第16話 課題
※短編のSSをお読みの方へ――ルドヴィーク→クロヴィスに名前を変えました。
「うーん。やっぱり組んですぐのふたりには、荷が重かったかなあ」
ルシアとジョスランからの報告を聴き終えた宰相・フラビオは、執務机の天板に肘を突いてから、大きな溜息を吐いた。
するとひとりの青年が、宰相の前に紅茶の入ったティーカップを手ずから置いた。宰相室は機密情報だらけのため、メイドは最低限しか置かない。お茶を淹れるのも、補佐官の重要な仕事のひとつである。
少し上体を前に傾けた青年の、真ん中分けにした紫色の前髪が、銀縁眼鏡の縁をさらりと撫でながら落ちた。宰相からは見えなくなったが、おそらく今、彼の水色の瞳は鋭く光っていることだろう。
「最低限の成果は、持ち帰ったではありませんか」
「珍しく優しいことを言うなあ、クロヴィス。あ、ひょっとしてルシアには甘いのか? まだ正式に婚約してないし、付け入る隙はあると思うぞ」
クロヴィスと呼ばれた青年は上体を起こすと、両手を腰の後ろで軽く組み、宰相を見下ろす。
「次の依頼は、いかがされますか」
発言をスルーされたことに、フラビオは怒らない。いつものことだからだ。
「うん。どでかいやつが来たよ」
フラビオは、机の端に置いてある書類の角を人差し指でトントン叩く。びっしりと書かれた文字の下欄には、既に何人かの署名が書かれていた。
「財務大臣ドナ・アギヨン伯爵が、二十日後の御前会議で、臨時予算案を陛下へ提出する」
切れ長の水色の瞳が、見開かれた。
「……まさか」
「平和な世。先の戦争は二十年前。隣国外交に問題なし。つまりは……懸念なし」
「騎士団予算の縮小! 本気ですか」
「うん」
しばらくの間、クロヴィスは口を噤んだ。フラビオは彼の思考を邪魔しないよう、目の前のカップに注がれた紅茶を楽しむことにする。今日は珍しく、ミルクティだ。濃いめのアッサムはまろやかな風味で、ミルクによく合う。胃の負担を考えてくれたのだろう、と思わずフラビオの頬が緩んだ。
「ニヤついているところ恐縮ですが……署名されるおつもりですか」
「んふふ」
フラビオはお茶を口に含んだ。ほのかに甘い風味がし、はちみつも落としてあることに気づく。疲労度も把握しているのか、とフラビオの眉尻が下がる一方で、クロヴィスの眉根は寄る。
「ご存知かと思いますが、アギヨン伯爵には、黒い噂が付きまとっています」
「私的に国庫を使っている、だろう? 金がなくなったから、一番金のかかる騎士の飯を減らす。合理的だ」
「閣下」
クロヴィスの諌めるような口調を受けて、フラビオはカップをソーサーに戻した。
「なんだい」
「何をお考えですか」
「おー? 珍しく、分からないのか?」
「っ……騎士団長のガエル・メネンデスは、元騎士団長であらせられる王弟殿下への対抗心が強い。副団長でいらっしゃるジョスラン様の兄、マルスラン様との軋轢に懸念がございます。そこへ予算削減となると」
「はっはっは! さすがクロヴィス・メネンデス。騎士団の内情に明るいのは当たり前にしても、ああそうか、第一師団長を副団長に推す後押しをしたのだったな」
「名誉騎士をお見舞い係になどと、前例がございませんでしたので。団長の説得にも苦労しました」
「そりゃそうだ」
クロヴィスに向かって大きく笑って見せた後で、フラビオはうーんと大きく両腕を上げて伸びをした。クロヴィスは、その一連の動作を眺めてから、口を開く。
「この件についての閣下のお考えが何か。私への課題になさるということですね」
「うん。儂は、クロヴィスを信頼しているぞ」
姿勢を正したクロヴィスは綺麗な礼をしてから、キビキビとした動作で宰相室を出て行った。
バタン、という無機質な扉の音の後で、静寂が訪れる。
「やれやれ。引退、できるかなあ。したいなあ。可愛い娘も、増えることだし……」
優しい顔をするフラビオの一番近くにある書類には「養子縁組届」がある――
○●
「なあルシア嬢。俺が思うに、連携の訓練をすべきじゃないか?」
宰相への報告の後、ルシアとジョスランは王宮の馬車寄せで立ち話をしている。
「俺もルシア嬢も、一人で動くことしか想定していない。だから」
「……あのように動きがまちまちで隙ができ、敵の目的を許してしまった」
「ああ。今後を考えれば、立ち回りの訓練をした方がいい。そう思わないか?」
一匹狼のように立ち回ってきた、剣狂。
前世から、単独で祓いを行ってきた、陰陽師。
確かに、ふたりで敵に対峙することには、慣れていない。今回の件は、二人体制となったお見舞い係にとって初めての依頼とはいえ、精彩を欠いていたと言ってもいい。相棒となるからには、お互いの持ち味を活かす動きができなければ、意味がない。
ルシア自身、ひとりで調伏に臨んだ方が楽だったかもしれないとすら、思っていた。
だがルシアには、ジョスランとの訓練を躊躇う大きな理由がある。
(前世のことを、打ち明けるべきか……)
答えはまだ、出ていない。ジョスランならば、みだりに他人へ話すことなどしないだろう。分かってはいても、自分の存在意義となる根幹部分を他人に曝け出す勇気が――出ない。
「連携、なあ。そうだ、主はお札、使わないのか?」
「ええヒスイ、これからは使いたいと思っているわ」
「あーよかった。ずっと出っ放し、疲れるもんね」
「そうよね。ごめんね」
通常、式神は式札に収まっているものだ。必要に応じて出し入れする方が、効率が良い。ヒスイの呪力は強いため、現世に顕現することに差し障りはないものの、本人も言っている通り「疲れる」ものらしい。
幸いルシアの故郷であるバルビゼ伯爵領は、豊富な木材を利用した紙産業が盛んだ。一度領地へ戻って、式札に適した紙を探そうと思っていたところだった。
「そうだ、ジョスラン様。バルビゼ伯爵領に、行きませんか?」
「!」
紅色の目が驚きで見開かれたかと思うと、ジョスランの動きが止まった。喋りたいようだが、言葉が出てこない、といった様子だ。
動揺している姿は珍しいな、とルシアは首を傾げる。
それから、ふたり同時に――
「ほ、本当かルシア嬢。俺と、バルビゼに⁉︎」
「え、あの、なぜそんな驚いているのです?」
口から出た言葉は、ぴたりと重なっていた。
たちまちジョスランの眉根が寄る。
「……婚約を了承してくれるのではないのか」
「あ」
ルシアは、婚約のことをすっかり忘れていた。そういえばそんな話もあったな? である。
どうやらそれが態度で通じたようで、ジョスランはすぐにガックリと肩を落とした。
「なんだ、違うのか」
「すみません。あの、バルビゼは自然豊かな土地でして。森なども多く……人目につかず訓練するのに最適かと。何かあっても我が領地であれば、言い訳が成り立ちます。わたくしの評判は、領民も把握しておりますので」
「評判?」
項垂れていたジョスランが、わずかに顔を上げた。
「はい。変人だと」
「自分で言うなよ」
ルシアは、ジョスランの言葉になんと返事をすれば良いのか分からない。今まで周囲からはずっと「変人」「近づくな」と言われ続けてきて、当たり前に受け入れてしまっている。
「……すみません」
「いいや。そうだな、それがいいかもしれない。王都では俺も目立つ」
諦めたような顔で、ジョスランは頷いた。
「お互い、変わってるからな」
「そうですね。では早速、父にお伺いを立ててみます」
「俺も共にゆこう」
「え」
「挨拶はせねばなるまい」
「はあ」
――本人に自覚が芽生えなくとも、外堀を埋めれば良い。
などというジョスランのつぶやきは、ルシアには届いていない。
バルビゼ伯爵家の馬車に、ジョスランとヒスイと共に乗り込んだルシアは、さすがに疲労のあまりうたた寝をして、タウンハウスに着くまで無防備な寝顔をジョスランに晒したのだった。
お読みいただき、ありがとうございます!
第二章が終わりました。強力なふたりが組んだからといって、すぐに全てうまくいくわけが無い、という章でしたが、いかがだったでしょうか。
明日から第三章が始まります。
もっと手強い敵や陰謀が襲いかかりますが、このふたりならばきっと『お見舞い』していけると思っています。
最後まで応援いただけたら、嬉しいです。




