食べて、笑って、幸せに
サヤとの思い出は、いつも冬だった。振り落ちる雪を手の平に積もらせ、それを僕の頬に押し当ててくる彼女。押し当ててきた雪が僕の体温で徐々に溶けていくと、彼女の手の平が僕の頬に触れた。冷たくて、温かくて、彼女を感じられた。
僕の目の前に、サヤは絶対にいるのだと。あの手の平の温もりを忘れる事は無い。
「……んん……ここは……そうか。こっちが現実か……」
体のダルさを感じながら、僕は今まで眠っていた事を理解した。そして、今見えているこの非現実的な世界が現実だと突き付けられる。真っ白な部屋、用途が分からない謎の機器、透き通り過ぎている空気。
「あ、起きたんだ。丁度良かった!」
そして僕に親切にしてくれるアンドロイドのロゼさん。どう考えてもこっちが夢なはずなのに、どうやらこっちが現実らしい。信じられないが、実際に見て聞いて、そして生きている。信じたくなくても、信じざるをえない。
「ねぇねぇ! お腹、空いてない?」
「お腹? あー、まぁ……」
「えへへ! それじゃあそれじゃあ!」
やけにウキウキな様子のロゼさんは、革のカバンからいくつかの物を取り出すと、テーブルに並べていく。水のような青い液体。何かの干し肉。見るからに怪しげな草。最早何なのか分からない蠢く塊。
まさかとは思うけれど、それを食べろと言うんじゃありませんよね?
「どれ食べる!?」
あ、言うんだ。分かってたけど、言ってほしくなかったな。今からでもジョークでしたって笑ってくれないかな?
いや、表情が真面目だ。好奇心に満ち満ちている。人間の事を好奇心だけはあるとか言ってた癖に、自分も負けず劣らずじゃないか。
しかし、困った。恩人相手に素直に断れないし、実際腹も空いてる。でも、あの中から食べれそうな物を選べと言うのは酷だ。どれも食べたくない。青い液体はどんな効果があるか分からないし、一見食べられそうな干し肉も何の肉かは分からないし、後の二つは絶対口に入れては駄目だ。そう考えると、青い液体と干し肉がマシに見えてきたな? いや、後ろ二つが明らかに危険な見た目の所為で麻痺してるだけか。
「私の勘でいけば、このバゼレウスの内臓をお酒に漬け込んだ物かな? 人間って生物を好むんでしょ?」
「それだけで何を指しているのかが分かりました。そしてロゼさんの勘が信用出来ない事も分かりました」
「じゃあ、マリロロの草―――」
「干し肉と青い液体でお願いします!」
「あ、そう? じゃあ後の二つは旅先で売る事にするよ! あぁ、でもバゼレウスの内臓はすぐ駄目になるから捨てなきゃだね。結構高いんだけどな~……ねぇ、もし良かったら―――」
「干し肉と青い液体で! お願いします!」
ロゼさんは残念そうな表情を浮かべながら、バゼレウスの内臓を掴み、手の平から発生した光で焼却した。レーザー? ビーム? どちらにせよ、恐ろしさよりも格好良さの方がデカい。何かよく分からないSFの力は、男にとってロマン以外のなにものでもない。
興奮した心を落ち着かせ、冷静さを取り戻した所で、改めて危機感を抱いた。内臓と草を退けても、あと二つの青い液体と干し肉が待ち構えている。僕が元いた世界でなら、正体を知れば意外と口に出来たが、この世界でなると話が違う。
このノムストラと呼ばれる世界では、人間が僕以外にいないらしい。人間がいないとなれば、人間が食す食料や飲料水が存在しないという事。例えて言うなら、海洋生物に人間と同じ食べ物を与えて「さぁ召し上がれ」と言ってるようなものだ。
つまりは、未開拓の領域へと勝手に突入されそうになっている。元々光っているロゼさんの瞳がより一層発光しているのも、歴史的瞬間を見逃すまいと興奮しているのだろう。
「さぁ、召し上がれ!」
透き通った声と眩しい笑顔で言われても「はいじゃあ行かせてもらいます!」となるほど、僕は単純じゃない。今ほど単純じゃない事を恨んだ事は無い。多分この先も一生無い。
まぁ、このまま恩人であるロゼさんの期待を裏切る訳にもいかないし、今の内に食べられる物は知っておいて損はないだろう。
僕は比較的にマシな、干し肉を手に取った。この世界についての知識が無い分、何の肉かを言われても、想像を膨らませなければ食べられるはずだ。
「その干し肉はね! ビーストワームっていう虫のお肉でね! 丁度ミツキくらいの大きさで、丸い口にギザギザな歯が生えてるんだ!」
「ソ、ソウ、ナンデスネー……」
大丈夫、いけるぞミツキ! 虫を食べるなんて、元の世界にもある文化じゃないか! 僕自身が食べてないからって、食べられない食べ物じゃないはずだ!
「イ、イタダキマース……」
「ワクワク……!」
「……」
「ど、どう!? 感想は!?」
「……牛肉だ」
「ギュウニク? 何それ?」
信じられない……これが、虫? 牛の肉だと出されたら、疑いようが無い程に牛肉だ。というか、普通に美味しい。意外とイナゴの佃煮とかも美味しかったのかな? 元の世界に戻れたら試してみよう。
「ねぇ? そろそろグイッといきたくない?」
「それ要するに、早く飲めって言ってますよね?」
「そんな押しつけがましく言ってないよ~!」
「飲んでほしいとは思ってるんですね? まぁ、この干し肉がいけたし、そっちの青い液体も意外といけるかもしれませんね。で? それって何の液体なんですか?」
「これはね! ニュートリアエネルギーと言ってね! 飲むと集中力と眠気が飛ぶ……らしいわ!」
「らしい?」
「私のようなアンドロイド達は食べたり飲んだりする事が不要だからね。情報から得た知識しかないの」
予想はしていたが、やっぱり食べたり飲まなくても問題は無いんだな。食事が不要なのは羨ましいけれど、不要としている種族からしてみれば羨ましいものなのかもな。
あと、ロゼさんの話を聞く限り、この青い液体、ニュートリアエネルギー。これ、ただのエナジー飲料だ。
蓋を開け、恐る恐る口に含んでみると、少し強めの炭酸が口の中に広がり、その後に果実味のある甘いソーダの味が広がってきた。やっぱりただのエナジードリンク、しかも元の世界の物よりも美味しい。
「美味しい?」
「はい。最初は不安でしたが、意外と美味しいですね」
「そっか、良かった!……私、他の種族が食べたり、飲んだりする姿を見た時にさ、いつも思うんだ。なんで私は、食べたり飲んだりする事が出来ないんだろうって……皆、幸せそうな表情をしてた。それが何だか、羨ましくって……」
「……食べたり、飲んだりする種族は、実際に口に含む人だけが幸せになるんじゃないんです。それを見た人や、その食べ物や飲み物を作った人も、幸せに思えるものなんです」
「……そうなんだ」
「うん、そうらしいです」
「じゃあ、お裾分けだ。幸せのお裾分け」
「そう言われると、何か恥ずかしいですね……」
「フフーン! さぁ、もっと食べて! そして、ミツキが感じた幸せを私にお裾分けして」
そう言って、ロゼさんは幸せそうな笑みを浮かべながら、頬杖をついて僕を見つめてくる。なんだか、最初とは別の意味で食べづらくなったな……。




