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苦手な方はご注意ください。

竜の女王の王配令嬢

どうせただのツガイだと思ったのに、溺愛してくる公爵令嬢何なのです?

作者: れとると

百合短編です。18000字。

「竜の女王の王配令嬢」シリーズ第五弾にあたります。

ただイチャイチャしてる〆のお話ですので、生暖かくご覧ください。


※なるべく主人公視点で事情は説明しておりますが、シリーズでお読みいただいた方がお楽しみいただけるかと思います。


「あなたを愛することは、ありません。メディリア様」



 初夜の夜、元男爵令嬢のアネモネは自ら選んだ伴侶に向かってそう告げた。



「…………焦らしプレイですか?」



 答えたのは、元公爵令嬢メディリア。



「……違います。私は竜の女王。竜の仔を産むために〝ツガイ〟としてあなたを欲しました。ですが人としての私は、女性を愛する趣味はありません」



 アネモネはアンドリュー男爵家に生を受けた。彼女はこのドラグライト王国の始祖・竜の女王の転生体であった。そのことを隠して生きて来たが、紆余曲折あって王国の女王となった。そして卵を産むための伴侶・ツガイとして、メディリアを選んだのである。

 竜の女王は、人の胎に宿る半竜半人であった。人の男性と子を設けることもできるが、これは人の子となる。膨大な魔力を持つツガイ相手となら、竜の卵を産むことができる。卵自体は単独でも産めるが、その場合は長い年月をかけて孵り、次の竜の女王がどこかで人の胎に宿る。人から生まれた竜の女王は、歴代の女王の記憶と竜の力をもって、またツガイを探す。

 転生を繰り返し、気の遠くなる年月を経てやっと巡り合えたツガイ、それがメディリアであった。竜の女王の本能と記憶が、彼女を欲している。だがアネモネの意識は、ただの人の女である。

 そこに大きな齟齬があった。



「そうは言いますが。卵を産むために、わたくしと交わるのですよね?」



 布団から顔を出したメディリアの赤い瞳が、アネモネに向けられている。その目は明らかに何かを期待して潤んでいて、頬は暗闇でもわかるくらいに赤かった。



「……そうですが、それも説明した通りです。私は一度の産卵で、おそらく力尽きる。卵を孵す段階で、メディリア様も魔力を吸い取られて命を落とす。このまま産卵に入ったら、国が大変なことになります」


「わかりました、早晩国を整えましょう。さぁ」



 メディリアが寝台の中から、両腕を広げてみせる。アネモネは表情を崩し、少しのため息を吐いた。



「もう少し服を着てください。寝ましょう」


「わたくしが温めて差し上げますのに」


「結構です」



 布団に潜り込み、メディリアから背を向ける。「放置プレイとは、たまりませんね」と呟きが聞こえたが、無視した。理解できなかった。



(なぜ私は、この方に好かれているのでしょう)



 アネモネの立場としては、メディリアの姿勢と気持ちは望ましい。だが説明の通り、メディリアにとってはあんまりな関係のはずである。ただ卵を産むための伴侶であり、しかも産めば双方命を落とす。なのにメディリアはそれを、心の底から望んでいるようだった。



(私は、女王の使命を全うしたい。なんとしても竜の仔を産み、歴代の無念を、晴らしたい。でもメディリア様は、なぜ……)



 戴冠式などで忙しかった、今日が終わる。



(あたたかい……ふとんがきもちいい……メディリア、さま)



 伴侶の体温を、背中に感じながら。

 アネモネは瞼を閉じて。

 安らかに、意識を手放した。




 ◆ ◆ ◆




 アネモネはよく、夢を見る。

 その多くは、竜の女王の記憶だった。

 だが今日は。



(お父さま、お母さま)



 優しく聡明な、両親との思い出だった。黄金の瞳で生まれた娘を、慈しんでくれた。アネモネの説明した使命に理解を示しながらも、それでも娘の幸せを願ってくれた、大切な二人。



(また、竜の……)



 使命のことに想いが及んだせいか、場面が切り替わる。かつての栄華の時代が、瞼の裏に映る。竜とは、ヒト種が進化・発展した種族であった。魔力と呼ばれる力を宿し、魔法と呼ばれる技術を使いこなす。

 だが、絶滅した。

 あまりに発展し過ぎ、竜は次々と観測不能な高次元へと旅立ったのである。残った者たちも個としての意識を失うことが多く、子孫を設けることも難しかった。

 この対策に、いくつもの計画が実行された。竜としての性質を残し、個として成立するようにした。すると知性が失われ、魔物と称するしかない存在になった。竜の性質を抜き、二度と発展しないようにすると、ヒト種に戻った。だが彼らは自ら進歩することが困難になっており、同じ文明段階で停滞するようになった。最後が、竜の女王。ツガイを得て、個体として完成された竜を作り出すモノ。だが竜の女王が、稼働した頃には。

 他の竜は、もういなくなっていた。

 女王は人の社会に混じり、子を残し、ツガイを求めて転生を繰り返した。太古の物語を模してデザインされた、このドラグライト王国の中で。牢獄のような、この国の中で。何万年も。



(それも、もう終わる……。私が卵を産み、竜が生まれれば。もう女王は、生まれない。私たちは、ようやく、終われる……)



 無数の女王の記憶が、怨嗟のように流れ込む。国を維持するため、女王は見つかり次第、王族に取り込まれた。薄くなった竜の血を濃くするために、望まぬ結婚を強いられた。ツガイとなれるメディリアと結ばれたアネモネは、幸福な竜の女王である。

 だが。



(どうせなら死ぬ前に。私も恋が、してみたかった……)



 人として幸福だったかどうかは、また別であった。



(このままでは、素敵な恋ができるようにと送り出してくれた両親に、申し訳が……)



 また父と母の姿が思い浮かぶ。若くして命を散らすことが決まった、今。せめて彼らに報いたかった。幸せだったと、胸を張りたかった。



(恋って、どんな気持ち、なんでしょう……)



 秘密を隠して慎重に生き、誰にも心を開いてこなかった彼女には。誰かを強く求める想いが、まったく想像できない。



(メディリア様……)



 秘密を明かした、唯一安心できる相手は、しかし。同性で、愛せる気もしなかった。




 ◆ ◆ ◆




「アネモネ」



 自然と目が覚める頃、名を呼ぶ涼やかな声を聞いた。目覚めは心地よく、アネモネはすぐに身を起こす。トレイを持ったメディリアが、ベッド脇に立っていた。



「おはようございます。軽食とお茶を摂って、目を覚ましましょう」


「ぇ。なんでメディリア様が、そんな」



 挨拶を返すのも忘れ、アネモネは呆然と呟く。よく見ると、メイドはいない。



「メイドにやらせないのか、ですか? 一番出来る者が、あなたをもてなすべきでしょう」



 返事とともに、膝の上にトレイが置かれる。茶の入ったカップが2つと、少しの焼き菓子。さわやかな香り、油や甘い匂いが鼻腔を刺激する。



「ですが――――んむ」



 寝台に腰を下ろしたメディリアが、トレイの焼き菓子をつまんでアネモネの口に突っ込んできた。



「足りなければ、人手を使います。ですがあなたの残りの時間が、1分1秒でも幸せであるように。わたくしはできるすべてを、尽くしたいのです」



 カップを受け取り、程よい温度の茶を一口。口の中で菓子がほろりと溶けて、良い食感を残しながら喉の奥に消えて行く。



(とてもおいしい……それに、朝からこのもてなしは、嬉しいですね。でも)



 頭が冴えてきたアネモネは、そっと目を伏せた。



「…………なぜ、そこまで」


「これが恋、というものなのでしょうね」


「どうして、あなたは私に恋ができるのです? 私たちは、女同士なのですよ?」


「種族の違いに比べれば、些細なものではありませんか?」


「っ、確かに。私からすれば、あなたは子種のようなもの、ですが」



 言ってしまってから、アネモネは口を手で塞ぐ。礼を欠いたかと思ったが、目の前の王配は声を上げて笑った。



「こだ、子種……吐き出す存在ですらなく。いえ、たった一度となれば、その通りですね。あなたは面白い例えをしますね、アネモネ」


「面白いって……これは無礼というのでは」


「あなたが王なのですから、無礼も何もあるものですか。いっそ罵ってくださっても、良いのですよ?」



 艶やかに流し見るメディリアに対し、アネモネは思わず苦い笑みを浮かべる。成婚した昨夜から、メディリアは特殊な趣味を隠そうともしない。



「なぜあなたはそこまで……私に好意的、なのです。私の竜の本性が、そんなに魅力的なのですか?」


「いいえ?」


「え?」



 メディリアは、人の隠された本性を見たいという欲望を抱えている。暴き、抉り出し、叩きのめしたいという凶暴性を持っている。アネモネが人の顔の下に隠している竜の素顔に、彼女は確かに惹かれていたはずであった。アネモネもそう理解していたがゆえに、否定されて困惑した。



「昨日わたくしは、元婚約者の本性を引きずり出し、暴力で屈服させました。我が王よ、どう思われましたか?」



 メディリアの元婚約者は、この国の元第一王子ブラッド。彼はメディリアを貶めようとしたばかりか、父である王を殺害。しかも市民革命を起こし、国家の転覆を狙っていた。メディリアは彼と対峙し、その「被害者願望」の奥底に眠る、凶暴性を引き出した。そして襲い掛かるブラッドを、そのまま素手で制圧したのである。



「スカッとしましたね」



 その光景を思いだし、アネモネは簡潔に述べた。被害者願望を満たすため、失敗するとわかっていながら婚約者を貶め、身を堕とした男。そんな理解できない存在が、身も心も完膚なきまでに叩きのめされた。アネモネは王配メディリアを頼もしく思ったし、場を弁えず喝采したい程度には喜んだ。



「だからわたくしはあなたに、恋をしたのです」



 返答もまた、簡潔であった。アネモネはわけがわからず、首を傾げる。開いた口に、また焼き菓子が押し込まれた。



(わからない……メディリア様の恋愛観は特殊すぎて、まったく理解できません。この方と交わり、卵を産むまでに恋を知るには……私はいったいどうすれば)



 さくりと焼き菓子を味わいながら、竜の女王は想い悩む。竜を産む使命は、最優先。今もその本能が、目の前のツガイを押し倒せと訴えかけてくる。アネモネは意思の力でそれを抑圧しているが、いずれは抵抗しきれなくなるだろう。

 彼女の時間は、残り少ない。



(卵を産んで死ぬまでに、恋を、知りたい。私を人として生んで育ててくれた、両親のためにも。〝アネモネ〟という、一人の人間の、ためにも)




 ◆ ◆ ◆




(スカッとしません……ぼっこぼこではないですか)



 人払いされ、誰の目にも入れないようにされた練兵場。動きやすい恰好をしたアネモネは、地面に叩き伏せられていた。

 あれから数日。暇でしょうがなかった。やることがない。仕事があると思っていたが、「権威が強すぎて王がやることはない」らしい。人前に出ずとも権威と信用があるため、貴族たちが簡単に首を縦に振るそうな。だからメディリアの下、くらいまでで仕事がみんな片付いていると報告を受けている。宰相を任せた侯爵令嬢のスピリアや、将軍職に就いている辺境伯令嬢のアルティラは忙しそうだ。だがアネモネは暇で、王配のメディリアは24時間べったりと一緒にいる。貴族学園にも行けないので、勉強など教えてもらって過ごしていたが。さすがに暇が過ぎる。

 そんなある日。体を動かしたいと言ったら、メディリアが付き合ってくれた。



(なんということ。爪も牙も炎もまったく効かないなんて)



 完敗であった。挑発に乗って竜の力まで使っているのに、まったく歯が立たない。爪や牙など指一本で押さえられ、炎を吐いても肌どころか髪や服にも焦げ目すらつかない。



「魔法を、使えるのですね。メディリア様は」



 体を起こす。差し伸べられた手を掴むと、優しく引き起こされた。



「魔法と言いますと。魔物が使う、あれですか」


「元は竜の技です。魔力の制御方法ですね」



 人がかつて竜になる過程で、体得したエネルギー。魔力。それは電力よりも容易に生成でき、変換もしやすい夢のエネルギーであった。ドラゴンの体に変じ、これを維持することや、炎を吐くのにも当然使われている。魔物は元は竜であるので、当然にこれを使う。ただヒト種には残されていない力だった、はずだ。



(メディリア様の用いる魔法は、魔物のそれよりはるかに強力。竜である私と互角……いえ、もっと上ですね。私はこんなに、加減できない)



 アネモネは人の姿なら、女の細腕そのままの力しか出せない。だが竜の姿をとれば、山を消し飛ばすこともできる。ただし、その間はない。

 一方のメディリアは、ブラッドをほとんど傷付けずに制圧した。その上で、アネモネの全力も簡単に受け流してしまえる。魔力および、その制御能力が段違いである証拠だ。



「まぁ、魔力の制御なら得意です。気配や人の体調などもわかって、便利なのですよね」


(その領域まで……私は器用さを上げるくらいまでしか、できないのに。知覚・知性を制御できるなんて。とても賢く、気の利く方だとは思っていましたが。そういうこと、ですか)



 竜は魔力を利用して、生体コンピュータ網を組んでいたという。メディリアは魔力によって情報を得ている様子で、その竜の技に近いものを会得しているとみてよかった。高次元を知覚する〝神〟と呼ばれる存在に至る素質がある、ということである。



「それにしても、これほどの力を持つとは。『竜の女王のツガイに選ばれる女が、竜より弱いわけがない』と言っていましたが、納得です」


「ああ、ブラッドに言ったアレですね。確かにそう言いましたが……」



 目の前の王配が、珍しく歯切れが悪そうである。惑うような赤い瞳を見て、アネモネは小首を傾げた。



「アネモネは。わたくしが怖くは、ないのですか?」



 妙なことを聞かれ、女王は眉根を寄せた。



「メディリア様は、どこも怖くはないですよね?」


「あなたよりも強いのに?」


「強さが何か関係あるのですか?」



 当然のことを言うと、王配が目をしばたかせている。彼女はしばしアネモネを見つめた後、穏やかな笑みを浮かべた。



「おかしなことを聞いて、申し訳ありません。まだ体は動かしますか?」


「いえ、もう充分です」


「では体を洗って、着替えましょう。その後はお食事を」


「ええ。お願いします」



 歩いて練兵場から王宮を目指す。時折、隣の王配を盗み見た。



(恐ろしくなどは、ないですね。優秀で強く、優しくてかっこいい人。でも)



 メディリアは竜の女王のツガイとしては、これ以上ない人材。

 しかし。



(私としては。正直むかつくんですよね……なんで私が死ぬってわかってるのに、恋してる相手と長くいられないのがわかってるのに、こんなに幸せそうなのです? 理解できない)



 〝アネモネ〟はお気に召していなかった。



(あとぼっこぼこにされたの、やっぱり腹が立ちます)



 女王は密かに、魔力制御をトレーニングしようと決意した。




 ◆ ◆ ◆




 全身をマッサージされつつ、隅々まで綺麗にされた。



(気持ち良すぎて、ダメになりそうです……。いくら女王とはいえ、こんなに良い目にあって、いいんでしょうか)



 幾分か機嫌を直して部屋に戻ってきてみれば、当然のように食事が用意されていた。席につき、少しの祈りを捧げ、ナイフとフォークを手に取る。



「…………なんでしょう」



 なぜか、メディリアにじっと見つめられていた。



「お召し上がりください。さぁ」



 自分の分を食べだす気配のない隣のメディリアを、しばし胡乱げに見つめる。アネモネは、前菜のマリネをつつこうとして。



「……そういえば。メディリア様は、私に食べさせたりはしないのですね」



 なぜか真剣な顔をしている王配に尋ねた。



「それも乙ですね。お望みですか?」


「いえ…………そうですね」



 フォークを使い、あぶって薄くスライスされた魚で、器用にいくつかの野菜を包む。まとめて刺して、ソースが垂れぬようにメディリアの口元へと運んだ。



「メディリア様」


「わたくし、ですか……いただきます」



 アネモネの見ている前で、薄い唇が大きめに開けられ、フォークの先を包む。口が閉じたのを確認してから、アネモネはフォークを引き抜いた。フォーク越しに、唇が少しの力を加えたのを感じる。黙して食すメディリアが口内で立てる音を、アネモネはじっと聞き入った。



「どうでしょう」


「……おいしゅうございます」


(…………たのしい)



 照れながらも素直に喜ぶ伴侶を見て、女王はご満悦だった。



「ではもう1つ」



 アネモネは魚のスライスを巻いては、メディリアの口に放り込む。彼女の頬がほんのりと赤みを増し。しかし一枚食べさせるごとに、どこか不満そうに顔が歪んでいく。



(この方でも、私に対して嫌そうな顔をすることがあるのですね)



 アネモネは先ほど転がされた仕返しができたような気がして、少し気分が良かった。



「どうしました、メディリア様」


「……女王陛下にも、お召し上がりいただきたく思います」


「なるほど。口移しですか?」


「そっ、そのままお食べいただければ」



 耳まで赤くなるメディリアを機嫌よく眺めてから、アネモネは最後の一切れを食す。小さく、驚きの声が零れた。



「……私、自分の好みの味など、教えた覚えはないのですが」


「調べたわけではありません。ただ、お好みかなと想像して作りました」


(さては、魔力によって知った……? 知りえぬことを知るなど、記憶にある〝ドラゴンネットワーク〟でも実現できていなかったはず……。というかそもそも)



 王配の返答に、アネモネは隠さず驚きの顔を向ける。



「いつの間に作ったのです……」


「仕込みはお休みの間に。仕上げはさすがに、人を使いました」



 満足げに告げたメディリアが、ナイフとフォークを手に取る。



「このままでは、おなかが空いてしまうでしょう。お返しいたしますので」



 野菜を包んだ魚のスライスが彼女のフォークに刺され、静かにアネモネの口元へと近づいた。微妙に悔しい思いをしつつも、味を知った彼女は供される食事をするすると食べ続けた。「間接キスのし放題ですね……」という王配の呟きは、聞かなかったことにした。



(私はこの方を愛せないのに。愛でられて、喜ぶなど……)



 どうにも嬉しくてたまらず、その気持ちを悟られまいと必死で、それどころではなかったからだ。




 ◆ ◆ ◆




 アネモネは少々、癪だった。メディリアがあまりにも、幸せそうだからである。24時間べったり一緒にいて、何くれと世話を焼いてくる。それは不快ではないが、面白くもない。自分は恋ができないのに、自分に恋して幸福な相手を見るというのは、なんともむず痒かった。



(そのくせメディリア様は、私やご自身が竜の仔を産んで死ぬことに対し、なんら悲観的ではない……。そこが気に食わないのですよね)



 また。ちょっと前に、散々転がされたことも効いていた。軽い気持ちで外に出て、体を動かすこともしづらい。息が詰まったりはしないが、二人きりの生活は終始やり込められてる気がして、不満がたまった。



(ほんと。好いているくせに、どこか詰めが甘いというか。ちぐはぐというか)



 そうして少々の不満を発散するために、アネモネは街に出たいと訴えた。それは早々に実現され、二人でお忍びで王都に出て来たのだが。メディリアが、いなくなった。



(さっきまではいたはず、なのですけどね……また人助けでしょうか)



 露店で買ったパイをかじりながら、アネモネは木陰で伴侶を待つ。もう1つ買って持ってるのだが、渡すべき相手はまだ周囲に見えなかった。



(恋人、多いですね……)



 顔を上げれば、嫌でも男女の恋人や夫婦が視界に入る。噴水の設えられた広場は憩いの場となっているようで、老若男女様々な人たちがゆったりとした時間を過ごしていた。



(恋愛……きっと私にはもう、できないですよね。恋をしたいとは、思う。でも同性のメディリア様を愛せる気はしないし。他の方なんて、いまさら……)



 アネモネは、自分の17年ほどの人生を振り返る。異性との付き合いには、殊の外慎重であった。王族に手籠めにされ続けた竜の女王たちの記憶が、あったからだ。歴代の女王は愛し愛されるよりも、騙され裏切られたことの方がずっと多かった。

 ツガイを探すために貴族学園には来たが、周りの男爵家や子爵家の令息にも興味はなかった。第一王子や高位貴族の令息たちが寄ってきたが、彼らの愛のささやきも心に響かなかった。その奥の醜い内面が、皆、透けていた。



(あちらから寄ってくるから、男性とはそれなりに交流を持ちました。けれどどうしても警戒心が働いて、誰も彼も魅力的には見えなかった。そうしているうちに、メディリア様に出逢って……)



 彼らを泳がせていたら、望外なことにツガイが見つかった。それがメディリアだった。優秀で膨大な魔力持ち。おまけに都合の良いことに、王子たちの謀略で結婚相手を失った。しかもアネモネは彼女の、好みにあたるようだった。メディリアは表面と内面の落差が激しい、凶悪な本性を抱えている者を好むらしい。表情を繕うことが得意で、凶暴な竜の本能を秘めるアネモネは、メディリアのお眼鏡に適ったのだ。

 ツガイにと請うたら、喜んで引き受けてくれた。国を捧げて、自分の伴侶となってくれた。竜の女王としては、どこまでも喜ばしい限りだった。だが人の〝アネモネ〟としては。



(甘やかしてはくれますけど。むしろあの方といると、ままならないというか。じれったいというか。むかむかすることの方が、多いのですよね……)



 メディリアはアネモネを愛しているはずなのに、未来に迫る死別に対しては無関心。普段は24時間一緒のくせに、こうして外に出てきてみれば、放っておかれる始末である。アネモネは不満であった。



(メディリア様と恋なんて、できるわけがない……)



 今一度、広場の恋人たちを眺める。

 その一角から。



「俺と結婚してくれ!」


「――――はい!」



 そんな言葉とともに、歓声が上がった。暖かい拍手も沸き起こる。アネモネはそっと、左手の中指と薬指をすり合わせた。お忍びで外出するにあたって外してきたので、そこには今、指輪の感触はない。祝福される男女をじっと見ていると、人の輪の中から最近見慣れた顔の女が這い出て来た。



「…………リア?」


「ご、ごめんなさい。アニー。指輪探しを手伝っていて」


(なるほど。あの方の失せ物探しを手伝っていた、と)



 銀髪を帽子で隠したメディリアを、一瞥する。それから、女性の肩を抱き、照れたように頭をかいている男性のことを、そっと見た。



(泣いてる子やご老人を助けたり、馬車の車輪が溝にはまって立ち往生してたら一人で持ち上げたり。けが人や病人を見かければ世話したりと……善行は結構なことですが)


「あの、アニー? 怒ってます?」


「伴侶に放っておかれ、恋人たちの仲睦まじい様をずいぶんと見せつけられましたので」


「恋人……腕でも組みましょうか?」



 アネモネはすかさず肘を差し出そうとしたが、周りの人々が目についた。



「結構です。女同士がこんな街中でやってたら、奇異の目で見られるでしょう」


「ああ。男装してくればよかったですね」



 そう言う問題ではないと思ったが、ツッコミが面倒になったアネモネは、食べかけのパイをメディリアの口に突っ込んだ。さくりとかじられ、伴侶の驚きの顔が露わになる。



「んっ。これ、美味しいですね」


「もう1つ買いましたので、こっちはあげます」


「はい……その前に、ちょっと失礼」



 顔を綻ばせてそのまま包みごとパイを渡そうとしたら、王配が寄ってきた。メディリアの指がアネモネの頬をすっと撫で、そのまま彼女の口にくわえられた。パイに入っていたジャムが、アネモネの頬についていた、ようだ。



「ごちそうさまでした」



 満足げな顔を見て少々眉を顰め、アネモネはメディリアに一歩近づく。両手が塞がっているので、そのまま彼女の口元へ顔を寄せる。



「んっ。お粗末様でした」



 唇の脇をはみ、ベリーのジャムを素早く舐めとった。メディリアの顔が、ベリーよりも赤くなっていく。



(この方は本当に、私が好きなのですね……。私がもうできない恋を、メディリア様はしている……)



 その様子を見て。



(そうだ。なら、私の恋を、()()()()もらいましょう。人のために働くことを好み、恋自体を知っているメディリア様なら、適任です)



 アネモネの心に、昏い思いつきが沸き上がった。



「リア。私に恋を、教えてくれませんか」


「相手はわたくしで、構わないのでしょうか」



 思いつきをそのまま零してみれば、メディリアは前のめりに食いついた。ツガイがどんな顔をしているのかと思えば、どうにも真剣な顔であった。



()()()構いません。それが叶ったら。産卵に、入りましょう」


「分かりました、陛下」



 メディリアが軽く、しかし恭しく頭を下げる。そんな王配を見て、アネモネは胸のむかつきが抑えられなくなった。彼女の顔が上がるのを待って、広場の外へと歩き出す。



(恋を知ることができたら、もう未練はありません。でも)



 隣を歩くメディリアの顔を盗み見るも、特に不満そうでもない。



(この方は、私を好いているのに、私が死んでも良いと思っている。自分以外でもいいから恋をさせよと言われても、そのまま従う。私がそう望んだから、ではありますが……)



 ため息を飲み込むと、少し胸が痛んだ。



(どうしてそれを、許せるのでしょう……理解、できません)




 ◆ ◆ ◆




 恋を教えてほしいと言ってから、数日。アネモネとメディリアは、貴族学園に復学した。名目は王として、市井を忘れぬため。本当の目的は、「恋を知るため」である。



(メディリア様とだけ過ごしていると、何か押し切られそうな気もしますしね……)



 別に恋の相手はメディリアでもいいし、他に想い人がいるわけでもない。だがアネモネはメディリアに、恋に堕とされるのは納得がいかなかった。

 卵を産めば互いに死ぬとわかっているメディリアが、それを悲観する様子がないのは、やはり釈然としない。そして他の男を紹介しろと言われているに等しいこの状況で、メディリアはなぜか喜んで動き回っている。一度「寝取らせとは、次のプレイは実に高度ですね……」などと呟きよだれを垂らしていた。さすがに本気ではないと思いたいが、ドン引きである。

 〝ツガイ〟としては満点であるが、〝アネモネのお相手〟としては落第。それが彼女がメディリアに抱いている、偽らざる評価であった。ゆえにアネモネはメディリアに、メディリア以外の誰かを恋の相手として見繕わせようとしている。


 そうしてしばらくぶりに学園に行ってみると、遠巻きにされるかと思ったらむしろ人に囲まれた。貴族学園は身分ごとに、校舎が違う。女王のアネモネが通うのは、メディリアと同じ第五校舎だ。以前は男爵令嬢として、第一校舎で学んでいた。それゆえ知り合いは一人もいないのだが、わらわらと人が寄ってくる。彼らはメディリアに挨拶し、ついでに自分とも挨拶を交わす。女王を紹介してほしいという向きもあるようだが、多くはメディリアに会いに来ているようだった。

 伴侶が人気で結構なことではあるが、放っておかれているような気もして、表情の仮面の下でアネモネはむっとした。



「陛下。こちらが――――」



 人もまばらになった頃、メディリアに令息を数人紹介された。アネモネは表情をころころと変えながら応対する。しばらく使っていなかった表情筋は、それでも長年に渡って馴染ませた動きを滑らかに見せた。彼女は多くの竜の女王の記憶をもとに、顔色の仮面をかぶるのを得意としていた。



(人と話すのって、こんなに疲れるものでしたっけ……)



 挨拶と多少の歓談を終えてから、アネモネはメディリアを伴って教室へと歩き出す。誰も周りにおらず、視界にメディリアしか映らないことを確認してから。僅かに、表情を緩めた。



(彼らの中から、私の恋のお相手を見繕うということでしょうか)



 緊張が解けたアネモネは、ふと当初の目的を思い出した。そして、本気でメディリアが自分に男性を紹介する気なのだとわかり、少しのムカつきが胸に宿った。



(恋の予感って。こんなに嫌なものなのでしょうかね……)




 ◆ ◆ ◆




 メディリアの手配で、茶会や、夜会にも出た。建前を取り繕いつつも、メディリアを伴ったアネモネは、それらを楽しんだ。

 学園も含めてやりとりを続けた結果、二人の令息との親交が残った。アネモネと男性だけで会う少々退屈な交流が、幾度か続いた後。



「アネモネ様は、どのようなご意図で我々と付き合われるのです?」



 ある日の茶会で、令息にそのように聞かれた。相手が自分に気があるのは、アネモネもさすがに気づいている。その上で、今後の関係をどうするかを問われたのだ、と彼女は理解した。



(そんなこと聞かず、うやむやにして愛を囁けば良いものを……。この方は誠実ですね)



 茶を一口飲み、視線を少し外す。表向きの理由はあって、説明してある。本当のところは「恋を知りたいから」であるが、それを言うわけにもいかない。



「王における側室、のような者を求めているとか……そのように噂する者もいますが」


「側室……」



 重ねて問われ、アネモネは少しだけ眉を顰める。アネモネの場合、卵を産むために必要なのはメディリアと決まっている。メディリア以外の相手を娶る意味は、まったくない。



(メディリア……)



 だが。そのメディリアは、自分を男性に紹介し、付き合いを後押ししている。二人きりで会うのを、止めることもない。むしろメイドのように世話をし、自分を着飾って送り出した。恋を教えよとは言った。だが明らかに、彼女以外の誰かと結ばせようと、仕向けているように見える。

 そうせよと命じたのは、確かにアネモネである。だが納得いかない。



(私が死ぬこともいとわなければ、私が誰かに心を傾けることも、あの方は……)



 自分の都合で伴侶とし、死の運命を背負わせ、その上で愛せないとまで言った。酷いことをしていると思う。嫌われても仕方がない。なのに、メディリアはむしろ好意的である。

 だが一方で、彼女はアネモネが卵を産んで死ぬ未来に対して、悲嘆に暮れることもない。率先して浮気の場に送り出し、悩む様子も見えない。アネモネにはメディリアの胸の内が、まったく想像できていなかった。



「私の伴侶はメディリアと決まっています。ただ彼女といるだけでは、国家元首として思考が凝り固まる。ゆえに交流を持たせていただいていると……そう説明しませんでしたか?」



 令息の問いかけに対して思う浮かぶのはメディリアへの不満ばかりで、彼への想いは何も湧かなかった。困って建前を述べると。



「ああ、いえ。それは覚えております。ですが。お気持ちにご不安、ご不満がおありなら、と」



 少し踏み込んだ返答をされた。気持ちとはすなわち、メディリアとの間の愛情である。アネモネは目の前の男に、愛人になっても良い、と言われたのだ。



(ブラッド王子たちと話していたときと……似ていますね。彼らはもっとストレートに、気持ちを伝えてきましたが。やはり心が動くことが、ない。

 いえ……でも)



 カップを置き、ゆっくりと顔を上げる。日増しに、「ツガイと交われ」という竜の女王の本能は強くなっている。いつ我慢の限界が来るか、まったくわからない。アネモネは迫る終わりの時までの短い間に、どうしても恋が知りたかった。自分の人生は幸せであったと、そう残したかった。



(この方は、わかりやすい。メディリアより、ずっと。恋を知りたい、ならば。私から踏み込まねば、ならないのかもしれません)



 ここにいない伴侶の姿を思い出し、そっと胸を押さえた。



「明後日の夜会、メディリアは忙しいらしいのです。エスコートしてくれる方を、探しておりまして」




 ◆ ◆ ◆




(メディリアは、やっぱり何も言わない……)



 そのメディリアの手によって見事なドレスで着飾られ、アネモネは夜会に送り出された。王配は変わらず、何くれと世話を焼いてくれる。けれども一方で、アネモネを男性に押し込み続ける。これがアネモネの命じた「恋を教えて」という願いに基づいたものなのは、わかる。だがメディリアの気持ちが、まったくわからない。恋や幸福を知るどころか、不満が募るばかりであった。



「情報通り。ほんとに来たわね、アネモネ」


「スピリア、様? アルティラ様も」



 馬車を降りたところで待ち受けていたのは、件の令息ではなかった。二人の令嬢。赤毛の宰相スピリアと、緑髪の将軍アルティラ。二人とも、夜会に出るといった装いではない。



「アネモネ。この夜会で、あなたエスコートを頼んでるでしょ? ネイト家の令息に」


「ええ、まぁ」


「申し訳ないんだけど、出るのやめてくれない?」



 赤髪の令嬢に言われ、アネモネは思わず目をしばたかせた。



「何かあったのですか?」


「それはこっちが聞きたいわよ。あなたが側室探してるって、噂になってるの。令息エスコート付の夜会になんて出たら、メディリアとの不仲の噂が止まらなくなる。そんなことあり得ないってわかってるけど、それは困るのよ」


「どうしてこのようなことをなさるのです? 陛下。メディリアもだんまりでして」



 スピリアとアルティラに問い詰められ、少し迷ってからアネモネは口を開いた。



「メディリアに〝恋を教えてほしい〟と、そう頼んだのです。私は女性を愛する趣味はないので。今回の件は、その一環です」


「え? なんで? あんなにメディリアのこと好きなのに?」


「はい? 私は彼女を愛していませんが」


「嘘を吐くのは感心しないなぁ、女王様」


「嘘などついていません」



 スピリアに言われ、アネモネは思わず眉根を寄せる。



「陛下。メディリアがでろでろになるほど、愛を注いでいるではないですか」



 アルティラが進み出て、言葉を引き継ぐ。だがアネモネは、首を傾げた。



「覚えがありません……」


「では普段メディリアにしていること。私やスピリア、これから会う令息にできますか?」


「普段……?」



 何かしているだろうかと、アネモネは閉じた扇の端を額に当てる。

 そもそも、されていることの方が圧倒的に多い。着替えや入浴の世話、食事も全部メディリアが用意している。学園でも一緒で勉強も教えてもらっており、茶会や夜会に行く手配もすべて彼女がしている。食事を彼女の口に放り込んだり、自分からもマッサージをしたり、メディリアは体温が高いので抱き枕にして寝付いたりもするが、特別なことは何もしていない。



「ご自覚がない、と。では別の質問をしましょうか。仮に、彼女がどこかの令息と今日踊りに行くとし――――」


「あり得ない仮定はやめてください、アルティラ様」



 食い気味に言い切ってから、アネモネは扇を開いて、誤魔化すように口元を隠した。



「メディリアは、私と結婚してから誰とも踊っていません。夜会に一緒に行っても、私のエスコートをするだけです。女性同士で踊るのはよく見られないだろうって、踊ってくれませんし。誰の手も、とりません」


「ならアネモネもせめて、他の人と組むのはやめたげてよ。私としてもさ。アネモネとメディリアの国を作ってる途中なのに、こんな噂が立つのは困るんだよ」


「私たちの国……?」



 スピリアの言葉に、思わず口元が歪む。卵を産み、孵れば、二人はいなくなる。もちろん、スピリアもアルティラもその事情は知っている。だというのに、アネモネとメディリアが治める国を用意しているのだという。そろそろ、竜の女王の本能を抑えるのも限界が近い。二人が王国を治める未来など、来るはずもないというのに。

 扇をパチン、と閉じて、アネモネは笑みを見せた。



「私たちの()の国、の間違いでしょう」


「あれ…………?」



 アネモネの返答に、なぜかスピリアが首を傾げる。アルティラと二人で、顔を見合わせ。



「あー……これはもしかして、野暮なやつだったかしら」


「我々もまだまだ、あの怪物への理解が甘いですね」



 そうして振り返り、二人とも歩き出した。



「あ、あれ? ちょっと?」


「今日の夜会は楽しんでおいで。後はやっておくから」



 スピリアが言葉を残し、手を振って去って行った。



(意味が、わかりません……)




 ◆ ◆ ◆




(気になって集中できないのですが……)



 エスコートされて会場入り。リードされつつ、そつなくダンスを踊る。すぐ近くでささやかれる甘い言葉には、表情の仮面をかぶって建前を答えた。確かに、踏み込んだ甲斐はあった。胸は高鳴っている。それは踊って得た高揚によるものだけではない。だがその気持ちは、幾人か踊った令息たちがもたらしたものでは、なかった。



(二人は何かを、知っている……メディリアは何かを、隠している?)



 先のスピリアとアルティラの様子が、何度も脳裏の隅をちらつく。



(メディリア……今日は送ってもくれませんでしたし、この会にも出ていない。予定もそういえば、聞いていない。

 いま、どこに)



 自分で言いきった「あり得ない」仮定が、頭の中で静かに首をもたげる。ステップを踏む勢いのまま、たびたび庭に駆け出したい衝動に駆られた。強い不安が、ずっと消えない。踊るたびに、それは大きくなる。音楽の刺激が、不快をすら伴う。汗や、言葉が、嫌で。我もと手を差し伸べる男たちが、嫌で。



(十分踊ったし、もう帰りましょう)



 夜会は始まったばかり。休憩を挟んで語らい、長く続くものである。主賓であるアネモネが急に帰るわけにもいかないが、彼女は一刻も早くその場を離れたくなっていた。

 曲が終わる。礼をとり、アネモネは次の手が伸びる前に、振り返って歩き出した。スカートの裾を持って急ぎ足で、輪の中から離れようとする。





「失礼。お疲れでしょうが、一曲お付き合いいただきたい」





 彼女の正面から、涼やかな声が掛かった。銀髪、赤い瞳の、見たこともない美しい令息。物腰は柔らかであったが、呆気にとられた瞬間に強引に手を取られた。次の曲が、始まる。情熱的な調べが、ホールを包み込む。アネモネは名も告げぬ相手に、巻き込まれるように踊りの輪に戻された。



「すみませんが、私はもう――――――――」


「あなたのために用意した会なのです。そう言わずに」



 我に返ったアネモネが、曲の合間で出ようとすると、また引き戻された。赤い瞳と、透明な肌が近くにあって。囁くような、その声は。



「メディ、リア……?」



 アネモネの伴侶のものに、間違いなかった。



「準備に手間取りまして、遅くなりました。アネモネ」


(準備って、男装!? 全然気づかなかったし、今見てもわからない……)



 よく見れば女性らしいラインが見え隠れしているが、それにしても普段と違いすぎる。銀髪は撫でつけられ、顔立ちも化粧で少し変化を持たせているようだった。もともと背も高く鍛えていることもあってか、紳士服がよく似合っている。何より、リードがとても力強い。荒々しくも実に器用、振り回されるのに安心する。自然、息も上がり、鼓動も高鳴った。



(これが……)



 そばにいると、彼女の体の動き、感触、香り、囁きや息遣いが洪水のようになだれ込んでくる。身を離せば、音楽も周りの光景もまったく意識に入らず、すべては灰色でくすんで、彼女だけが色づいていた。



(これが……!)



 触れているのに、離れているかのように胸が締め付けられて切なくなる。離れているのに、抱きしめられているかのように頭や腰の奥が甘く痺れる。手に、肩に、腰に触れられ、掴まれ、撫で上げられるたびに、背筋を歓喜が昇った。


 めくるめく時間は、あっという間に過ぎ。曲の終わりに合わせ、二人は礼をとりあった。そのたった三分の間に。



「まだ……」



 〝アネモネ〟は、恋に堕ちた。



「まだ私は、満足していません」



 自ら手を伸ばす。離れていることが、我慢ならなかった。



「ご満足するまで。七日七晩でも、お付き合いいたしましょう」



 すかさず手をとられ、抱き寄せられた。幸福が体の奥底から、無限に湧き上がる。女王の本能とはまったく異なるそれが、人として生きていることを強く実感させた。



「でも」



 アネモネは伴侶の手を、固く握り締める。



「人がいるのは、嫌です。二人きりがいい。あなたと。メディリアと、二人だけがいいです」


「わかりました。参りましょう」




 ◆ ◆ ◆




 夜会を抜け出し、竜となったアネモネは空を駆けた。その背にメディリアを乗せ、空を自由に飛んだ。はしゃぐメディリアを楽しませ、目についた山の頂を目指す。メディリアを降ろしてから、自らも人の姿へと戻った。暗い中だが、夜目の効くアネモネには、嬉しそうな様子の男装の麗人の姿がはっきりと見えていた。



「ひどいお人」


「格好のことでしょうか? 似合いませんか?」


「違います。こんな恋の教え方を、するなんて」



 振り返ってみれば、単純なことであった。メディリアは、アネモネを自分から離すことで、その気持ちに気づかせたのだ。あの令息も、茶会も夜会もみんなみんな、この女の仕込みであったのだろう。宰相や将軍にも内緒で、女王に恋を教えるためだけに、そう手配したのだ。



「私が誰かに取られるかもって、思わなかったんですか?」


「誰にとられても奪い返す。あなたはわたくしのものです。アネモネ」


「とられません。あなたがそうで、あるように」



 歩み寄って、彼女の肩に頭を預ける。



「でもどうして……どうして私を、人に押し付けるような真似を、したのです」


「卵を孵す段階で、わたくしは死んでしまう。あなたはそれが嫌で、気持ちに蓋をしているのだと、わたくしはそう考えました」



 メディリアは、アネモネが彼女に恋しており、その気持ちを抑えていると看破していた、ようである。確かに今は、強く締め付けられるような、熱い恋心があるのがわかる。だがこれはつい先ごろ、自覚したものだ。



「最初から私があなたに惚れていると、そう見ていたのですか? なぜ」


「アネモネは、わたくしの前では表情を取り繕いません。気づいてませんでしたか?」



 思わず自分の頬に手で触れる。確かにメディリアには、感情のごまかしを行っていなかった。おそらくは、竜の本性を見破られた時から。



「だからって、あなたが好きだとは、限らないでしょうに……」


「いいえ、とても好まれてました。そもそもいやな相手なら、24時間べったり一緒にいるのは無理です。家族でも難しいですよ? それとも私といて、不快でしたか?」



 アネモネは、額を、頬を擦り付けるように首を振った。彼女のほのかな汗の匂いすら心地よくて、山頂に拭く風から身を守るように、身を摺り寄せる。



「なので少々強引ですが、お気持ちを揺さぶらせていただきました。失うかもしれないという不安に向き合えば、あなたは恋を自覚するだろうと。いかがでしたか?」


「……………………知りたく、ありませんでした」



 メディリアの体を、爪を立てるようにきつく抱きしめる。



「こんな想いを、抱いて、しまったら。竜の女王の本能が、抑えられない……! あなたを失って、しまうのに! もっとそばにいたいのに!」


「抑えなくて良いのです。もっともっと、わがままで」


「嫌です! あなたは嫌ではないのですか! 私が死んだら!」


「もちろん嫌です」


「だったらなぜ!」



 声が震え、感情が昂り、言葉の続きは出なかった。



「わたくしもわがままだから、ですよ」



 美しい顔が、すっと近づいてくる。



「わたくしの内なる怪物を許してくれる、あなたが欲しい。その身も心も。子どもだって、いち早く何人でも欲しい。いっそ、わたくしを孕ませてほしいくらいです」


「ですが……!」


「永久にだって、一緒にいて見せます。大丈夫ですよ。信じられませんか?」



 アネモネは俯き、迷う。



「ならば。なんとか今一度、そのお気持ちを我慢しますか?」


「そんなこと、もうできません」



 息を吸い、顔を上げる。

 隠さない、取り繕わない、笑顔と涙を見せた。



「私を好きな、あなたが好きです。

 少しいじわるな、あなたが好きです。

 何でも知ってて、頼りになるあなたが好きです。

 男装は素敵ですが、いつものドレスの方がずっと好きです」


「女性は愛せないのでは?」


「あなたしか愛せません」



 涙が拭われる。赤い瞳が、近い。



「メディリアは?」


「あなたしか、愛せませんでした」


「嘘。ブラッドに愛してるって言ってました」


「そんな昔のこと、忘れてしまいました。忘れさせられて、しまいました」


「それは良いですね。このまま私のこと以外、思い出せなくさせてあげます」


「ちょ、ここで!?」


「もう我慢できませんので」



 風邪を引くから帰ろうと、必死になって説得されたが。その様子があまりに可愛いので、「竜は風邪などひかない」と言って、口を塞いで黙らせた。



(もう、悔いはない。私が死んでも、あなたがいなくなっても。私は、あなたとの子が欲しい。

 私は、幸せです。メディリア)




 ◆ ◆ ◆




 しばらくして。

 卵は宿った。宿ってしまった。

 そして卵は産まれた。産まれて、しまった。

 白銀に輝く殻に、黄金の模様が差している。

 そのこぶし大の卵は、ツガイの魔力を吸って大きくなるだろう。

 アネモネは生誕を待つ我が子を、ぼんやりと眺めて。







(――――――――え? 私は、なぜ、生きて)







 見ることはないと思っていた卵を、伴侶に渡され。

 そっと、抱いた。


 そうしてようやく、思い至った。

 全部が仕込みだった、令息たちの紹介。自分よりも、本当はずっとずっと強い、ツガイ。用意されている「アネモネとメディリア」の王国。しばらく前に、宰相スピリアと将軍アルティラが見せた妙な様子。自分が教えていない好みなども含め、魔力で知りえぬことすら知る、伴侶。

 すべては繋がっていたのだと。

 だから彼女は一度も、愛するアネモネが失われると、恐れなかったのだ。



「こうなるってわかってて、黙っていたなんて――――ひどいお人」


「言っていたら、何年手を出されなかったか、わかりませんし」



 何もかもが、〝アネモネ〟に「恋を教える」ための、計画だった。メディリアは最初から互いが死ぬことはないと確信していて、アネモネの気持ちを煽るために黙っていたのである。



「わかりました。お望み通り、年中生涯、手を出してあげます」


「産後ですからご自重くださいませ!?」


「こんなことされて、我慢できると思っているのですか?」



 本性を暴く怪物(ツガイ)によって、本当の恋心を暴かれた竜の女王は。



「愛しています、メディリア」



 望むままにその愛を、己の選んだ伴侶に注ぎ込んだ。



「私の恋心が尽きるまで、付き合ってもらいますからね? 永遠に」




 卵は無事に孵った。二人の子どもを、二人で迎えた。

 その次の子も、また次の子も、二人で迎えた。

 どれだけ多くの子に囲まれても。

 二人の恋は、終わらなかった。




 ◆ ◆ ◆




 竜の女王は、失敗作である。

 必要とされる〝ツガイ〟には、明らかに竜を超えるスペックが求められる。

 そんな存在は、絶対に生み出されるわけがない。


 だが、もしも。

 そんなモノが現れたのならば。


 女王は望む限り卵を産み、竜の再興をもたらすであろう。




 ◆ ◆ ◆




 お読みいただき、ありがとうございます。

 本編にて、シリーズ終幕となります。

 お付き合いいただき、まことにありがとうございました。



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なるほど竜の女王っていう魂とアネモネという人格はある種別の人格だったのね・・・そしてアネモネは鈍ちんだったと
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