第37話 相関
その日の執務を滞りなく終えたルシアたちは、クロヴィスの持つ宰相補佐官室へと移動した。
夕方まで書類を捌いていて酷使した目頭を揉みながら、ジョスランはソファに背を預けている。ルシアはそれを横目で見ながら、クロヴィスへ苦言を呈した。
「クロ。わたくしたちは、あくまでもお見舞い係。王国の巨悪を滅するのは、わたくしたちの役目ではありませんが」
「重々承知いたしております」
即答が返ってきたのに、ジョスランはむしろ苛立った。
「はー。ならばなぜ、巻き込む? 俺たちへの王命は『悪魔召喚』について調べよ、だ。辺境騎士の失踪についても、ルシアが洗脳を解いて終わったはずだ。誰が何の意図で辺境騎士を操ったかだの、財務省の不正だの。お見舞い係の任務から逸脱しすぎている」
「ですが、全ては繋がっていると考えます」
クロヴィスの態度は、揺るがない。ルシアは、だからこそあえて尋ねたくなった。
「繋がっている、その根拠はあるのかしら」
「……ただの、勘です」
「勘、だなんて。クロらしくないわね」
いつも理路整然としている宰相補佐官を、ルシアはじっと見つめた。クロヴィスはその視線を避けるかのように自分の机の椅子に腰掛け、机の天板に両肘を突いて額に手を当てる。
「元々は、同じ孤児院の人間……ゴタイと呼ばれていたあの男のことを聞いて、気になったのがきっかけです」
それから、心の内にあるもの全てを吐き出すようにして、語り出した。
「どんなことをしてでも。盗んでも、騙しても、時には暴力を振るってでも生き残る。そうしないとすぐに死んでしまう。貧しく、その日暮らしな環境で、私たちは生きていた。私が拾われたのは、たまたま王都を巡回していた副団長の財布をスリ損ねたからです。度胸を買われただけだ」
ルシアもジョスランも、息を吸うことすら忘れて聞き入った。クロヴィスの背景は、暗くて重い。話すのには、どれほどの勇気がいるだろうかと考えたからだ。
「ゴタイ……ケンと呼ばれていたあいつは、いつも何も考えていなかった。偉くなりたければ、真似をすればいい。すごいやつになりたければ、そいつみたいに振る舞えばいい。軽くて、決して賢くはない。けれどその存在に、救われてもいた。それでいいんだ、と思えた。占いが有名になる前に掴んでいたゴタイの、見た目の特徴を聞いた時、すぐにケンだと思った。実際声を聞いて、本人だと確信した。それが、演習場で捕まえた時には、別人になっていた!」
だん、と机の表面を、クロヴィスの拳が叩いた。
「姿形は、確かにケンだ。けれど、仕草も表情も全く違う。お前は誰だ! と問い質したら、昏睡状態になった。この手で牢獄に収容したというのに、あっけなく消えた。あれらもまた、何かの魔法に違いない……ケンのことはただの始まりだ。きっと、何か大きなことが起きている。そして何もかも、……お見舞い係が、その評判を広めてから始まっているんだ!」
ガバリ、とジョスランがソファの背もたれから身を起こす。
「どういう意味だ⁉︎」
「そのままの意味だ。考えてもみてくれ。ルシア様が殿下の不眠を不思議な力で治してから、お見舞い係となり、その評判は貴族の間で常識となった。殿下の婚約者であるエディット様も後ろ盾となり、母子殺しのブリアック侯爵は、自ら牢へ入り死刑を望み、領地も爵位もジョスラン様へ譲ると言い張っている」
「えっ!」
ルシアが驚いてジョスランを見やると、眉根を寄せている。
「それは、断ったはずだ」
「……閣下の元で、保留になっています。コルトー伯爵領も、宰相閣下がご息女を養子にされ、管理管轄することで財政が上向きになった。知らないところで、この王国の権威と権力が、お見舞い係に集まってきている。私には、それに対抗したい誰かが、このようなことを起こしていると思えてならないっ」
叫ぶように言い放ったクロヴィスは、興奮のせいかハアハアと肩で呼吸をしている。
一方で、ルシアもジョスランも絶句していた。本人たちは、ただ目の前の任務をこなしていただけで、王国の中枢や権力とは一線を画している。そう思い込んでいたからだ。
「わたくしには、そのような意図は全く」
せいぜい、そう否定の言葉を発することしかできない。客観的に見れば、確かに『お見舞い係』は無視できるような存在ではなくなってきていると思えた。
「もちろん、閣下や私のように、ルシア様の性格を熟知している人間であれば、問題ありません。ですが、まず殿下に近づき、有力貴族の筆頭である公爵家令嬢とも懇意。貴族の見方は、そうなります」
「っ……そう、ね……」
今度はルシアが、頭を抱えたくなった。本人は目の前のことを淡々とこなしてきたつもりでも、いつの間にか意図して権力を欲し動いていた――そう言われても致し方がない状況に、いくらなんでも無自覚すぎた、と反省する。
「まるで、巨悪を導いたのは俺たちだとも言いたげだな、クロヴィス」
ところがジョスランは、ルシアのような動揺をしていない。クロヴィスも、確固たるジョスランの態度に、面食らっている。
「そ、んなこと、は……」
「そもそも権力だ金だと、勝手に何を言っている? 俺たちは、欲していない。自然と集まるなら、それだけの働きをしたまでだ。もし敵が俺たちを気に食わないとして。そんなもの、ただの嫉妬と八つ当たりだ」
ふん、と鼻を鳴らすジョスランの膝の上に、どこからか現れた猫の姿のヒスイが飛び乗る。ジョスランは苛立ちを抑えるためか、その柔らかな背を撫で始めた。言葉と裏腹に、手つきは優しい。
「はっきり言って、迷惑なことこの上ない。んで、俺たちに敵を倒せと? は。煽っていいのか?」
「ブフ」
ルシアは、思わず吹き出した。
こんなにも大きな問題であるにも関わらず、ジョスランは普段通りに受け止め、面倒だと鼻を鳴らす。そのことに、とてつもない安心感を覚えたからだ。そしてきっと、ジョスランと自分は同じ考えだと確信した。
「ねえ、クロ。今、王国に降りかかっている災禍が、わたくしたちお見舞い係のせいだというのなら」
戸惑うクロヴィスに、ルシアは微笑む余裕が生まれている。
「一切合切、お見舞いいたしましょう」




