第36話 腐敗
騎士演習後初の、王宮にある会議室で行われた、大臣だけの定例会。
財務大臣ドナ・アギヨン伯爵が御前会議で提出した『騎士団予算縮小案』は、悪魔召喚という大事件が起こったことにより、正式に却下となった。
宰相から通達を受けたアギヨン伯はギリギリと歯軋りをしながら、乱暴に席を立つ。
「予算は限られている! 王国の未来を考えるなら、直ちに考え直すべきだっ」
その発言に答えたのは、騎士団長であるガエルだ。
「ならば今後、あのような脅威が起こった場合、どう対応するつもりだ?」
「少数精鋭という言葉があろう!」
要領を得ない財務大臣の主張に、室内では冷えた空気が漂っている。目の前で騎士たちが戦ったことは事実であり、そのお陰で無事がある。全ては命あってのこと、と誰もが思っているからだ。
そんな中で宰相は、淡白な態度で別の王命を通達する。
「アギヨン卿。陛下は、騎士団の増強を指示された」
「な⁉︎」
「王国騎士団は、増員する。かつ、悪魔召喚などという脅威に対抗するため、失われた魔法研究を復活させるべきとの声も、様々なところから上がっている。それもそうだろう、騎士演習には高位貴族たちが招かれていたのだからな……直ちに、追加予算を組んでくれ。決裁審議は十日後だ」
ハクハクと無言で口を開閉させた後で、アギヨン伯は「無茶だ! 時間が、なさすぎる!」と叫ぶ。
「ならば、私の優秀な部下を財務省へ派遣する」
「そ、それはっ、ふ、ふふふ不要だ!」
「時間が足りないということは、人員が足りないのだろう? これは宰相命令だ。異議は認めぬ。以上」
アギヨン伯が再び抗議をしようと口を開いたが、他の大臣たちや騎士団長は、無言で席を立ち部屋から出て行ってしまった。挨拶を交わすこともなく、一方的にである。
最後、部屋に残ったのは宰相と財務大臣のみであり、その宰相は
「決裁に間に合わない場合、貴職の罷免を上奏する。それほど重大な案件であるからして、心せよ」
と淡々とした声で告げた。
全員が退室した後で、というフラビオ最大の気遣いだ。が、アギヨン伯はあまりのことにわなわなと拳を振るわせ、侮辱されたと一方的に恨みを募らせたのだった。
○●
定例会からしばらく経った頃の、王宮内客室。
バルビゼのタウンハウスへ帰るため荷造りを済ませたルシアを、クロヴィスが訪れていた。
人払いがされ、部屋の中にいるのはルシアとジョスラン、それから相変わらず猫の姿のヒスイだ。
「今私は財務省へ出向しているのですが、一度現場を見にきていただきたいのです」
クロヴィスが淡々とした口調で告げるのを、お見舞い係のふたりはティーカップを片手に聞いていた。ルシアはアフタヌーンドレスを着られるぐらいまで回復していて、今は応接用のソファに、ジョスランと並んで腰掛けている。クロヴィスは、相変わらず無駄のない動きでお茶を淹れた後、綺麗な姿勢で執事のようにソファの斜め前に立っていた。
クロヴィスの用意した今日のお茶は、セカンドフラッシュと呼ばれる、夏に摘んだ味や香りの強いものだ。コクのある味わいとガツンとくる香ばしさが、話題の重さと相まってルシアの胃を刺激する。ルシアは思わず、砂糖をたっぷり使った贅沢なクッキーに手を伸ばしていた。いくら食べても足りないかもしれない。
ルシアが黙々とクッキーを齧っているので、ジョスランが代わりに口を開いた。
「何のためだ?」
「騎士団の追加予算案並びに、魔法研究部門の新設予算を組んでいるのですが、どうにも様子がおかしいのです」
「「魔法研究部門⁉︎」」
ルシアとジョスランは、顔を見合わせた。先日ジョスランは『魔法使いが淘汰された理由』を、彼なりの視点で調べてきた。王国が正式に乗り出すということは、古の魔法使いやルシアたちのような素質がある人間を、調べて集めていくということと同義だ。
「そこで、ルシア様に財務省の仕事を見ていただきたい。私の助手ということで」
「わたくし、ですか?」
「はい。これは宰相室から、お見舞い係への依頼となります。今からでも」
ルシアが反応できないでいると、ジョスランが割って入った。
「待て待て。クロ、話がいきなり飛躍しすぎている。何を焦っているんだ?」
これは、ジョスランなりの探りでもあるのだろう。今回の件にクロヴィスが関わっているのでは、と疑っているのは、他でもないジョスランだ。
「……貴族たちの動きが、加速しています。利権争いになってきているのは仕方ありませんが、以前から財務省には黒い噂がありました。役人たちの動きが不穏です」
「利権争いって、なぜだ」
ジョスランの問いに、ルシアが口を開く。
「予算増強となると、そうでしょうね。騎士団には様々な利権が絡んでいます。人件費だけではない。武器防具、馬、建物の管理やそれこそ、出身領地の派閥まで。それに加えて魔法研究部門新設、ということは、新しい権力が生まれる機会でもある」
「その通りです。それに、魔法研究が進めば、お見舞い係の存続も危ぶまれるかもしれません」
「確かに、魔法とお見舞いならば、魔法に傾倒する人の方が多いでしょう。この世界にあるものの方が、説得力がある」
クロヴィスが怪訝な顔をした代わりに、ジョスランが答えた。
「お見舞い係の手法は、俺の能力頼りなところがあるからな。クロ、ルシアを連れていくなら、当然俺もになるが。いいか?」
「……書類仕事は、苦手だったのでは」
「苦手じゃない」
むすりとしたジョスランが、言い放つ。
「嫌いなだけだ」
○●
財務省は、王宮の中央にある宰相室から東へ伸びた建物の中にある。王宮は、最も北側が王族の住む寝殿であり、庭園を挟んで中央の建物に宰相室や謁見室、会議室。東の建物に省が横並びであり、西の建物には騎士団や宮内省、メイドや侍従の詰所がある。南には非常に大きな噴水広場と、ダンスホールや様々な式典を行うための大広間を備えた別棟があり――全体を把握するのは困難だ。
ルシアにとって宰相室以外の場所へ赴くのは初めてのことで、少し緊張しつつ、見慣れない廊下をジョスランと並んで歩いていた。
先導するクロヴィスの歩調には、迷いがない。
「お見舞い係の制服は、分かりやすくて良いですね。近衛にも周知されているので、楽です」
クロヴィスはそのようなことを話しながら、すれ違う近衛騎士たちと軽く挨拶を交わしている。
「本気、なのよね? 助手にお見舞い係をだなんて」
宰相補佐官のクロヴィスだけならまだしも、お見舞い係まで出向となると、違和感があるのではないかとルシアは心配している。
「はい。お見舞い係も最近新設された部門であり、今回の件に適していると話は通しています。それに、閣下の御命令ですから」
「……なるほど」
ルシアが宰相の姪であることは、王宮内でも周知の事実である。言い訳はいくらでも立ちそうだとルシアが考えていると、ジョスランは苦い顔をしている。
「ジョー?」
「財務大臣は、素直に命令を聞くような人間ではない。ルシアは、俺から離れるなよ」
「……分かったわ」
国庫に最も近い地位にあるとは思えないぐらい、後ろ暗い噂が絶えないドナ・アギヨン伯爵の評判は、社交界から遠いルシアでさえ聞いたことがある。
ある程度覚悟をして、財務省の官吏たちが詰めている部屋に足を踏み入れたルシアたちだったが――
「呪われているわね」
「ああ。何人も黙殺されているな」
「未練がさらに澱みを生んでいる。クロ、もしかして。最近、自ら命を絶とうとした官吏がいたのではなくって?」
お見舞い係にあっさり告げられたクロヴィスは、部屋の外に出てから頭を抱えた。
「はい……実は三日前、財務補佐官がひとり。幸い命は取り留めました」
「わたくしたちを抑止として使いたい。その意図はわかりました。それよりも、今すぐ祓わねば、また誰かが引き摺り込まれるわ。この場所の空気。動線。それから、匂い。全てが、属する人間に従うよう強制している。それに逆らおうとすると……死にたくなる」
「っ!」
冷たい声で告げた後、瞠目するクロヴィスを振り返らないまま、ルシアは鼻頭を歪めた。
「腐っている」
公共の財産として然るべきものが不正に利用されたり、個人の私腹を肥やしたりしていることを『腐敗』と呼ぶが。
文字通り、財務省は――腐っていた。
お読みいただき、ありがとうございます!
パワハラがまかり通る環境も、ある種の呪いではと思います。逆らえない。そう、思い込まされているのです……多分。
明日からは、今まで散りばめてきた伏線をどんどん回収していきますので、お楽しみに!




