03 初めての夜
俺に用意されたのは、聖女様の隣の部屋だった。しかも、中で繋がっており、自由に行き来できる状態だ。俺が着替えを終えると、聖女様がひょっこり顔を見せ、堂々と俺のベッドに腰かけた。それに面食らいながらも、俺は丸椅子を動かして聖女様の正面に腰かけた。
「ねえ、フェリクス! 君って、騎士学校で一番凄い成績を取ったんでしょう? 僕、クレル夫人から聞いてて、ずっと楽しみにしてたの!」
「ええ……そうです」
「そんな人が僕を守ってくれるなんて嬉しいなぁ。カミーユも、優しかったけどね」
「カミーユ?」
聖女様によると、カミーユというのが亡くなった前任の騎士らしい。聖女様が生まれた時からずっと傍に居たそうで、聖女様にとっては父親のような存在だということだった。
「それでね、クレル夫人はお母さんかなぁ。僕の乳母でもあるんだよ」
クレル夫人は、生まれたばかりの自分の子供を養子に出し、聖女様に仕えるようになったらしい。聖女様の身の回りの事は全てクレル夫人がこなしているのだとか。
「ほら、僕が偽物だっていうことは絶対秘密でしょ? だからこの塔には最低限の人しかいないの」
「なるほど……それでこんなにひっそりとしたお住まいなのですね」
聖女様は、にゅっと首を突き出し、まじまじと俺の顔を覗き込んできた。聖女様の金髪がふわりと舞い、甘い香りがした。今までむさくるしい男たちに囲まれていた俺には、刺激的すぎる匂いだ。
「せ、聖女様……いかがされましたか?」
「つやつやの黒髪もだけど……フェリクスの瞳って本当に綺麗。こんなに深い青色、見たことない。これが海の色ってやつ?」
「ブルーネンス家の血筋ですね。確かに海の色と称されることがあります」
「僕、海って見たことないの! フェリクスはある?」
「はい、騎士学校時代に……」
ハイライア王国は海に面している。騎士学校時代、裸足になって砂浜を駆ける、という鍛錬をこなしていたことがあるのだ。
「ねえねえフェリクス、もっとお話聞かせて! 僕さ、同じくらいの年の人と話すの初めてなの。だから凄く凄く嬉しいの!」
「では……」
その時、ノックの音がした。クレル夫人だ。
「聖女様、フェリクス、夕飯の支度ができました。お話はそれくらいにしてくださいまし」
「はぁい!」
「は、はい!」
ハイライア王国では、食事の時は会話をしないのが作法だ。白身魚の焼き物と豆のスープ、パンを黙って頂いた。俺と聖女様が食事をしている間、クレル夫人はきびきびと働いていた。
聖女様は、時折俺に目を向け、何か話したそうにうずうずするものだから、せっかくの夕食の味もよくわからなかった。
――まだ頭の整理が追い付かない。この方は偽物で、国民を安心させるために聖女様のフリをしていらっしゃる、ということは理解したが。
この国の真実以上に戸惑っているのが、聖女様の振る舞いだ。本物の聖女、エステル様の双子の弟ということは、この方も十六歳のはず。それにしては、話し方が幼く、表情もくるくる変わり、屈託のない幼子のようなのだ。
俺は、聖女様の「同じくらいの年の人と話すの初めて」という言葉を思い出した。この方は、大人たちに囲まれて育ってきた。そして、背負わされている役目の重さから、周囲の人間に甘えるようになったのではないだろうか……。
そこまで考えた時、俺の心は決まった。
――ならば、俺も聖女様の家族のように接するべきだろう。不自由な身の上。少しでも、慰めて差し上げたい。
食後、俺はクレル夫人に呼ばれた。そして、聖女様の一日の過ごし方や、公務について、一通りの説明を受けた。
終わって部屋に戻ってみると、俺のベッドに横たわっていたのは……聖女様だった。
「あっ、おかえり。終わるの待ってたの。ねっ、一緒にゴロゴロしながらお話しようよぉ」
「そ、その……」
「いいじゃない。僕、偽物なんだからさぁ」
「では……」
俺はそっと聖女様の隣にすべりこんだ。どうしても手足があたってしまう。男といえば、屈強な騎士学校の面々しか知らなかった俺にとって、か細い聖女様の肢体は女性のものとしか思えず、鼓動が早くなってしまった。
「フェリクス、騎士学校ってどんなことするの?」
「はい。まずはですね……」
騎士学校の厳しい規則や勉学、鍛錬。学友たちとの競い合い。そんなことを話したのだが、聖女様は小気味よく相槌を打ちながら聞いてくださった。
「さあ、このくらいにしましょう。朝は早いと聞いています。聖女様、ご自分のベッドにお戻りになって……」
「やだ。僕、今日からフェリクスと一緒に寝る!」
そう言って聖女様は俺の腕にしがみついてきた。
「わっ、かたーい! カミーユを思い出すなぁ!」
「聖女様……」
「ねー、いいでしょ? それに、僕を守るなら一緒のベッドの方が安心だと思わない?」
「それも、そうですが……はい……」
観念した俺は、聖女様に腕枕をした。
その時の胸の高鳴り。なぜそうなったのか、その理由は、ずっと後になってから気付くことになる。