第1話 ケイスケ
ボクが霧島香世とはじめて出会ったのは七月の暑い夏の日だった。
彼女は京都から長崎県N市にあるボクが通っている高校に転校してきたのである。
初めて見たとき、彼女の長い黒髪と少し寂しげな表情に、ボクは一瞬で心を奪われた。
他の誰とも違う空気を纏っている不思議な魅力と、どこか憂いのあるミステリアスな表情に惹かれ、ボクは彼女に近づきたいと思った。
「霧島の席は中村の隣だ」
クラスの先生が、香世の席をボクの隣に指定した時はクラスの男どもは嫉妬した。
彼女はボクの席の隣に座り、授業が始まると机を寄せて教科書を一緒に見ることになる。
「霧島香世です。よろしくね」
「中村啓介です!よろしく」
隣同士になったことで香世とは急速に距離が縮まった。
昼休みに友達の浜田はボクのところにやってきて羨ましがった。
「おい、啓介。いいなよー、霧島の隣になるなんて……」
「そんな、良くねーよ」
「俺は彼女のためなら死ねるね」
「ああ、そうかい」
「帰りに彼女を誘ってくれよー。喫茶店でお話したいなー!」
浜田も香世に一目惚れしてしまったようだ。
ボクは学校帰りに香世と浜田の三人で喫茶店に立ち寄ることになった。
窓際の席に座り、三人はアイスコーヒーを頼む。
「霧島さんは京都から来たんだよね?」
浜田が話を切り出した。
「うん……」
「京都はいいよねー、神社仏閣がいっぱいあって、一度行ってみたいなあ」
香世は興味なさそうにアイスコーヒーをストローで啜っている。
「啓介も、そう思うだろ?」
彼女のつれない反応に、浜田はボクに話を振ってくる。
「ああ、そうだな……霧島さんはどうしてここに引っ越してきたの?」
「両親が事故で亡くなって、叔父さんの家にお世話になることになったの」
「そうだったんだ……ごめんね、辛い事聞いてしまって」
「ううん、いいの。もう大丈夫だから」
彼女の寂しげな表情は、辛い過去からきているのかと納得できた。
「この辺に羽根島ってある?」
彼女がボクらに質問をしてきた。
「ああ、廃墟島のことだね」と浜田が答えた。
「廃墟島?」
「昔、炭鉱で栄えてたんだけど、廃坑になってから人がいなくなって、今は廃墟になってるから、みんながそう呼んでるんだよ」
浜田が説明すると、彼女は一瞬考え込んでいた。
「私、その島に行ってみたいんだけど」
ボクと浜田は驚いた。
「いや、無理だよ。今は立ち入り禁止になってるから」と浜田が答えた。
「そうなんだ……」
彼女は残念そうにしていた。
ボクは香世がどうして廃墟島に行きたいのか興味を持った。
「どうして廃墟島に行きたいの?」
「私の実家は神社の神主を代々やっていて、祖父が羽根島にある羽根神社で神主をやっていたの」
「へー、そうなんだ」
「お祖父ちゃんは亡くなる直前に、羽根神社に代々受け継がれている『秘宝』が隠されていると私に話してくれたの――」
「秘宝って、お宝ってこと?」
浜田が身体を乗り出してくる。
香世は頷いた。
「うちの親は漁師だからさ、ボート用意できるよ」
「本当?」
彼女の表情がぱっと明るくなり、笑顔になった。
「おい、大丈夫か?島は立ち入り禁止なんだぞ。警察に捕まったらどうする」
危険を犯そうとしている二人に、ボクは釘を刺した。
「目立たないように日が落ちる頃に行けばいいんだよ」
浜田はお宝探しをやりたいようだった。
「ありがとう!浜田くん」
喜んでいる香世を見て、もうボクには止められそうになかった。
「もうすぐ夏休みだし、三人で宝探しに行こうか!」
浜田の仕切りで宝探しが決定した。
八月十一日 午後六時
ボクは漁船がずらりと並ぶ港にやってきた。
まだ辺りは明るかったが、人気も無いので、問題はなさそうだった。
「中村くん、待った?」
ボクを呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、髪をポニーテールにして、Tシャツにホットパンツというラフな格好の香世が立っていた。学生服とは違って、活動的な感じで表情も明るかった。
「今、来たところだよ」
彼女は大きなピンクのリュックサックを背負っている。
「リュック大きいね」
「泊まりがけになるから、着替えを持ってきたの」
「島を歩き回るから、重いと大変だよ」
「大丈夫、体力はあるから」
ボクと彼女は堤防に座って浜田を待った。
「中村くんは好きな女の子いるの?」
「えっ、いないよ……」
「そうなんだ」
香世が悪戯っぽい表情をして、ボクを見ている。
「啓介って呼んでいい?」
「えっ!……ああ、いいよ」
「私の事は香世って呼んでね」
香世は今まで見たことないような満面の笑みを見せた。
――これって、恋?
奇跡のような瞬間が急にやってきたようで、ボクは戸惑ってしまった。
浜田に知られたら殺されそうだ。
「おーい、お待たせ―」
そこへボートに乗って浜田がやってくる。
「浜田くーん!」
香世は、元気に満ち溢れた様子で手を振っている。
ボクはそんな彼女を愛おしく見つめていた。
ボクたち三人は、浜田のボートに乗って、廃墟島へ向かっていた。
島へは時間にして二十分はかかる。
ボクの隣には、香世が座っていた。
「啓介、お茶飲む?」
「うん」
香世が水筒を取り出して、紙コップにお茶を注いで渡してくれる。
「ありがとう」
そのやり取りを、見ていた浜田は、不機嫌そうにしていた。
「ああー、おまえら、いつの間にそんな中になったんだ?」
「ち、違うよ!」
ボクはしらばっくれた。
「いやいや、名前の呼び捨ては相当仲が良いい証拠だぞ」
香世は、お茶の入った紙コップを浜田に差し出す。
「浜田くんもお茶飲む?」
「いや、俺も呼び捨てにして欲しい!」
彼女は噴き出して笑った。
「アハハハ、わかったわ――正男!……これでいい?」
「あああ……いいねー」
浜田は照れながら満足したようにうなずいた。
ボートが島に着くと、日が落ちて、あたりはすっかり薄暗くなっていた。
三人はボートを降りて島に上陸する。
「ついに廃墟島に来ちまったな」
浜田は嬉しそうに地面を踏みしめている。
「もうすぐ夜になるから、早めに行動しましょう」
香世はリュックから懐中電灯を取り出して点灯した。
「ここは炭鉱エリアだから、少し奥に住居エリアがある。神社はさらにその奥になるな」
ボクは羽根島の地図を取り出して、香世と浜田に経路を説明した。
「ようし、お宝を見つけようぜ!」
浜田がそう言って、先頭に立って歩き出す。ボクと香世はその後に続いた。
かつて栄えていた炭鉱の島は朽ち果てた鉄筋コンクリートの建物が立ち並んでいた。
「昔はここが最も近代的な町だったんだぜ。まだ日本にテレビが出始めたころに、ここはテレビの普及率が百パーセントだったそうだ」
浜田が歩きながら観光ガイドをしてくれている。
「へー、それが今や廃墟になったのね」
香世は興味深そうに崩れ落ちそうな建物を見ている。
島の中を進むと、道は雑草や崩れた瓦礫で埋もれていて、歩くのも一苦労だった。
時折、海鳥の鳴き声が遠くから聞こえてくるものの、辺りは異様な静けさが支配していた。
ボクは急にお腹が鳴りだし、便意をもよおしてきた。
「ちょっと待ってて……トイレ行ってくる」
「トイレって、ここにそんなものないぞ。野グソするのか?」
浜田は笑いながら言った。
「うるさい!」
そう言って、ボクは走っていって、近くの茂みに入っていった。
「はあああ……間に合った」
こんなところで大便とは、まさにサバイバルな体験だ。
用を足して戻ってみると、香世が一人待っていた。
「あれ、浜田は?」
ボクは香世に尋ねた。
「彼もトイレに行ったわ」
「そうか……一人で寂しかった?」
「ううん、大丈夫よ」
「辺りが真っ暗だから、幽霊が出てきそうだよね」
「幽霊が怖いの?」
「そりゃ怖いよ。香世は怖くないの?」
「私は平気。神社でお祓いの手伝いとかしてたから」
「そうか、おじいさんが神主だもんね」
「私も巫女をやってたのよ」
「へー、そうなんだ。香世の巫女姿、見たいなー」
「そのうち見せてあげるわ」
「本当!うれしいなー」
時間が経っても浜田はなかなか戻ってこなかった。
「浜田くん遅いわね……」
「そうだね、探しに行こうか」
ボクは香世と一緒に浜田を探しに行った。
廃墟の中を歩きながら、浜田を探したがなかなか見つからなかった。
「どこに行ったのかな?」
香世がボクの服の袖を引っ張った。
「啓介、あれ!」
ボクは香世の指さす方向を見た。
「うわああ!」
ボクは思わず叫び声を上げ、後ずさりしてしまった。
そこには浜田が草むらの中に、背中が血だらけで倒れていた。
「浜田!」
ボクは浜田に駆け寄ったが、もう息をしていなかった。
「浜田……」
「浜田くん……どうして、こんなことに……」
香世は浜田の死体を見て震えていた。
「誰かが浜田を殺したんだ……」
「誰なの?」
「ここには、不法に住み込んでいる住人がいるらしいっていう噂があったけど、本当だったんだな」
「怖い……」
ボクは香世の肩を抱いて、励ました。
「大丈夫だよ。ボクが守るから」
「啓介、ありがとう」
ボクは警察に連絡がとれるかどうか、スマートフォンを取り出して見た。
「やっぱり圏外か……」
「啓介、羽根神社まで行こう」
ボクと香世は、羽根神社を目指した。
楽しい宝探しが一転して殺人事件が起こり、ボクらは危険のまっただ中にいた。
住居エリアを抜けると、小高い丘の入口に大きな鳥居があった。
「ここが……羽根神社か」
「行きましょ」
ボクと香世は草が生い茂った石段を登っていくと、やがて古びた本殿が見えてきた。
「着いたわ」
香世は階段を登って本殿の扉を開けた。
本殿の中は何もなく空っぽで、埃だけが床に積み上がっていた。
「何もないな……もう盗まれちゃったのかな」
香世はその場に座り込んでしまった。
ボクも香世の隣に座った。
「残念だったな。お宝が見つからなくて」
香世がボクの肩に頭を傾げて、もたれかかってきた。
「私たち、浜田くんを殺した犯人に殺されちゃうのかな?」
ボクは彼女の肩を抱いた。
「ボクが君を必ず守るよ」
彼女は顔を上げてボクの顔をじっと見た。
「本当……私のために死ねる?」
「もちろんだよ」
「嬉しい……」
もう少しでキスをできそうな距離まで顔が接近したところで、大きな雷が鳴った。
「うわっ、ビックリした!」
ボクの驚いた顔に、香世はクスクス笑った。
外では空を厚い雲が覆って、雷がゴロゴロと鳴っていた。
「雨が振りそうだな。ちょっと、用を足してくる」
「うん、待ってる」
ボクは立ち上がって、本殿の外に出た。
色々アクシデントは起きたが、香世とは急接近できた。
今晩はこの本殿で香世と一緒に一夜を過ごすことになるだろう。
ボクの頭の中は煩悩で膨れ上がっていた。
本殿の近くにある茂みで用を足していたら、小雨が降ってきた。
「くそっ、雨が降ってきたな……」
用を済ませてズボンのチャックを上げようとしたとき。
突然、背中に激痛が走った。
「うっ!」
誰かが背中から刃物を刺したようだ。
まさか、浜田を殺した犯人か?
振り返ろうとするが、再び刃物が背中に何度も突き刺さる。
「うわあああ!」
あまりの激痛にボクは絶叫した。
香世は無事なのか?ボクの悲鳴を聞いて逃げてくれと祈った。
ボクはその場に崩れ落ち、声を出そうとしたが、力が入らない。
徐々に意識を失い、視界が暗くなっていく。
「香世……」
その名を呼ぼうとしたが、声は出なかった。
そして、ボクの意識は暗い闇に包まれていった。