第39話 術中
※残虐なシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
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「おい、これは一体、なんだ! 貴様ら、何をしている⁉︎」
財務大臣ドナ・アギヨン伯爵は、ベストのボタンが弾け飛びそうなぐらいに大きな腹を揺らし、詰所の中へズカズカと入ってきた。
ルシアよりも背が低いためか、顎を上げて威嚇している。フヒフヒと鼻を鳴らし、額からは汗が垂れ、肌が光っていた。背後から従僕が、さっとハンカチーフでこめかみの辺りを拭くのを鬱陶しそうに手で払い、様変わりした机の配置を嫌そうに見回すと、最後にルシアを睨みつける。
「誰だ、この小娘は。誰が入れた!」
慌てふためく周囲の人間をよそに、ジョスランが冷静な態度でルシアを背後に庇い、クロヴィスは無言で、アギヨン伯へ手に持っている書類を差し出した。だが大臣は一瞥すらしないので、クロヴィスは紙を畳んで胸元へしまう。
「……私の補佐を依頼しております」
「補佐、だと⁉︎ 部屋の配置が変わっとる! 貴様らが勝手にやったのか!」
ルシアは当然、財務大臣が怒ることを想定していた。理由があろうとなかろうと、自分の職場を勝手に変えられて、何も思わない人間などいない。
だが、早急に対応しなければならないぐらいに恨みが溜まっていた。既にひとりが自殺未遂をしている以上、また被害者が出てしまう。ルシアは、『お祓い』を最優先することに、迷いがなかった。
ジョスランはジョスランで、怒りを内包した低い声で
「部下が死にかけていても、気にすらしないのか」
と呟く。
アギヨン伯は感情的になっているあまりジョスランの発言には気づかず、唾を撒き散らしながら大声で抗議を続ける。
「許さんぞ! 今すぐ! 元に戻せ!」
矢面に立ったのは、クロヴィスだ。
「大臣閣下。王室府家令長官の許可は得ています」
「ワシは、許可しておらん!」
アギヨン伯とクロヴィスが言い合いをしている間、ルシアは下手に刺激しないよう、数歩下がった場所からアギヨン伯を観察していた。
勝手に模様替えをしたのには、理由があって然るべきだ。その聞き取りをする、という基本的な対処すらせず、権力を振りかざして撤回させようと、自身の欲のみ相手へぶつけている。
財務大臣ともなれば、王国の金庫番であり、影響力たるや計り知れない。街道整備や騎士団の運営費、王族の外交費など、金に関する決め事は多岐に渡り、金額の規模も途方もない。
ルシアの認識では、『賢くないとできない』仕事だ。ところが先ほどから、気に食わないと叫ぶのみで、建設的な議論を進めることは全くできない。
(不適任としか言いようがない。なぜこのような人が、財務大臣などという要職に就いているのか)
疑問に思ったとて、仕方がないことだというのはルシアも分かっている。
貴族は、貴族として生まれただけで良いのだ。この国では、個人の資質や適正よりも、家柄が重視される。
ルシアは、クロヴィスへ寄り添いたくなった。どれだけ優秀でも、血統や家格、財産には絶対に敵わない。王国の有り様を根本から覆すなら、やはり失われた魔法を復活させるのが手っ取り早い。
「ルシア。引きずり込まれかけてるぞ」
「え」
ジョスランがルシアの肘を強引に掴んで、後ろへ引っ張った。数歩下がったところで、赤い目がルシアを凝視する。
「ここには、強い無念が渦巻いている。許せない。報われない――復讐したい」
ルシアの背中に、ぞわりと寒気が走った。
「そんな、なぜ……配置を変えて、鬼門には対処したはず!」
動揺するルシアの肩を、ジョスランは軽くポンポンと叩く。
「落ち着け。ルシアの予想を上回る魔法が、ここに仕掛けられているとは考えられないか。俺は今、危険な空気を感じ始めている。自殺未遂ということは、血が流れたということだ。あの悪魔召喚のように、また何かの仕掛けがされていて、俺たちが誘い込まれた可能性があるんじゃないか?」
「誘い……」
それからジョスランの目は、クロヴィスの後頭部へと向けられる。
「あの告白は、俺たちの正義感を大いに刺激し、決断と行動を早めた。だがクロヴィスがいくら優秀でも、家令の動きが早すぎると思っていた」
「まさか」
「家令はな。俺の知る限り、頭がガッチガチに硬くて、変化を嫌う爺さんだ。模様替えを簡単に承認するかな、と不思議に思っていたんだが」
王族ならではの意見に、ルシアは目を見開く。
「例の本を見つけたタイミングといい。腑に落ちなかったが……ルシアが影響されているのを見ると、俺の勘、当たった気がしないか?」
キキキ、と金属音が鳴った。ジョスランが帯剣の柄に手を掛け、ほんの少し抜いた音だと気づいた時には――「ぐげぎゃぎゃげ」とアギヨン伯から尋常でない声が発せられていた。
○●
「逃げろ! 全員! 今すぐ部屋から出ろ!」
ジョスランの怒号を、ルシアはどこか非現実的な気持ちで聞いていた。
「あ、あ、あ」
床に尻もちをつき、涙目で動けなくなっている役人を、騎士が必死に抱え上げて廊下へと走る。避難誘導や逃走で、部屋の中には書類が舞い、体がぶつかってずれた机や椅子なども多く、混沌としている。
「そんな、なぜ」
ルシアは逃げ惑う人々の中、愕然と対象を見つめ棒立ちになるしかできなかった。信じがたい光景が、眼前に繰り広げられている。
――ぶくぶくと肥え太り、縦も横も何倍もの大きさに膨れ上がったアギヨン伯が、従僕の首を鷲掴みにして、頭から喰らっているのだ。
「チッ、また悪魔か」
ついに抜剣したジョスランが、殺気を放ちながら剣を正眼に構えた。アギヨン伯はゲフゥ〜と大きく息を吐き出すと、持っていた従僕を投げ捨てる。血臭い空気が吐き気を誘い、この場にいる者の冷静さを奪っていく。
「この場所は! 浄化したはずよ!」
「……むしろ浄化がきっかけかもしれん。封印が解ける、とかな。下がれルシア」
だがルシアは、ジョスランの言うことを聞こうとしない。
「っヒスイ!」
アギヨン伯を退治するよう、ルシアが素早く指印を切って式神へ指示を出すのを、ジョスランが止める。
「待て! クロヴィスがまだっ」
クロヴィスは逃げるどころか、アギヨン伯に近寄りながら両腕を前に出し、手のひらを宙にかざしている。
「ぎゅぎゃげゲゲゲ」
「――もえろっ」
クロヴィスの言葉と共に、炎が吹き出しアギヨン伯の全身を覆っていく。
「な! まさか、魔法かっ!」
「うわ〜、熱いね〜。でも、足りないよ」
ジョスランは巻き添えを喰わないよう、剣を構えルシアを庇う。
一方でヒスイは、クロヴィスを援護するように「ふうう」と大きく息を吹きながら、アギヨン伯の周囲を素早い動きで走り回る。
「もっと、燃えろ〜!」
たちまちジュワジュワと何かが焼ける音がするが、アギヨン伯の顔は笑ったままだ。
不気味で恐ろしい化け物を、ルシアは逃げずに睨みつける。
「罠だったのね。王宮内でこのような凶行に出るとは」
ルシアが必死で次どうするか考えていると、遠くからドタバタと人の足音が聞こえてきた。
逃げたはずの騎士たちが、人手をかき集めて戻ってきたようだ。廊下のあちこちから、騒がしい声がしている。
「お見舞い係が、召喚したのか⁉︎」
誰かがそう叫ぶと、騎士たちの間にまるでそれが真実かのように伝わって行く。
「お見舞い係⁉︎」
「演習場にも、いたぞ!」
「剣狂め、やはり狂っていたか!」
それを耳にしたジョスランが、顔を歪めた。
「完全に、してやられたな。辺境伯を支持していた奴らも多い。また俺たちに罪を着せる気だ」
クロヴィスの炎とヒスイの風で、室温はどんどん上がっていき、誰も部屋に足を踏み入れることができず、尻込みしている。
「まとめてお見舞いされるってことね……でも、そうはいかないわ」
ルシアは、大きく深呼吸をしてから――九字を切り始めた。




