04 日々
騎士学校時代から、早起きは染みついている。ハッと目を覚ました俺は、腕の中の温もりに、一瞬頭が追い付かなかった。
――ああ、そうか。聖女様と一緒に……。
聖女様はすう、すう、と可愛らしい寝息を立て、深く眠っていらっしゃるようだった。金色の髪が朝日を浴びてきらめき、絵画のようであった。俺は努めて優しく声をかけた。
「聖女様。朝です。起きてください」
「ううーん……まだ眠いよぉ……」
聖女様が俺の腰に腕を回してきたので、そっとそれを解き、先にベッドから出た。
「さっ、聖女様。クレル夫人に見つかる前に」
「わかったよぉ……」
朝食後は、庭園の散策だ。聖女様は午前中しか塔の外に出ることを許されていない。そして、庭園といっても、手入れする者はおらず、自然のままの草花が生い茂っている野原のようなものだ。騎士学校や王宮の豪勢な庭園に見慣れていた俺には侘しく見えたのだが、聖女様の表情は明るく弾んでいた。
「ふふっ。そろそろ春の香りだね。フェリクス、わかる?」
「申し訳ありません。私はどうも植物には疎く……」
「あっ、カシゲがいるよ!」
聖女様が指差した先の大木に、茶色い小鳥がいた。チィ、チィ、とさえずっている。
「あの鳥はカシゲというのですか」
「そう! 春になると海を渡ってきて巣を作る鳥なの。僕、鳥が好きだけど、中でもカシゲが一番好き。僕が知らない、色んな国を知ってるから」
そう言って目を細める聖女様。その眼差しに、どこか影を感じたのは、気のせいではなかったようで、聖女様はこう続けた。
「僕は、聖女塔からほとんど出たことがない。公務で王宮に行くことはあっても、城下町とか、村とか、他の国とか……そういうのを全然知らない。知らずに一生を終えるんだろうね」
どう声をかけるべきなのか、俺は迷った。彼が聖女様として役目を求められている限り、自由を得ることは叶わない。いつか行きましょう、だなんて言えるはずがない。だからせめてもの慰めとして、俺はこう言った。
「それは私も同じです。聖女様に一生お仕えするのですから」
「うん……そうだね。フェリクスも辛い役目だよね。しかも偽物だったなんてさ、本当は嫌でしょう?」
「いいえ。本当の聖女様のお力を持たずとも、貴方様はこの国にとって要となる存在です。真実を知ってもなお、誠心誠意、職務を果たすことに変わりはありません。忠誠をお誓いします」
「ありがとう、フェリクス」
散策を終えた後は、聖女様の湯あみの時間だ。カレル夫人に任せ、俺は部屋の前で待機。その後、昼食をとり、次の公務に向けての支度である。もうすぐ「豊穣の儀」が行われるのだ。その中心となるのが聖女様であり、舞を奉納して聖女の奇跡を披露する、という流れである。
「僕ってさ、聖女の力ではないけど、特別な魔法が使えるんだよね。だからそれを使って誤魔化すってわけ」
「ほう……そうなのですね」
「実際に使うのは、本番までのお楽しみってことで!」
クレル夫人が手拍子をして、舞の練習をされている時の聖女様は、普段の様子とは一変、厳粛で気品のある表情をされていた。但し、クレル夫人が休憩を言い渡すと、たちまちへにゃんとした気の抜けた顔になってしまうのだが。
そうして、数日が過ぎた。夜になると聖女様が俺のベッドにもぐりこんできて、俺が昔話を語り、一緒に眠るという日々。その中で、俺の聖女様に対する気持ちもゆっくりと変化していった。
――この方は、聖女様であるという以前に、一人の青年なのだ。お心安らかに過ごすことができるよう、俺は身を尽くさねば。
散策の時の軽やかな足取り。カシゲを見つけて顔をほころばせる様子。しっかりと味わいながら食事を取る仕草。湯あみの後の美しい香り。夜に互いの体温を確かめ合いながら交わす言葉。俺を映すエメラルドの瞳……。
守りたい。守ってみせる。
聖女様の日々は、俺にとっても大切な日々となっていた。
そして、豊穣の儀を翌日に迎えた日。聖女様は、なかなか眠ることができないようだった。
「……ねえ、フェリクス。僕、何度公務をしても王宮は嫌い。それに、可哀相」
「可哀相?」
「ああ……終わったら説明するけどさ。僕、豊穣の儀は悲しくなるの」
今までの俺なら、気の利いた返し方など思いつかなかっただろう。しかし、俺は聖女様のことばかり一日中考え、言葉も用意していた。
「聖女様の悲しみは私の悲しみでもあります。私が傍にいますから。明日のご公務が終わればまた、二人でお話ししましょう」
「ふふっ。フェリクスって頼もしいね。よーし、僕、頑張らなくちゃ」
しばらくして、眠りについた聖女様の柔らかな金髪を、俺はそっと指でといた。