第41話 幽閉
連行されていくルシアを追いかけようとしたジョスランとクロヴィスの前に、騎士団長ガエルが立ち塞がる。
「くそ、どけ!」
化け物とほぼたった一人で対峙し、戦い切ったジョスランには、歯向かう気力はあるが団長を押し除けるほどの体力は残っていない。
「……どいてください」
特にクロヴィスは、ルシアを抱えて二階から飛び降りたダメージが、今頃になってじわじわと体に襲いかかってきていた。膝だけでなく、腰や肘、肩に至るまで、あらゆる関節がギスギス言っているようだ。自分の手のひらであちこちさすって痛そうにしている。
団長は冷たい目でふたりを見つめると、感情を限界まで排除した声で、告げた。
「どかぬ。貴様らも、事情聴取だ。喋る元気はありそうだな。騎士団本部へ来い」
「なんだと!」
「っ、なぜルシア様を捕縛など!」
義理の父親に猛然と抗議する若い宰相補佐官を、バラバラとやってきた騎士たちが白い目で見ている。
「怪しげな術を使ったのは、事実だろう。周りを見ろ」
疑う態度を隠そうともしない騎士連中を見たジョスランは、たちまち顔をしかめた。
「理解できないものを、否定しているだけだろう!」
赤い目が、忌々しそうにクロヴィスを見やった。
「清廉潔白で、真面目一辺倒。王国へ忠誠を誓い、剣に正義を乗せる。副団長は、俺が一番苦手な人種だからな!」
「それは、よく知っている。ルシア様を先に連れて行ったのも、私たちと口裏合わせをさせないためだろう」
「チッ。だいたいなあ! クロがあんな奴を副団長に押し上げるから、騎士団がガチガチになったんだろうが!」
「私のせいか⁉︎」
口論をしながらガエルの後をついていく、剣狂と宰相補佐官を見た騎士たちは、
「いやそれより、この化け物どうしたら……」
「うへえ、燃やせばいいのか?」
と、途方に暮れるしかできない。
騎士たちの足元で、白トラ猫がにゃあんと鳴くと、どこかへ姿を消した。
○●
「ここ、嫌な空気ですね」
ルシアが連れてこられたのは、裏庭の最も奥にそびえ立つ石造りの高い塔だ。入り口の天井付近には、鉄の落とし格子の足がチラリと見えていて、分厚い木の扉を開けた先には洞窟の入り口のような真っ暗な穴が見える。騎士が手燭に火をつけると、先が見えない螺旋階段の、最初の数段があるのが分かった。埃臭さで顔をしかめながら見上げると、ほんの小さな明かり取りの窓が天井付近に開けられているだけで、薄暗い。昼過ぎでこれならば、夕方以降は真っ暗闇だろう。
先に登った騎士が行き先を照らすと、ルシアを縛る縄の先を持つ騎士は、事務的な声で「登れ」と告げる。
ルシアは、素直に従った。
塔への幽閉は、貴族待遇ということであり、牢獄でないことにとりあえずの感謝をする。
「先程の戦いで、疲れています。ゆっくり歩くのを、お許しください」
「……分かった」
慣れない戦いの場で、ルシアは全身に力が入りっぱなしだった。
騎士演習場での悪魔召喚でも、財務大臣の異形化でも。戦況を読むことができず、結界を張るので精一杯。訓練と実践は違うというのを痛感した。
(練習、したのに)
バルビゼ領の森の中で、ジョスランと過ごした数日間を振り返る。緊急事態だったとはいえ、何も活かすことができなかった。
戦いだけでなく、鬼門を修正し風通しをよくすることばかりに気を取られて、罠の可能性が抜け落ちていた。常に警戒しなければならなかったのに、と考えれば考えるほど悔しさが湧いてきて涙が滲み、何度も鼻をすする。
騎士は、収容されることへの悲しみと受け取ったらしい。
「疑いが晴れれば、すぐ出られる」
慰めにもならないことを言われながら、最上階を目指すルシアの足取りは、重い。
(ジョーはきっと、呆れたわよね)
凄まじい剣の腕であることは、素人のルシアでさえ分かった。側で見ていた騎士たちも、恐れを抱くほどだった。彼の判断と強さがなければ、確実に死んでいただろう。
(落ち込んでても仕方ない。次のために、どうしたら良かったのか、ちゃんと後で教わらなければ)
戦いについては、無知である。学び、活かす。ルシアは不安から目を逸らすため、必死に自分を奮い立たせる。
(ここから、出られたらの話だけれど)
完全に、ゾランダーの罠に嵌ってしまったのだ。頭が冷え、ようやく腑に落ちた。
「入れ」
騎士が開けた分厚い木の扉は、ギイイと錆びた蝶番の音を響かせた。
室内には天蓋付きのベッドと、ウォッシュスタンド――水を入れた大きなジャグと洗面器を置いて、顔や手を洗ったりするための家具――に、小さな丸テーブルと椅子が一脚。
石の床に簡素な織りのラグが敷かれ、窓には鉄格子が付けられている。
ルシアが大人しく室内に入ると、騎士は
「後でメイドに、食料と着替えを届けさせる」
と言いながら縄を解き、扉にガチャンと鍵を掛けて出ていった。
「ふう。まずは空気を入れ替えましょう」
ベッドシーツは、ルシアが来る前に準備されたのだろう。手で触っただけで、清潔なものだと分かる。
部屋を整えてもらえて良かった、とルシアは窓の枠を持ち上に押し上げた。互い違いで開く形式の窓は、外側に鉄格子が嵌っているが、下が中指の長さほど開く。空気の入れ替えには心許ないが、開かないよりマシだ。
ルシアは窓際に椅子を運ぶと、どかりと腰掛け、思い切り外の空気を吸った。塔の中のカビ臭さで埋まった肺の中の空気を、入れ替えたかったからだ。
「は〜。捕まっちゃうだなんて。でもあの牢よりは、はるかにマシよね」
突然脳みそに、前世の記憶がフラッシュバックする。
同時に、酷い頭痛がルシアを襲う。脳内では大きな鐘が左右に激しくその身を振り切るように揺れ、ガンガンと遠慮なく音を立て、目の奥がチカチカ明滅する。
「ああ、やだな……役に、立ちたかったのに……」
窓枠に両肘を乗せ、手の甲に頬を乗せる。
ルシアは自分の心の奥底を顧みるように、内側へ気持ちを向け、目を閉じた。
「わたくしは……また、役立たずだった……」
ぶわりと目頭に涙が浮かび、溢れ、頬を伝って手の甲を濡らす。
ケタケタとどこか遠くで何者かが嗤っている声がする。
「そうよね……おかしいわよね……」
失敗した自分は、ずっと幽閉されて然るべきだという自責の念で、ルシアは顔を上げられない。
すると、顔のすぐ近くで聞き慣れた声がした。
「主。主。呪いを受けているよ」
「え」
「オイラが解いてあげるから。元に、戻って」
ルシアの頬にフワフワと触れる、温かく柔らかな感触がある。
「白虎の名の元に、六根清浄」
「……?」
「主。役立たずなんかじゃないよ。術者を、倒そう?」
ガバリと顔を上げたルシアの目の前には、白トラ猫が居る。
「ヒスイ!」
「うん。よかった、主。あの化け物の呪い、強かった」
「呪い……?」
「そうだよ。鬼門を破ったから、呪い返しをもらっちゃったんだ」
ルシアは、大きく目を見開き、ヒスイの透き通った翠の目をまじまじと見つめた。
「呪い返し! わたくしとしたことが」
言葉にすると、沸々と身の内から怒りが湧いてくる。
自身の未熟さと術者の狡猾さに、腑が煮えくり返る思いがした。
「もう絶対に、やられたりしない。術者を炙り出し、二度とこのようなことなど、させない!」
「にゃおーん!」
ルシアはヒスイを抱くと、立ち上がり室内を振り返った。
「ヒスイ。ここに居る間に、できる限り対策を練るわ。わたくしの道具をここまで持って来られる?」
「任せて」
白トラ猫は、ルシアの腕の中から窓枠へ飛び移り、窓の隙間から外へ出ると、離れた場所に生えている木の枝に飛び乗る。幹を伝ってあっという間に地上へ降り立つや、王宮の方向へ走っていく。
「……絶対に、このままでは終わらせない! 待っていて、ジョー」
反撃の準備をすべく、ルシアは今まで起きたことを頭の中で整理し始めた。




