第13話 見栄
「ルシア嬢、まさかこいつも連れて行く気か?」
島から再び舟で沿岸へと戻ってきたルシアは、先ほどよりも酷く船酔いしていて、ジョスランの問いへはまともに答えられなかった。
「うぶ、はい」
「悪いが、この国での獣人の扱いは……あまり良くないぞ」
ジョスランがヒスイを見ながら言うと、
「獣人?」
とヒスイが首を傾げる。
「そういう、耳や尻尾の生えている人間のことだ」
「へー、そうなのか。んじゃこれならどうだ?」
ジョスランの言葉で、ヒスイはあっさり耳と尻尾を消してみせた。
すっかり人間となったヒスイを目の当たりにして、ジョスランは困惑を隠さない。
「は?」
「ふふん。十二天将がひとり・ヒスイは、主の呪力をもらえば、このぐらいお手のものだぞ」
「じゅうに……じゅりょく……?」
首を捻りながら唸るジョスランを見たルシアは、吐きそうになりつつ――
「うぶ。ジョスラン様、すみませんが、詳しくは、後で」
と断りを入れる。
「! 大丈夫か、ルシア嬢」
「はい、すびば、せ……」
ジョスランは懐から小瓶を取り出すと、その中から緑の葉を一枚ルシアに差し出す。
「いいから、これを噛め」
「これは?」
「ミントだ。酔いは唾液を出せば早く治る。清涼感で吐き気も治まる」
「ありがたく存じます」
ルシアが素直に葉を口に含んで噛むと、爽やかな味が口内に広がった。確かに、吐き気がマシになる。
「宿まで歩けるか?」
「……」
ルシアは答えに詰まった。正直、歩けそうにない。かといって、馬車などの乗り物は勘弁して欲しい。だが昼過ぎから行った探索は、舟での移動に時間を取られたため、既に夕方になろうとしている。
なるべく急いで宿へ戻らなければ、あっという間に日が暮れてしまう。
「主、オイラが背負って歩くぞ」
ヒスイが親指で自身の胸を指差す。男としては小柄だが、ルシアを背負うぐらいは出来そうではある。
ジョスランは反対するだろうと思ったルシアが振り返ると、あっさり「そうしよう」と頷かれた。
「えっ……」
「こやつは、ルシア嬢の従僕なのだろう?」
「はあ」
従属と従僕は意味が違うが、今のルシアに訂正する気力はない。それに貴族としては、従僕扱いの方が分かりやすい。実際、ジョスランもあっさり受け入れた。
「なら問題ない。この辺りは夜の治安に懸念がある。俺が護衛しながら歩こう。暗くなる前に宿へ入らねば面倒だ」
「治安?」
ルシアが首を傾げると、ジョスランは眉尻を下げた。
「港近くというのは、男ども相手の商売がたくさんあるのだ。簡単に言うと、酒や賭け事、女を提供する店などだな」
「なるほど」
ジョスランが近衛騎士になる前、『剣狂』と呼ばれるようになったきっかけは、王国南部に異常発生したビッグホーンの大群をほぼ一人で倒した戦果からだ。ジョスランの父である王弟は元騎士団長であり、息子であるジョスランが贔屓や噂話を嫌って身分を隠していたとはいえ、騎士として様々な土地へ遠征に出向いていたのなら、王国内のことに詳しいのも頷ける。
「念のため言っておくが、俺は一切利用したことはないぞ」
「まあ、そうでしょうね」
あっさり頷いたルシアに対し、ジョスランが嬉しそうに口角を上げる。
「信じてくれるのか」
「いやだって、お立場的にそういう訳にはいかないでしょう。揉め事の原因になるかもですし、いつ何が後継問題になるやら」
ルシアとしては真っ当な理由を述べたつもりが、ジョスランの機嫌がみるみる悪くなったので、首を傾げるしかない。
「あの、何か失礼なことを?」
「いや。いい。行くぞ、猫。さっさとしろ」
八つ当たりされたに違いないヒスイは、意に介さずニコニコと笑っている。訝しげな表情のジョスランが、不機嫌なまま
「なんだ」
と尋ねると、ヒスイは「ふんふん」と鼻息を鳴らした。
「いやあ、主に強い味方がいて、良かったなあって」
「俺の強さが分かるのか?」
「うん。多分オイラの本気、出さないと勝てない」
「本気出しても勝てないぞ」
「うーん?」
それから宿に戻るまで、延々と繰り返される『どちらが強いか』という言い合いを聞きながら、ルシアは酔いから来る目眩をなんとかやり過ごした。
(まるで子どもの喧嘩ね……でも、おかげで気が紛れる)
これから起こることを考えれば、自身が前世の記憶を持つことも含めて、ジョスランへ『陰陽師』についての説明を行う必要があるかもしれない――悩みながら、宿へ戻った。
○●
翌朝、朝食後を見計らって再びコルトー伯爵邸を訪れたルシアとジョスランは、昨日と同じ応接室でコルトー伯と会っていた。水干姿は目立ちすぎるからと、ジョスランの予備のシャツとトラウザを着たヒスイ――さすがに大きいので、袖も裾もくるくると捲っている――は、廊下に控えている。
念のため、再度夫人へ会いたいと申し出てみたが、あっさりと首を横に振られてしまった。コルトー伯はまともに取り合わなず、
「今はいないと言っただろう」
の一点張りである。
致し方ないといったフリをしたルシアが、申し出た。
「となれば、これ以上の『お見舞い』は難しいですね」
「なぜだ」
「奥様から確信を得るまで、お話はできません」
「だから今はいない。説明をしろ」
この通り先ほどから堂々巡りであるので、ルシアは大きく息を吸い込み、それから絞り出すようにして告げた。
「ならば、致し方ありません。このままでは、お嬢様は死にます。強引にならざるを得ません」
「なんだと?」
ルシアの強い言葉に、コルトー伯はたちまち剣呑な雰囲気に包まれる。
「いくら宰相閣下の庇護があるとはいえ、いい加減なことを。ただでは済まさないぞ」
「嘘だと仰るなら、お嬢様の様子を、一緒に見に行きましょう」
「そんなことをしても、無駄だ。部屋に閉じこもって、無視されるだけだからな」
「なるほど。最初から違和感がありましたが……お嬢様の命もまた、なくなったほうが良いとお考えなわけですね。全ては家のため? プライドのため? その両方でしょうか」
「なに⁉︎」
カッとなってソファから立ち上がったコルトー伯を、ルシアは
「見栄と外聞だけでは、人は生きられませんよ」
と睨め上げた。
するとコルトー伯は、紳士の面の皮をいよいよ脱ぎ捨てたようだ。拳を握り締め、ルシアへ見せつけるように振りかぶった。
「貴様、女の分際で」
(やはりメイドの証言は正しかった。短気で、すぐに暴力を振るう)
拳を見せつけ、恐怖で従わせる――ルシアは、そのような手段には屈しない。
飾ってある乙女の銅像にちらりと目を向け、一部分が変色しているのはやはり――と思考を巡らせている間に、ジョスランが立ち上がってルシアを庇い、低い声を発した。
「女だから、なんだというのだ? 言っておくが、女に手をあげる男はクズだぞ」
「っ」
「このままでは、マノン嬢は死ぬ。本当にいいんだな?」
「貴様っ」
コルトー伯は、無謀にもジョスランにまで凄み始めた。
ルシアは、怒りで我を忘れてしまう前にと、これまで見聞きしてきた情報を頭の中で整理しながら立ち上がる。
「蛇神レト伝説の本を、お嬢様は読んでいらした」
突然の話題に、コルトー伯は気勢を削がれキョトンとした。
「蛇……神……?」
「ご存知ないですか? まあ顔すら見に行ってなかったのなら、そうでしょうね。レトとは、雌雄同体の神のことです」
「しゆう?」
「言い伝えによると、その神に祈れば、娘は息子になる」




