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07 侵入者

 クレル夫人に言われたことが、頭の中をぐるぐると回っていた。


 ――人並みの幸せを夢見るということをさせてはなりません。


 それは、クレル夫人がこの十六年間、厳しく彼女自身に課していたことだと俺は理解した。聖女様が言っていた。クレル夫人は、自分の子供を養子に出してまで聖女様を育てたのだと。俺の知らない様々な苦難を乗り越え、聖女様はここまでお育ちになったのだろう。俺はクレル夫人との覚悟の違いというものを見せつけられたように感じ、自らの未熟さを恥じた。

 夕食後、すぐに聖女様が俺の部屋に来ないのでいぶかしんでいると、なんとジャムの瓶を抱えてやってきた。


「聖女様、それは……」

「へへっ、余ってた分を厨房から持ってきちゃった! クレル夫人にバレないように舐めよう?」

「もう……まあ、いいですよ」


 ベッドに並んで腰かけ、俺が瓶のフタを開けたところまではよかったのだが、それからが問題だった。


「えっと、スプーンはないのですか?」

「あー! 忘れてた! まあいいじゃない、指ですくえば」


 そう言うなり、聖女様は瓶の中に人差し指を突っ込んでジャムをすくいとった。そのままご自分で舐めるのかと思いきや、こうだった。


「はい、フェリクス、あーん!」

「そ、それは……さすがに、聖女様……」

「ほら、落ちちゃう! あーん!」


 勢いに飲まれ、俺は口を開けてしまった。すかさず聖女様の指が入り込み、俺はそれを舐めるしかなかった。


「……美味しいです」

「えへへっ、はしたないことしてるのって、楽しいね!」


 ――ああ、なんて背徳的なのだろう。


 俺は確かに、生まれてこの方感じたことのない「幸せ」というものを味わっていた。聖女様と触れ合うと、そわそわして、落ち着かなくて、それなのに深い喜びを感じて。


 ――きっと、これが恋なのだ。俺は、恋をしてはならない方に、恋をしてしまった。


 騎士学校時代、規則を破って逢瀬を交わす学友のことが不思議だった。そんなことのために、自らの身を滅ぼすようなことをするだなんて信じられなかった。しかし俺は、今ハッキリとわかってしまったのだ。恋をしてしまえば、もうその人のことしか考えられなくなる。


「聖女様」

「なぁに、フェリクス」

「私は、聖女様付きの騎士になれて良かったです。私の心は聖女様と共にあります」


 それは、実質的な告白のようなものだったが、幸か不幸か、聖女様はお気づきになられなかった。


「僕もフェリクスが騎士になってくれて良かった! 毎日楽しいもん。ねっ、最後まで舐めちゃおう」

「では……」


 俺はジャムをすくい、聖女様の口元に差し出した。聖女様はカシゲのヒナのようにぱくりと俺の指を咥えた。温かな舌の感触が、俺の胸を震わせた。

 それから、二人で交互にジャムを舐めさせ合い、瓶を空にしたところで、もう眠ってしまうことにした。


 ――諦めなければならない。この恋は。


 ぐっすりと眠る聖女様を抱き締めながら、自らを律しようと神経を張りつめていた、その時だった。

 カンッ……。

 わずかに、靴の音が聞こえた。それは、隣にある本来の聖女様の部屋からだった。俺は咄嗟に身を起こし、枕元に隠してあった短剣を手に取った。殺気がする。この気配はクレル夫人ではない。ならば。


「ううーん……フェリクス……?」


 聖女様が目を覚ましてしまった。俺は声をかけず、ベッドから出て床に立ち、身構えた。聖女様の部屋と俺の部屋を繋ぐ通路から、ゆらりと黒い人影が躍り出た!


「何者だ!」


 俺が叫ぶと、人影は俺に突進してきた。黒ずくめの体格のいい男だ。男は刃が湾曲した剣を振りかざしてくる!

 カァン! カァン!

 俺の短剣と男の剣がぶつかり、鋭い音を立てた。


「きゃぁぁぁ!」


 背後で聖女様が悲鳴をあげた。俺は短剣で攻撃を防ぎつつ、攻勢に出るため男の腹を蹴った。男は足技を予想していなかったのだろう。まともに蹴りは当たり、男は吹っ飛んで尻もちをついた。俺は素早く短剣を操って男の剣を叩いて弾き飛ばし、それから男を組み伏せて床に押し付けた。


「何事ですか!」


 クレル夫人だった。俺と男を見ると、さっと顔を青ざめたが、すぐさま聖女様の元にクレル夫人は駆け寄った。俺は男に怒鳴った。


「貴様、どこの刺客だ! 吐け!」


 しかし、男の身体はガクガクと震え始め、げえっと血を吐いて動かなくなってしまった。


 ――口の中に毒を仕込んでいたのか。失敗すれば自決とは、哀れな奴め。しかし、聖女様のお命を狙ったのだ。仕方あるまい。


「フェリクス……フェリクス!」


 聖女様は、クレル夫人がしっかりと抱き寄せていた。聖女様の目には涙が貯まり、唇は青白くなっていた。


「もう大丈夫です、聖女様」

「こ、こわかったよぉ……」


 クレル夫人が床の上をまじまじと見て言った。


「この独特の剣の形……隣国ケセオンの物ですわね」

「ええ、私もそう思います。しかし、ケセオンの犯行だと思わせるために、あえてこの剣を使った可能性もあります」

「確かに。フェリクス、よくやりました。この男の亡骸は王国軍に引き渡し、調査をさせましょう」


 俺は男を担いで外の荷馬車に乗せ、布をかけた。その間に、クレル夫人が部屋の掃除をしてくれていたようで、戻ったときにはすっかり綺麗になっていた。聖女様は自分の部屋で横になられていたが、俺がベッドに入ってしばらくすると、もそもそともぐりこんできた。


「フェリクス……ありがとう。フェリクスがいなければ僕は今頃死んでたよ」

「騎士として当然の働きをしたまでです。さぁ、もうお眠り下さい」

「おやすみ、フェリクス……」


 聖女様はぐったりと俺に身体を預けてきた。俺はとん、とん、と赤子にするかのように、聖女様の背中をゆったりと叩いた。


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