第3話 ミコ
八月十一日 午後九時
ボクは意識を取り戻した。
その瞬間、背中に鋭い激痛が襲ってきた。
「いたたた……」
痛みを堪えきれず、声にならない声で呻いていた。
目の前の光景はぼんやりとしていたが、少しずつ周囲が鮮明になってくる。
暗闇の中にぼんやりと浮かびあがる本殿の古びた柱。
ボクは横向きに倒れていることに気づき、動こうとするが、思うように体が動かない。
目の前には白と赤の装束を纏った人物が、何やら呪文のような言葉を唱えていた。
意識が朦朧とする中で、目を凝らしてその人物を見つめる。
巫女の姿で、何かを祈祷している人物――
「香世……」
ボクは力を振り絞って、彼女の名前を呼んだ。
小さなかすれた声だったが、香世はすぐに気づき、振り返った。
「啓介?」
彼女はボクが意識を取り戻したことに驚いているようだった。
「まだ死んでなかったのね――」
彼女は冷たくも美しい笑みを浮かべた。
「背中を刺したのは君だったのか……」
ボクは、なんとか言葉を絞り出す。
「そうよ」
香世はためらいもなく、淡々と答えた。
「浜田を刺したのも君なのか?」
「そう、私に言い寄ってきて邪魔だったから」
ボクの頭の中は混乱していた。
「そんな……なぜ殺さなくちゃいけないんだ」
彼女は目を見開いて悪戯っぽい笑顔になった。
「あなたにだけに教えてあげる。神社に『秘宝』があると言ったのは――嘘よ」
香世はボクの顔を覗き込みながら囁いた。
「嘘……どういうことだ?」
ボクは全身の力が抜けていくのを感じながら、必死に言葉を絞り出す。
「本当は『生贄』が必要だったの」
その瞬間、空が一瞬明るく光り、続いて遠くで雷鳴が轟いた。
「人身御供って知ってる?」
彼女は冷たく寂しげな表情に変わった。
「昔から災いを避けるために神様に生贄を捧げてきたの。霧島家は代々、神様に生贄を捧げる役目を担ってきたのよ――本当は私が生贄になる予定だった……」
彼女はひざまずいて、ボクをじっと見つめた。
「でも、あなたが私の身代わりになるのよ」
「そ、そんな……」
ボクは恐怖と衝撃で、心臓が早鐘のように打っている。
「啓介……言ったわよね。」
彼女はボクの顔に手を当てて顔を近づけてくる。
「私のために死ねるって……」
彼女はボクの耳元で囁いた。
ボクはすべてを悟った――香世は最初から、ボクを生贄にするために近づいてきたのだ。
「私は啓介のことが好きよ。だって、私のために死んでくれるんだもの」
彼女はボクの唇にキスをした。
ボクにとっては最初で――そして最後のキスだった。
「安心して――神様に魂を捧げるんだから、天国へ行けるわ」
優しく語りかけてくるが、ボクにとっては恐怖そのものだった。
彼女は包丁をゆっくりと取り出し、振りかぶった。
鋭い刃先が反射して光る。
「香世……」
ボクは最後の力を振り絞って彼女の名前を呼んだが、それは声にならなかった。
胸に激痛が走り、全身から力が抜けていく。
香世の顔が恍惚の表情に変わり、両手を天に向かって掲げた。
そして、ボクの意識は再び深い闇に吸い込まれていった。
END