目の前の本を見詰めて、手紙の内容をゆっくりと頭の中で繰り返した。
「あぁ……そうか」
そうだ。そうだった。
本当は、俺は薄っすらと、こうなることを予想していたんじゃなかっただろうか。
少なくとも、『上巻』の終わり…ページが残っているにも関わらず、唐突に訪れた最後の手紙には、違和感を持っていた。
今思えば、全部簡単に繋がるじゃないか。
忘れていた。せんばさくらは、入院患者なんだ。余りにも、手紙の中の彼女の生活が楽しそうで、元気一杯で、病人とゆうことを忘れていたけど、
高校にも行けずに病院に入院してるとゆうことは、それだけ重い病気だってことだし、たまに度を越えたイタズラをされても、許してもらえたのは、病院関係者は彼女の病気をしっていたから。
そして、彼女がイタズラを繰り返したのも…
本当は、心のどこかでこうなることを予想していた。
でも、わざと気付かずに、蒼太はここまで来た。
「でもよ」
蒼太は一人しか居ない自分の部屋の中で、呟いた。
少しだけ、怒りを帯びた声色で、ポツポツと、ここには居ないせんばさくらに話しかけた。
「正直、実感が湧かねぇよ。突然余命二ヶ月とか言われてもさ、俺の知っているお前は、病院でイタズラばっかりしてる元気な女の子なんだ。だから、余命二ヶ月とか言われても、普通の高校生の俺には全然ピンと来ねぇ」
不思議な感覚に襲われていた。言葉では言い表せない感情だった。
数時間前は、突然の別れに泣いて怒ったのに、今はとても落ち着いた気持ちだ。
ひょっとすると、あまりに色々なことがありすぎて、冷静になったのかもしれない。
だとすれば丁度いい。と蒼太は思った。
「もう、めんどくさいことは何でもいいや」
フゥと、一度大きく息を吐いた。
それからベットから起き上がって、タンスの中から適当にTシャツを引っ張り出した。
「お前が、余命二ヶ月だろうが、俺の前から消えようとしてようが、関係ねぇ」
二冊ある『数奇な運命』をカバンに詰めて、一度洗面所に向かう。
バシャバシャと乱暴に顔を冷水で洗って、鏡を覗き込んだ。いつも見ている自分の顔は、どこか覚悟を決めているように見えた。
「お前が俺の前から消えるんだったら、俺からお前に会いに行く」
玄関に座って、靴のヒモをきつく結ぶ。
立ち上がって、家の中に居る美月に向かって、大きな声で叫んだ。
「母さん! ちょっと走ってくる!」
すると、パタパタパタと、スリッパを鳴らして美月がやってきた。
「あら? また出かけるの?」
「うん。友達に会ってくる」
「まぁ! 仲直りしたのね」
まるで自分のことのように、嬉しそうに答えてくれる美月に、蒼太は優しく微笑んだ。
「いや、初対面なんだ」
「え?」
キョトンと、鳩が豆鉄砲撃たれたような顔を浮かべる美月に、蒼太はイタズラっぽく笑って、そのまま外に出た。
「あ! そうちゃん。今から雨が降るらしいわよ!」
慌てて美月が引きとめようとする。
しかし、それにも蒼太は取り合わずに、走りだした。
「関係ねぇ!!」
関係ねぇ。お前がどんな状況だろうが、俺に会えないと諦めていようが、
ジイさんの言うように、もう俺は止まってはいけないんだったら、
俺がさくらに会うことが、この物語のゴールだ。