第14話 本心
「娘が息子になる!? 訳の分からんことを!」
声を荒らげるコルトー伯へ、ルシアは冷静に言葉を返す。
「そのままの意味ですが。閣下を見れば、一目瞭然ですよね。この家で、女は価値を持たない。たとえ殴られようが殺されようが、どうでもいい存在だというのが分かりました。なんと浅はかで愚かなことを」
コルトー伯は、ルシアの言葉で再び激昂した。
「無礼にも程がある!」
「落ち着いてください」
ルシアはわざと伯爵を煽った上で、宥めるため声を掛ける。これもまた陰陽師の行う、『呪』の一種だ。心の乱れに、つけ込む。
「閣下。事実でないなら、否定してください」
「事実な訳がなかろう!」
「そうですか。では言い方を変えます。この辺りは、女性を船に乗せるのは非常識であるというお土地柄。女は男を支えるために在る」
「……そうだ。貿易にしろ漁にしろ、力のある男の仕事に決まっている」
「それを、お嬢様の前でも度々言っていた」
ルシアは、興奮のあまりふうふうと鼻息を鳴らすコルトー伯を尻目に、応接室の扉口へと近づいていく。
メイドの口から、聞いているだけで胸の痛くなるような『女性蔑視発言』『暴行』をしていた人物と言われれば、高位貴族であれど敬う気など失せている。
「一人娘に対して『女はいらん』と豪語し、目の前で奥様を責め、殴った。男を産めなかったお前は役立たずだ、でしたっけ」
「ふん。跡取りを産まない妻は、務めを果たしていない!」
「だから、殺しても良いと?」
コルトー伯は、心底ルシアを見下した態度で、吐き出す。
「小娘! 侮辱罪で捕まえてやるぞ!」
「……お嬢様も、死なせる気ですか」
「なに?」
ルシアは扉を開け、廊下へ向かって叫んだ。
「ヒスイ!」
「ほーい」
元気に返事をしたヒスイは、マノンを横抱きにして連れてきた。マノンは顔面蒼白で、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
「何を勝手なことを!」
「お忘れですか。我々はお見舞い係です。見舞うのが仕事です」
「胡散臭い奴らめ」
「宰相閣下の先触れを受け取って、どうせ大した仕事はしないはずだと、単にご機嫌取りで我々の訪問を受け入れたに過ぎない。でしょう? ところが、事態は深刻です」
「ふざけるな」
ルシアは構わずジョスランへ顔を向ける。
「ジョスラン様。戦いに備えてください」
「……!」
「最悪は、力技になります」
「わかった」
ジョスランが素直に帯剣の柄へ手を伸ばすのを、伯爵は憤怒の表情で見つめている。
その間、ヒスイはテキパキとマノンを応接ソファに寝かせた。
「おい、一体なんだというのだ!」
「どちらか選んでください」
「あ⁉︎」
「お嬢様の命か、この家か」
「そんなもの、この家に決まっているだろう!」
「この子は、死んでも良いんですね?」
うぐ、とコルトー伯は一瞬言葉に詰まったが、いくらも経たないうちにギリリとルシアを睨み、
「伯爵家と子どもなら、伯爵家の方が大事だろう! 子どもは、また産ませれば良いんだ!」
と言い捨てた。
「……お聞きになりましたか、奥様。オン・マリシエイ・ソワカ」
「はい」
ルシアの真言でふんわりと姿を現したのは、コルトー伯爵夫人、メルイーズだった。
○●
「ひ!」
驚愕の表情で後退りしたコルトー伯を尻目に、メルイーズは唇を噛み締め今にも泣きそうな表情で、ソファに寝かされたマノンを見下ろしている。
キャラメルブラウンの髪の毛を後頭部で一つに結び、アフタヌーンドレスというには質素すぎるワンピースに身を包んだ伯爵夫人は、
「ああ、マノン……ごめんなさい……」
と透明の涙を流し始めた。
「なぜだ! なぜ……いや、生きているはずがない! さては、偽者だな!?」
メルイーズを殺したという言質とも取れるが、ルシアはあえて聞き流す。
「いいえ、ご本人ですよ閣下。一応伝えておきますが、宰相閣下はメルイーズ様の手紙を読んで、わたくしたちを派遣なさいました。暴力が過激になっていったのなら、最期に託された遺書のようなものだったに違いありません」
藁にもすがる思い。それはメルイーズの遺言だったのではとルシアは思った。だから宰相は、王都から出たことのなかったルシアへ、長旅にも関わらず依頼したのではないかと推察している。
「な、んだと?」
「貴方様は、先触れを受け取ったに過ぎない。でなければ最初に『話はどこまで聞いているのか』などと確認する必要はないはずです」
子どもの命より家の方が大事だと豪語するような人間の家を、あの宰相が「同じ親として心配」などと言うわけがない。相変わらず人を試さずにはいられないお人だ、とルシアは小さくため息を吐く。
「貴様……さっきからいい加減なことを! 全員出ていけ!」
さて次はどうしようかとルシアが考えを巡らせる前に、ジョスランが
「チッ、斬るか」
と唸った。
「ジョスラン様。お気持ちはわかりますが、曲がりなりにも伯爵でいらっしゃる」
「名誉騎士なら、殺人犯を斬って捨てたところで」
「私刑はダメです。こんな蛆虫相手に、称号を汚さないでください」
「っ」
するとマノンの様子を見ていたヒスイが「オイラの守りの腕輪、もう限界だ」と警告する。
「……メルイーズ様」
「覚悟は、できております」
キッパリと言い切ったメルイーズの表情には、迷いがない。ルシアはすかさず口の中で何かを唱えつつ、ジョスランの鞘に、印を作った右手の人差し指と中指を軽く滑らせた。
「では、ジョスラン様。メルイーズ様の髪をこの剣で切り落としてください」
「わかった」
「おい、貴様ら! 一体何を!」
顔を真っ赤にして近寄ろうとする伯爵を、ヒスイが遮る。
「どけ! 従僕の分際で無礼な!」
ジョスランは、顔を真っ赤にしてヒスイに迫るコルトー伯を尻目に、素早くメルイーズの髪を肩上で切り落とした。
ルシアはすかさずその髪束を手でつかみ取ると、マノンの眼前へ掲げながら、歌うように告げる。
「蛇神レトよ、新たな供物はこれへ。我らの過ちを正したい。どうか戻られよ」
――すると、突如として生ぬるい風が、応接室に吹き荒れ始めた。
「な、な、なん⁉︎」
ルシアは動揺するコルトー伯を一瞥すると、髪束を握りしめたままの右手で『九字切り』を行う。
「怒りを鎮めたまえ。淀みを清めたまえ。臨兵闘者皆陣烈在前!」
やがて発生した風が、マノンの体の上で渦巻きを作った。ルシアが持っている髪を巻き上げるので、素直に手放すと――髪はぐるぐると竜巻を描きながら蛇の姿に成っていく。
ルシアの目には、マノンの全身に巻き付いていた蛇神が、メルイーズの髪へその身を移していくのが見えている。
『我が名は、レト。このか弱き者が、我に祈った。それを過ちと言うならば問う。汝は、男に成リたいのではないのか』
蛇神の呪縛から解放されたマノンが、ゆっくりと上体を起こし、ゴクリと喉を鳴らしてから言葉を発した。
「……わたくしが、男でないから、お母様は……」
「マノン! 喋れるではないか!」
目を見開いたコルトー伯に、ヒスイが屈託なく
「蛇神様が離れたからだよー。見えないの?」
と答えると、ギリギリと歯軋りしている。
ルシアは、メルイーズに尋ねた。
「あの銅像のあの部分。色が変わっているのは、汗か何かで変色したのでは?」
さめざめと泣きながら、メルイーズが頷く。
「はい。わたくしはよくあの銅像で脅されていました。掴んでは振りかぶられて、時には本当に殴られました。ある日、いつも通り殴られると、頭から大量の血が出て、そのまま」
「な! なにを言っているのだ!」
コルトー伯が慌てるのを無視し、ルシアはマノンを見やった。
「マノンさん。自分の命を守るためには、お母様の言う通り祈るしかなかったかもしれませんが、今は神様の御前です。本心を話して?」
「神様に、本心……」
「ええ。正直でなければなりません」
十二歳の伯爵令嬢は、潤んだ目をパチパチと瞬いてから、蛇神へ向かってキッパリとした口調で告げた。
「……普通に暮らしたい。私は、私のままで」




