第49話 禍福
※最終話のタイトルは、『禍福は糾える縄の如し』から取りました。
災禍と幸福とは糾った(縒り合わせた)縄のように表裏一体であり、互に来るものである。災いが転じて福となり、福が転じて災いとなることがあるもので、人の知恵で計り知ることはできない。
○●
「また悪夢ですか」
「うん……なんでだろう」
ある日の昼下がり。
王子の寝室に呼び出されたルシアは、ベッドに寝たままの王子を横目に、ゆっくりと部屋の壁際を一周歩く。
傍らには、白虎姿のヒスイがのしのしと追従している。王宮内では魔法師団所属の『虎』として、通行証代わりに騎士団紋章を首輪から下げていた。その存在はすっかりお馴染みになり、護衛の近衛騎士たちが触りたそうなのを必死に我慢しているのが、可笑しい。
「殿下。騎士任命式へ臨む際のお衣装について、いつものオートクチュールを却下されましたね」
「え? ああうん。このご時世に華美が過ぎると何度も言ったんだけど、聞いてくれなくて仕方なく」
「その恨みが澱んでございます」
「はあ、なるほど」
身を起こそうとした王子を、ルシアは止めた。
「どうかそのままで」
四隅に盛り塩を置き、澱みが溜まりやすいベッドの枕元へ破邪の呪符を貼り、刀剣の構えで真言を唱えると――部屋の空気が少し明るくなった。
「これで二、三日様子を見てみてくださいませ」
「うん。ところで、ジョスランは元気?」
「さあ。しばらくお会いしていないので」
「ええ⁉︎ 婚約者なのに?」
「違いますが」
「嘘でしょ」
ガバリと王子が飛び起きた。目の下には真っ黒な隈があるが、目には光が戻っている。
「なんで? あれ? 婚約届に、陛下サインしてたよね⁉︎」
「あー。その。期限切れで」
「作り直そう!」
「いえあの、忙しくてですね。とてもそんな余裕は」
王子は、ぐしゃぐしゃと両手で頭を掻き回してから、ぼすりと枕へ倒れ込んだ。
「もう! マルスの分まで幸せに……とか贔屓したいけど、クロヴィスも頑張ってるしなあ」
「何のお話です?」
「なんでもない。ルシア嬢も、恨まれているかもよ。団長も副団長も、すごくモテるんだから。こないだの夜会なんてさあ」
「……殿下。お元気になったようで何よりです。他の任務がございますので。申し訳ございませんが、これにて」
ピシャリと遮ったルシアを咎めず、顎だけで了解の合図をする王子は、明らかに「仕方ないな」という顔をしている。
ルシアは丁寧なカーテシーをして部屋から出ていく。
その背中に、
「エディットに相談しよう」
と王子の独り言が聞こえたが、ルシアは聞かなかったことにする。
王宮の廊下をヒスイと共に歩いていると、目線の先に騎士服姿のジョスランとクロヴィスを見つけた。ふたりとも軽く手を上げ、こちらへ歩いてくる。
立ち止まったルシアと向かい合わせになったジョスランは、
「間に合わなかったか」
と残念そうな様子だ。
ルシアが首を傾げると、クロヴィスが
「久しぶりに、祓うところが見たかったんですが」
と笑う。
新生騎士団の団長と副団長は、王国中の騎士団支部や屯所を回っていて、忙しい。
今まで地方は領主や班長任せで、放置――好き放題ともいう――されていたのもまた問題視された。旧体質を変えるため定期的に訪れたり、王都の部隊と合同訓練するような取り組みを作ろうとしている。
その間ルシアは、相変わらず貴族たちから上がってくるお見舞い係への要望に応えるため、奔走していた。
三人揃って再会したのは、実に三ヶ月ぶりのことだった。いつの間にか、新しい年を迎えようとしている。
「本当の用事は、なんです?」
「……バレたか」
ジョスランが、ヒスイの頭を撫でながら居心地の悪そうな顔をすると、クロヴィスが眼鏡を指で押し上げ軽く息を吐いた。
「隠し事はできませんね。どうかそのまま『封じの塔』へ。行きましょう」
「承知いたしました、師団長殿。わたくしは部下なのですから、そのように扱ってくださいと前々からお伝えしているはずです。他の部下ができた時に、示しがつかなくなりますよ」
「っ、う、ん。そう、だったな」
ルシアが上司命令に素直に従って踵を返すと、クロヴィスの肩を、ジョスランがぽんぽんと叩いて慰める。
財務省と騎士団本部は本格的な再建工事中で、まだ立ち入りが許されない。
そのため魔法師団はとりあえずランのいる塔――封じの塔と呼ばれている――で魔法研究を進めつつ、魔力を持つ人材を集めている段階だ。
長い石の螺旋階段を登り、結界扉を正しい手順で開けると、黒いローブ姿のランが書物を片手に本棚の前に立っていた。
「やあ。よく来てくれたね」
半身悪魔であることには慣れたようで、少し伸びかけの髪は後ろで結んでいる。
挨拶を済ませ、部屋の様子を何気なく見ていたルシアは、丸テーブルの上に載った水晶玉が、時折キラッと鋭い光を放っているのに気づいた。窓から入ってきた太陽光を反射しているのかと目を細めたが、どうやら違う。
(なんだろう。胸がざわつく……)
「さすがルシア嬢、気づいたんだね」
「ラン様、これは」
「凶位を、占ってみて」
ルシアは素早く、この国の暦を頭の中に思い浮かべる。
王族の記録から、建国の年を一年目として導き出した新年の本命星は『七赤金星』。それを方位盤――ルシアが前世の知識でもって作らせた、木製のもの――の中宮に回すると、西が『暗剣殺、本命的殺、天道』と出た。ルシアは手近にあった紙にそれをメモしながら、戦慄する。
「西で、何かとてつもなく悪いことが起きようとしている……!」
暗剣殺とは最凶の方位であり、これを犯すと剣難にあって、主人は使用人に、親は子に殺されることがあるという。
本命的殺とは、大凶の方角とされ、これを犯すと災難にあう。
天道は、凶方位を相殺する陽の力だ。
方位盤とルシアの文字を見たランが、ボソリと呟く。
「うん。僕の予感と一緒だね。そして天道というのはきっと、君たちのことだ」
「ならばすぐにでも、西へ向かわなければ」
ルシアが顔を上げると、ジョスランもクロヴィスも、眉根を寄せている。
「やれやれ。俺たちが何か言う前に、結論が出るんだもんな」
「出番なかったですね」
「そんなことは……一体、西で何が起こっているというのですか」
ルシアが問うと、ジョスランは後ろ頭をポリポリと掻いた。
「西の隣国――ガルガンディアと辺境伯との密約は、辺境伯独断でのこと。本人死亡により破棄されたはずなんだが……」
言い渋るジョスランを、クロヴィスが補足した。
「ええ。それに関連していた、我が王国ルシュール保有の、西の国境の鉱山なのですが。慎重な調査の結果、どうやら魔素溜まりがあるようです。ということは鉱石だけでなく、魔石が採掘できるかもしれない」
「魔石……?」
ルシアが首を捻ると、ランがおもむろに本棚から一冊の本を取り出し、とあるページを開いて手渡す。
「この本によるとね。魔法があった頃の世界では、魔石というのは二種類あった。魔素が鉱石に吸着して、魔力を持った石に変化したものと、魔獣の体内に魔素が蓄積されて結晶化し、討伐したら獲られるもの。今回の場合は前者だね。どちらも性質は同じで、魔力を通すと光ったり熱エネルギーを発したり、工夫して魔法を強力にしたり……魔道具というらしいんだけど。それに使う資源」
「そんなものが見つかったとしたら、喉から手が出るぐらい欲しがるはず」
「うん。今となっては、魔石資源を見込んで辺境伯と密約を結んだのだと思っているよ」
ランの言葉を聞いたルシアは、本から目を上げないまま、自分の考えを口から発した。
「……また新たな争いの種……にはしたくない。新たな貿易を、平和に話し合いに行きます!」
それからしばらく書物に夢中になっていたルシアの耳に、紅色の目の騎士がそっと近づいて囁く。
「俺の馬なら酔わないしな」
「ひっ! ヒスイに! 乗りますから!」
慌てて顔を上げたルシアに、ジョスランは悪戯っぽい顔で両手を上げ、降参のポーズをした。
「それは残念」
○●
西の辺境伯となった長男のダニオ・ギルメットは、父親そっくりの低身長で手足が短く、横幅のある体格で、父親以上に欲深い性格であった。
魔石資源奪取のため、ギルメットと姻族関係を結ぼうと送り込まれた、隣国のガルガンディア第五王女は、十六歳で世間知らず。
交流のためと開かれた夜会において、長身で容姿端麗かつ王弟の息子というジョスランに、あろうことか一目惚れしてしまう。ダニオの見た目にも所作にも嫌気が差していたワガママ王女は、その場で声高に婚約破棄を宣言。ダニオはジョスランを逆恨みするに至った。
激情の赴くまま大暴れし始めた辺境伯は、ジョスランたちを口汚く罵るだけでは飽き足らず、あわや隣国王女へ開戦宣言か、というその時――ルシアがキレた。
「蛆虫の次は、ダニかっ! その脳みそは、お飾りか⁉︎ 血を吸うだけの、害虫め!」
ルシアはジョスランたちにだけ聞こえるように罵声を発すると、白虎姿のヒスイを率い、ダンッダンッと足音を響かせながらダンスホールの中央へ出ていく。
ジョスランとクロヴィスはルシアの反閇を見て、ダニオを強制的に排除――剣技での血祭りか魔法での火炙りか――することを思いとどまることにした。
出席者たちが何事かと息を呑んで見守る中、ルシアは大きく右手を抜剣の要領で振り上げ、刀剣の構えをする。
「ルシュール王国魔法師団所属、お見舞い係! この場の穢れを一切合切、お見舞いいたしましょう!」
騒然となっていたダンスホールは、舞踊のようなルシアの所作と躍動する白虎の迫力、それから心を鎮める真言で理性を取り戻し、人々はその清らかさと神々しさに目を奪われる。
その間ジョスランとクロヴィスは素早く動き、騎士団権限においてダニオを外患誘致未遂罪――外国と共謀して王国内に武力行使を誘発する罪――として強制的に捕縛。貿易交渉は適した人間によって、粛々と進められていくこととなった。
――こうしてお見舞い係は、この異世界の禍を、祓い続けるのだ。
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