第38話 鬼門
「一切合切、お見舞い……?」
クロヴィスは、戸惑ったままだ。
一方でジョスランは、「やっとらしくなったな」と横に座っているルシアの顔を覗き込む。
ニヤニヤした顔になんだか腹が立ってきたルシアは、素っ気ない態度で相棒を無視し、本棚を見つめる。
「にゃあん!」
「ええ、ヒスイ」
ルシアがジョスランの膝から飛び降りたヒスイを抱き上げ、颯爽とソファから立ち上がるのを、男ふたりは黙って見上げる。何か重大な決意をしたに違いない、と見守っていると、ルシアは口を開きスラスラと話し始めた。
「クロ。明日、財務省の詰所で、やりたいことがある。財務大臣の予定は把握している?」
「っはい。昼過ぎに、追加予算案の確認に来ると思われます」
「なら、やるなら朝ね。家令に詰所の模様替えを即時申請して欲しいわ。いますぐ」
クロヴィスが机を蹴る勢いで立ち上がり、すぐに「はっ」と返事をして部屋から出て行った。
ルシアはクロヴィスが扉を閉じたのを耳で聞き、直立不動で一点を見つめたまま、ジョスランへと告げた。
「ジョーは騎士団長に、なるべく大臣の心を逆撫でして、足止めをして欲しいと頼んで」
聞くなり、ジョスランはソファの背もたれに再び背中を投げ出す。
「はああ。憂鬱だが、分かった。で? 何を見つけたんだ」
「……『異界との契約』」
一瞬だらりとしたジョスランが、飛び上がる勢いで立ち上がる。
「っ‼︎ まさか」
ルシアは眉間に深い皺を寄せ、本棚へと近づく。迷いなく取り出した一冊の本は、黒革表紙の金箔押しで、四隅も金縁の豪華な作りだ。
「その文字が、読めたのか?」
「ええ。急に目に入ったの。ジョーは読めない?」
「読めん。少なくとも、俺たちの言語ではない」
「なぜ、わたくしには、読めたのだろう……あ。もしかして、ヒスイ⁉︎」
ルシアの腕の中には、翠色の目をした白トラ猫がいる。
サッと口の中で祝詞を唱えると、ヒスイはクルンと飛び降り、虎獣人の姿になった。
「ふ〜。久しぶりだあ」
「ヒスイ、もしかしてあなた」
「朱雀なら賢いから、スラスラ読めるかもだけどね〜。オイラはこの書物の封印を解いただけだよ。ジョーのお陰で、力が戻ったからね」
口蓋から牙を覗かせる白虎は、大袈裟に肩を竦めて見せた。
「異界の文字だから、ひょっとしたら主、読めるかもしれないって思って」
「わたくしのような人間が、過去にもいた……その人間が、持ち込んだか作ったか……」
「可能性は、あるよね」
それまで黙って話を聞いていたジョスランが、渋い顔をする。
「実はルシアが矢傷で寝ている間に、アカデミー出身者にそれとなく話を聞いて回ってみたんだ。興味があるフリをしてな。そうしたら案の定、確かに魔法のことを少し習ったと。誰に教わったか覚えていないし、書物やノートは残っていないと言っていたから、手掛かりにはならんと思ったが……」
「なるほど。記憶は、改竄された可能性があるわね。知識だけ残し、証拠は消した」
ルシアの意見に、ジョスランも頷く。
「あの洗脳などを見ると、似たような手法かもしれん。王国に、着実に魔法の種を蒔いている誰かが、いる気がしてきたぞ」
「まさかそれを、クロヴィスがやっている……?」
「俺は……そう信じたくはないな。あの告白を聞くと。だが、違うとも言い切れん。貧しく、仲間を見殺しにせざるを得ない環境にいて、王国を恨む気持ちが芽生えてもおかしくはない。財がなければ才でのしあがろうとする考えには同意できるし、何より、今までの常識や力関係を覆すならば、魔法というのは絶好の機会だ」
ルシアは、ジョスランの発言を聞きながら書物をパラパラとめくる。そして、とあるページで手を止めた。
「……信じたくはないけれど、あったわ」
指で辿るのは、あの騎士演習場に浮かび上がった魔法陣と、全く同じ絵図だ。
「下級悪魔召喚術。子どもの内臓五つ、猛禽類の爪、鍛えられた鋼を十本と……生き血を媒介として」
「くそ、孤児院が焼けたのは、ただの火事じゃない! 子どもの数を誤魔化すためかっ」
どん! とジョスランが壁を殴った。ぐらりと本棚が揺れ、バサバサと何冊か足元に落ちる。
ルシアは、手に持っていた魔術書を棚へ戻すと、落ちた本を丁寧に拾い始めた。折れたページを伸ばして、なるべく元の場所に戻しながら、ジョスランへ語りかける。
「決めつけは、よくないわ。警戒しつつ、真実を探っていきましょう。『悪魔召喚の調査』に、犯人探しは含まれていない。手法を描いた本があったことを閣下に報告してみましょう。陛下にどう報告されるかはお任せして。次は財務省のお祓い。そこまですれば、相手も何らかの行動を起こすはず」
「……ああ」
それでも何かを葛藤している様子のジョスランに、ルシアは眉尻を下げる。
「これから、忙しくなるわ。考える暇もない」
「そうだな」
剣狂の心の中に燃える火が、爆発する日が来るかもしれない。その時は、暴走しないように止めなければ――ルシアは、密かに決意した。
○●
翌朝、太陽が昇った頃、ルシアとジョスランは既に財務省の詰所に出仕していた。
部屋の中は雑然としていて、日光が満足に入ってこない時刻だというのを差し引いても、暗く濁った空気に覆われている。
「で。模様替えってどうするんだ?」
入り口から部屋を見つめているジョスランに、ルシアは事もなげに言う。
「鬼門と裏鬼門に、わざと鬼の通り道を作っている。まずはそれを変えなければ」
「は?」
ジョスランが意味が分からずポカンとしているうちに、ルシアはスタスタと歩いて、部屋の中心と思われる場所に立った。
「この方角と、この方角。出入り口と、キッチンがあるでしょう」
「ああ」
ジョスランだけでなく、模様替えの手伝いに駆り出された近衛騎士たちも、キョロキョロと部屋を見回している。
「北東の出入り口から不吉なものを入れ、汚水に流される陰の気を負の力として溜め込むようにあえて」
「あー、ちょっとよく分からんが。とにかくここから入れるのも、そこにキッチンがあるのもダメってことだな? んで、どうする。出入り口やキッチンの位置を変えるのは、当然工事が必要だ」
ルシアは、それもそうかと腕組みをし、伝わりやすいように言葉を変えた。
「出入り口の上方には、わたくしの護符を貼り、清めの塩を置きます。キッチンは――とにかく綺麗に掃除を。それからトゲのある植物を置きます。植物は、陰の気を陽にしてくれる。トゲは魔除けです」
「ほう?」
「あと、全体的に雑然としていて、汚いのが良くありません。悪いものが溜まりに溜まっている。機密だからとメイドを入れないのなら、自分たちで掃除をするべきです。窓を開けて空気を入れ替え。最後に、大臣の机を移動します」
この発言には、都合をつけて早めに来ていた役人たちが、ビクッと肩を振るわせた。
「横暴で権威を嵩に着るための配置。そんなものがなくとも、上に立つ人間は敬われるような振る舞いをすべきです。貴方がたは、常に高圧の中にある。健全ではないこの環境をとことん変え、貴方がたが少しでも良い気持ちで働けるよう、全力でお見舞いいたします!」
ルシアのキッパリとした宣言に、目を潤ませる者もいた。
――王宮家令が発した申請許可証を携え、後から合流したクロヴィスが、キビキビ動く人間たちを前に呆気に取られる。
「こんなに活気の溢れた財務省は、初めてですね……」
大きく開かれた窓から爽やかな晩夏の風が吹き込む朝、汗を流しながら会話を交わし、人の動きやすい環境を作っていく。動かすのが大変な大型家具は、白虎の獣人が軽々と運んでいる。日頃訓練で鍛えた力を持て余している騎士たちは「もっと経費申請を気楽にしたいなあ」「わかりづらいですよね、すみません」などと、役人たちとの雑談を楽しみながら、充実した表情で机や椅子などを移動させている。
そうして、『お見舞い係』の大規模な模様替えが完了する頃になってようやく、財務大臣が詰所に出仕してきた。盛大にご機嫌を損ねながら。




