02 聖女
騎士学校卒業後、故郷であるブルーネンス領に戻り、両親や兄たちと安らかな時間を過ごした後、王宮に行って国王に謁見した。儀式はあっさりと終わり、俺は聖女様がお住まいの「聖女塔」へ行くための馬と、大事な魔道具を渡された。
その魔道具とは、ペンダント状の魔石で、聖女塔の結界の中を進めるようになるものらしい。これを持たぬ者は、聖女塔に近付くと霧に覆われ、迷って元の場所へと引き戻されてしまうのだとか。
馬を飛ばし、森の中を半日ほど行くと、石壁と白い門が見えてきた。門はひとりでにギィ、と開き、俺が馬から降りて門をくぐると閉ざされた。すると、眼前に大きな塔がそびえたっているのが見えた。門の外からは見えなかったのに、不思議なものだ。これも聖女様の魔法によるものなのだろう。
――ん? 誰かいるぞ。
塔の入口に、茶色い髪を結い上げた中年の女性が立っており、俺と目が合うと深々と礼をしたので、俺もならった。女性のところまで歩み寄ると、こう声をかけられた。
「騎士フェリクス・ブルーネンスですね。わたくしはマーガレット・クレル。聖女塔の責任者です。呼ぶときはクレル夫人、でよろしい」
ぴしりとした物言いに、俺は厳しさを感じた。しかし、騎士学校で礼節も鍛えられた俺にとっては返事をすることは造作もない。
「かしこまりました。クレル夫人」
一旦馬を小屋に繋ぎ、クレル夫人について塔の中に入った。塔の中央はらせん階段になっており、それをどんどん上って行った。途中、踊り場があり、部屋があるのが確認できたが、扉は閉ざされており、何の部屋かはわからなかった。そろそろ最上階だろうか、という時、クレル夫人が足を止めた。
「フェリクス。この部屋でお待ちなさい。聖女塔について、そして聖女様について、教えておかねばならないことが沢山あります。わたくしは準備をして参りますから、椅子にかけていてください」
「承知しました」
入った部屋は、テーブルが一つと椅子が四脚ある質素なところだった。小さな窓の外からは透き通る青空が見えた。
――まるで監獄だな。聖女様のお住まいなのだから、もっと豪華だと思っていたが。
華美な装飾も美術品も見当たらない。聖女様といえば、貴族よりも上、国王と並ぶほどの地位にあるお方なのだが、これでは貧民と同じくらいの扱いだ。
いつクレル夫人が入ってきてもいいように、姿勢を正して待っていると、ドタドタという足音が聞こえ、次いで扉が勢いよく開け放たれた。
「えっ……?」
飛び込んできたのは、クレル夫人ではなかった。金髪を腰までたなびかせ、エメラルドの瞳を輝かせた、可憐な人物……。
――まさか、聖女様?
俺が身動き一つできないでいると、その人物はぱあっと顔を明るくして俺を指さした。
「わぁっ! 君が新しい騎士だね? 待ってた! ずっと待ってたよー!」
女性にしか見えなかったその人物から放たれた声は、紛れもない青年のもので。俺は身を乗り出した。
「え、えっと……貴方様は……」
「聖女様!」
クレル夫人の鞭のように鋭い声が飛んだ。
「お部屋でお待ち下さいとあれほどお願いししたではないですか!」
「だってぇ、僕、早く騎士に会いたかったんだもん」
本当に聖女様らしい。しかし、麻のような粗末なシャツと膝丈のズボンを履いており、服装は青年の部屋着そのものだ。それに、その低い声。
「こうなっては仕方ありません。聖女様、同席して頂きます」
「はぁい」
俺の正面にクレル夫人、斜め向かいに聖女様が座った。クレル夫人は、はあっとため息をついた後、こう切り出した。
「フェリクス……順を追って説明するはずだったのですが、こちらが聖女様とされているお方です。ただ、本物の聖女様ではありません。弟君です」
「では……男性なのですか?」
「そうだよ! それでね……」
「聖女様! わたくしが説明いたしますから、お黙りくださいませ!」
しゅん、と眉を下げた聖女様だったが、すぐに笑顔に戻り俺の顔を見つめてきた。俺は目を合わせることなどできず、素知らぬ顔をしてクレル夫人に目を向けた。
それからクレル夫人に明かされたのは、驚愕の事実だった。
本物の聖女様は生まれてすぐにお亡くなりになった。そして、双子の弟を身代わりにして、聖女様が生きていることにしたそうだ。
このことは、国王や聖女塔に勤める者しか知らない重大な機密であり、親兄弟であろうとも決して漏らしてはならないそうだ。
クレル夫人の言葉が切れたところで、俺は口を出した。
「それでは……我がハイライア王国が聖女様によって守られている、というのは……」
「ええ、それは……」
クレル夫人が顔をしかめ、口ごもっていると、あっけらかんと聖女様が言った。
「うん、嘘だね! 僕のお姉さんが、継承の儀をする前に死んじゃったから、聖女の力は失われちゃったんだ! 魔獣に襲われてないのは……まあ、運がいいからじゃない?」
「そ、そんな……」
俺はぐっと拳を握りしめた。国民の誰もが敬い、信頼していた存在、聖女様。それが偽りだったとは、にわかに信じがたいことだった。
「えっと……フェリクスだっけ。がっかりしたよね。ごめんね」
「いえ、その。ただ、すぐには受け入れがたくて」
クレル夫人がぴっと聖女様の手の甲を打った。
「だからお部屋でお待ち下さいと言ったのです。そして、フェリクス。偽物ではありますが、この方は我が国にとってなくてはならないお方です。秘密を、聖女様を、我々は守らねばなりません。わかりましたね?」
「はい……」
俺は、想像していたよりも遥かに大きな出来事に、巻き込まれたのだ。