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草食皇子は緑の夢を見る

作者: 紫央

「良い天気だ」

 カラリと晴れ渡る空を見上げて、嬉しそうに呟く。

「収穫日和だ、持って行く籠は3つは要るな。鎌と鋏とそれから――手押し車にまとめておこう。あ、帽子被らないと」

 とても楽しそうに野良仕事の準備をする彼は、黒髪に茶眼、顔立ちはいたって目立たない容姿。

 年の頃なら、十代後半。少年から青年へと切り替わる頃合いである。

「手ぬぐいは予備も含めて、えーっとそれから」

 今日は良い日になるだろう。採れたて野菜で作ったサラダはきっと美味だ。

「新鮮野菜は最高~」

 鼻唄交じりに自慢の畑に向かう彼を、ほのぼのした視線が追う。幾つもの。

 そして目的地に着いた彼の目に、天上の楽園もかくやという情景が映る。

「おお、これは素晴らしい」

 ツヤツヤしたトマト、キュウリ、ナス。葉物はどこまでもみずみずしく緑を広げている。

「みんな、今日もありがとう」

 彼が丹誠込めた野菜達は、輝かんばかりの姿で彼を待っていた。

 笑顔全開でそれらを収穫しては籠へと納める。

 3つ目の籠が一杯になった頃。

「も、申し上げますぅ!」

 よく知る人物の声が、響く。

 ちょうどトマトに鋏を入れていたところだった。危うく切っちゃいけない所まで切りそうになって慌てたが、何とか無事手に収まった。

「なんだよ、一体」

 至福の時を邪魔されて、不機嫌も顕わにゆらりと立ち上がったその手に、ギラリと光る刃物とトマト。

 普段ののほほんとした彼とは思えないその迫力に声をかけた人物はいささかたじろぐが、これはある意味想定内のことなので、すぐに立ち直った。

「し、使者の方がお見えです。お父上からのお呼び出しだそうで」

「なんだって?」

 鋏を握る手に力が籠る。ついでに視線にも得も言われぬ鋭さが宿った。

「オヤジが、俺を呼んでるだと?」

「は、はい。なんでも大至急だそうで」

「…大至急。絶対ロクな事じゃない」

 収穫をしていた彼は、手にした鋏とトマトを交互に見て、深い溜息を吐いた。

「…そうか、じゃあ仕方ないな。着替えて、いや湯浴みをして身なりを整えるから、使者は応接室へ」

「無用です。時間がございませんので、今すぐお連れ致します」

 突然割り込んできた声に、主従二人はギョッとして入り口に視線を向ける。

 そこには妙に黒々とした装束が3人。

「な、お待ちくださいと申し上げたはずです。いくら勅使の方でもここにまで勝手に入られては」

「我らに立ち入りを禁ずる場所などございません。ましてや今は非常時です」

 黒装束たちは流れるような動作で近づき、あれよあれよという間に鋏とトマトを持ったままの人物を拘束する。

「!何を」

 する、という続きは言えなかった。

 あまりにも見事な手際で猿轡を噛まされ、大きな袋で足から頭まですっぽりと覆い隠されてしまったからだ。

「ちょ、ちょっと。ウチの主を袋詰めにしないで下さい」

 従者は半泣きで黒装束たちに抗議するが、そんなモンを気にする奴らじゃない。

「では、失礼いたします」

 と、言うが早いか、あっという間に彼らはジタジタと動く袋ごと姿を消した。

 後に残るのは、茫然とした少年従者と、地面に刺さった剪定鋏が一つ。

 トマトがぎっしり詰まった篭が、消えた主を偲ばせるかの如く、赤く輝いている。


「よく来たな我が息子よ。息災なようでなによりだ」

 一段高くなった場所に据えてある豪奢な椅子に座った壮年の男が、袋から出された野良着姿の彼に声をかけた。

「それはどうも」

 胸当てのあるオーバーオールは泥に汚れて、頭には麦わら帽子、首には使い古した手ぬぐい。

 どこからどう見ても立派な、ザ・農民である。

 そんな彼に、いわゆる玉座と呼ばれる場所に座る人間が息子と呼ぶ。ある意味とてもシュールだ。

「おかげさまで元気にしてますよ。今日はせっかく丹精込めた野菜の収穫だったってのに、なんでまた誘拐まがいのことをされなきゃならないんですか」

 どこからどう見ても不敬罪まっしぐらな態度だが、誰もそれを咎めない。ある意味とても信じがたい。

「…そなたがそう言うのは分かっていたがな、文句なんぞ受け付けられる事態ではなくなったのだ」

 玉座に座す男は深い、ふっかーい溜息を吐いて背を丸めた。

 あ、これは本当にマズイやつだ。

 野良着の彼は本能――いや、物心ついて以来の経験から、今物凄く厄介な事態が起こっているのだと悟った。

「そうですか。ですがオヤジとおっちゃん――いえ、皇帝陛下と宰相閣下がいらっしゃれば、大抵のことは大丈夫でしょう。俺みたいな若造は邪魔にしかならないので、これで失礼します」

「ダメだ、許さん」

 塩垂れていた玉座のオヤジ――いや、バルクモント帝国第三十二代皇帝アレクサンダー四世は、ギリッと視線を鋭くして、野良着姿の三男坊を睨みつけた。

「どんな成りをしていようが、何に夢中になっていようが、お前はこの国の正統なる皇子に違いない。その躰も頭も、身に着けている全ての物がこの国の税金で賄われていることを忘れるな!」

「はぁ…」

 泥にまみれたオーバーオールに麦わら帽子でも、基を糺せば血税だと言われては返す言葉がない。

「わかりました。では早いところ用件を言ってください。これでも忙しいんですよ、作物の収穫には時間も大事なんですからね」

 朝採れの瑞々しい野菜はあきらめるが、肥料やらなんやら、やらねばならないことは山ほどある。農業に終わりはないのだ。

「お前には気の毒だがな、当分畑仕事はあきらめてもらう」

「は?」

「ルドルフ=アレクサンダー=バーゼル。我が息子として、帝国皇位継承権を持つものとして、今日只今より次期皇帝候補となる皇太子への就任を命ずる」


 時間が止まった。


「尚、反論は聞かんからそのつもりで」

「んなバカな話があるかぁぁ!」

 野良着男――ルドルフは全力で叫んだ。

「冗談じゃない、ぜっったいに嫌だ!」

 くるりと踵を返して、脱兎のごとく逃げ――られなかった。その行く手にガタイの良い、鎧姿の騎士が立ち塞がったので。

「どけ!」

 一声叫んで、騎士の鳩尾に掌底を叩きこむ。

 鎧越しではその攻撃も大して効かない、はずが、大柄な騎士はぐっと呻いて躰を曲げる。

 低い位置に来たその頭に手をついて、一気に飛び上がると騎士の背後に着地。

 出入り口の大扉までは後数メートル。が、そこまでの間にいつの間にやら数人の鎧。刃物こそ持っていないが、縄やら枷やらを用意して全員完全武装だ。

 ルドルフと騎士団の距離が一気に詰まる、と、後一歩のところでルドルフの躰が沈んで、ツルツルの床上をさあっと滑った。

 彼を捕まえようとしていた鎧連中の足元を見事にすり抜けて、ルドルフは扉に手をかけた。

「待て、ルドルフ!」

 背後で父親が叫んだ。

「このままここを去るのなら、それなりの覚悟をせよ。差しあたっては、コレだな」

 振り返ったことを彼は心底悔やんだ。

 玉座から降りた父親の手には真っ赤なトマト。

「お、オヤジぃ」

「見事なものだな。コレを潰してしまうのは実に惜しい、だが致し方ないだろうな」

「卑怯だぞ!」

「其方自慢の畑も施設も、これこの通り我が手にあると心得よ。さぁ、どうする」

 ぐぐっ、と若き皇子の喉からうめき声が溢れ、彼はがっくりと床に手を付いた。


「ぶわっはっはっ!なんだそりゃ、く、苦しい」

 ブスッとしているルドルフの前で爆笑しているのは、ガタイの良い男。

「笑いごとじゃないんですがね」

「いや、充分笑いのネタだぞ。一国の行く末を決めたのが、寄りによってトマト…トマトってか」

 件のトマトは今彼らの間にある小机に乗せられている。艶めいた大理石の天板の上に、真っ赤な色。

「…一つ聞きたいんだがな」

 笑いを収めた男が真摯な目をトマトに向けて問う。

「なんでしょうか」

「今日の日付は何月何日だったか?」

「十二月の三日ですよ」

 サラッと返された答えに、重い沈黙が乗った。

「コイツは今朝採れたばっかりだと聞いたんだが」

「ええそうです。自慢の朝採れトマトですよ」

「…どうして夏野菜トマトが真冬に(いま)とれるんだ!?」

 驚愕を全身で顕して、小卓の上から赤いトマトをそうっと持ち上げる。その手付きたるや、壊したら家を滅ぼしかねない芸術作品を扱うが如しだ。

「あれ、知らなかったんですか。俺の温室(ガラスハウス)のことを」」

温室(ガラスハウス)?」

「ええ。俺が暁の宮に作った最新農業施設ですよ。ガラスで建屋を造って、その中で作物を育てるんです。日光を余すことなく取り込んで、外気からはほぼ完全に遮断されてますからね、真冬でも夏の気温を再現可能なんです」

「お前そんなことしてたのか」

 この国は四季の寒暖差が激しい。真冬に夏の野菜が作れるなど、聞いたこともない。

「いやそれにしたって、これは」

「もちろん太陽光だけじゃありませんよ。暁の宮がある辺りに温泉があるのはご存知でしょう」

「ああ、あの保養施設になってるあそこか。皇族から貴族・平民まで広く利用してるよな」

 もちろん身分によって使用できる施設は違っている。しかし、温泉の湯に差はない。

「温泉のいくつかは俺が権利を持ってるんです。で、そこから出る温水を利用して温室の中を常時温めてるんですよ。ちなみに暁の宮にも源泉があるって知ってました?」

「いや」

「もちろん他に比べたら微量ですけどね。宮に住むものだけで利用するには問題ないし、ついでに温室にも利用できる。良いことずくめです」

「お前それで、あそこを寄こせと騒いだのか」

 暁の宮は歴とした皇帝家の離宮だが、色々あってあまり人気がない。わざわざ自分から住みたがるなど、なんの物好きなんだと、皆が呆れたものだ。

「温室の技術は他国からの物ですが、必要な条件となると中々難しいらしくて。幸い暁の宮というもってこいの物件がありましたからね」

「アレをそんな風に言えるお前はある意味偉大だが…その農業狂いは変わらんな」

 そう、バルクモント帝国第三皇子ルドルフは、物心ついた頃から土とそこに息づく植物たちにハマった変人――いや、珍しい皇族だった。

「五歳のお前が皇宮庭園で夜なべしたと聞いた時は耳を疑ったが」

「早朝に咲くという花がどうしても見たかったんですよ。庭師の統領がうっとり語るから」

「十歳にも満たない子供が、絶滅危惧種の薬草を栽培成功したなんて、誰が信じるんだろうな」

「なにせ皇宮の敷地ってのは、綺麗に手入れされた庭園ばかりじゃなかったもので。やたら広いせいで、ほとんど原生林みたいなところは、俺にとってお宝の山でした」

「で、庭師の次は、ゴリゴリの農民に師事して、お次は薬師か。お前は一体何を目指してたんだ」

「もちろん、大農場主です!」

 迷うことなく言い切った。

「俺はこの世に在るありとあらゆる作物を、この手でいじくり、いや、研究して世に広めたいのです」

 その眼はキラッキラに輝いている。

「まぁ無理だろう。こんな状況じゃな」

 その眼にどよんと暗雲が立ち込めた。

「それですよ…。どうして三男坊の俺が、今になって次期皇帝なんぞにならにゃならんのです」

 握り締めた拳が震えている。

「長男には都合の良い道具扱い、次男には遠慮会釈のない邪魔者扱い。小さい時から土まみれのバカと言われ、不味い草ばかり育てる無能だなんだとけなされて、俺の兄たちに対する敬意なんて既に皆無だってのに、尻拭いをしろなんてあんまりだ」

 物心ついて以来の理不尽な扱いに、ルドルフが怒りを覚えるのも無理はない。

「なにより、あの肉食バカ共は、野菜をマズくて無駄だなんて抜かすんですよ。絶対に許せません!」

 無理はないが、どうも常人とは違った観点で燃えているらしい。

「あー、まぁあいつらだからなぁ」

長男のマクシミリアンと次男のジークムント。

 二人は正に犬猿の仲で、互いを殺せるならいつでも全力を出すぞとばかりに睨み合う関係。

 父親である皇帝や家臣たちが、なんとか和解させようと苦心したが、関係改善の取っ掛かりすら見いだせなかった。

 そんな彼らに唯一共通しているのが、大変な肉食好きという点だ。そして同時に、ありとあらゆる植物を愛でる弟を見下すということもセットだった。

「『地面にはびこる青臭い代物』俺が大好きな葉物野菜サラダを食べてたら、そんな台詞を吐いてサラダボウルをひっくり返されたんですよ。あれ以来奴らは俺の敵です」

「…それは俺も聞いたが、その時のサラダボウルとやらはアレだろう。俺には桶にしか見えなかった」

「必要なだけの野菜を摂取するためには、アレくらいじゃないと足りないでしょう」

「…多すぎる、と思うんだがな。まぁお前が要るというなら好きにすればいいが、アレを軍の標準食器に推薦するのは流石にちょっとな」

「なに言ってるんですか。体力勝負の軍人こそ、野菜を食べなきゃならないでしょう。アレでも小さいんじゃないかと思いますよ」

 ルドルフの揺らぐことのない意志を目の当たりにして、上の二人も大概だがコイツも帝位に上げるのには不安要素があるなぁ、と感慨を抱く。

「俺のことは良いんです。それよりあの肉食バカ共――いや、兄たち二人はなにをやらかしたんです?父上は脱力して話にならないし、宰相のおっちゃんはあーうー唸るばっかりで、全然状況が見えないんです」

「あー、それなんだがな」

「あんまり遠回りしないで下さいよ、義兄上」

 今にも、事情をどうオブラートに包もうかと思案していた男、ルドルフ皇子の義理の兄にして従兄のカールシュナイダーは、何とも言えない苦笑いを浮かべた。


 カールシュナイダーは現皇帝の甥で養子だ。彼の母が先帝の娘で、又従兄に当たる公爵家へ嫁いで生まれた――のだが。

 色々あって、かの公爵家はお取り潰しとなり、元皇女である母も公爵家の後継ぎだった父も亡くなった。

 本来ならカールシュナイダーはその時点で放逐されるか、下手をすれば殺されていただろう。しかし、まだ幼児だった彼に罪はないとして、当時は皇太子だった現皇帝が養子にした。

 その後、皇太子には自身の子供が次々生まれ、彼自身も即位するに至った。カールシュナイダーは変わることなく養子扱いで、一応皇位継承権も与えられている。

 飽くまで予備的なもので即位の目はほとんどないが、ある意味皇子たちの兄貴分として、監視役的な存在である。


「そうだな。あいつらは皇位を継げる状況じゃなくなった」

「はい?」

「簡単に言うとだな、意識不明で医療院送りになってる。で、次々とやらかしの証拠が挙がってきてな」

「意識不明?!し、証拠、ですか」

 一気に不穏さが増した。

 まぁ自分が皇太子指名をされた時点で、ロクな状況じゃないとは思っていたが。

「なにがあった――いえ、なにをやらかしたんですかあの二人は。そろって意識不明って、決闘して相討ちにでもなったんですか」

 それならそれで朗報ではあるが。

「近いな」

 カールシュナイダーがため息交じりに答えた。

「相討ちってのはあながち間違いじゃない。ただし決闘じゃない、暗殺だ」

「はぁ?そんな…」

 意外といえばこれほど意外なことはない。

「そんな、今更な」

 マクシミリアンとジークムントは、それこそ物心ついて以来殺し合いをしてきたのだから。

「弟の俺が知ってるだけでも十回以上は殺り――刺客を送り合ってる。そのとばっちりで没落した貴族までいるんですよ、なのにこのタイミングで相討ち?」

 そう、現皇帝の長男と次男は、正に憎み合うために生まれてきたと言っても過言ではない。

 もちろん最初は本人同士ではなく、母親たちだった。

 よくある話だが、アレクサンダー四世には正妃以外にも側妃がいた。公式には単なる愛妾だが、彼女の実家が帝国でも一・二を争う大貴族だったことが事態をややこしくさせたのだ。

 しかも、側妃自身に皇室の血筋が流れていたことから、生まれた息子には自動的に継承権があった。

 バルクモント帝国では相続権は正妻の子に限らない。父親の認知と正妻の承認があれば、愛妾の産んだ子供であっても後継ぎに出来る。と、法律かみのうえではなっている。

 とは言え、正妻所生の子供を飛び越して庶子が次代になるなど滅多にない。

 嫡子が世間的に余程顰蹙を買っているのでもない限り、そんなことをすればなにかとんでもない裏があるのではないかと噂されて、家を傾けるのがオチだからだ。

 が、しかし。

 一周回ってと言うか、国のトップである帝室では、そんな例がポコポコあると言うのが現実。

 かくて皇后エリザベートと第一側妃ゾフィーは、己が息子を得た途端に戦いのゴングを鳴らした。

 皇后腹の長男マクシミリアンと側妃腹の次男ジークムントは、2ヶ月違いで生まれたので、胎児の内から争い合っていたと言える。

 皇帝は妻たちの争いを何とか抑えようとしたのだが…無駄だった。

 やがてその戦いは、母親たちから息子たちへと受け継がれる。

「マクシミリアンはその筋でトップを張ってる暗殺者を雇って、ジークムントはなにやら無味無臭で激烈な毒薬を入手したらしくてなぁ、晩餐会で互いに仕掛け合って、ダブルノックダウンだ」

「アホですか――そういやアホでしたね」

「いや、ただのバカだろう」

 長兄と末弟の会話はどこまでも平坦だ。

 それが身内と国家存亡の危機であっても。

「で、だな。お前を除く皇帝一家が勢ぞろいした場で、第一皇子と第二皇子がそろってぶっ倒れただろう。さすがに誤魔化しが効くような状況じゃなくなって、本腰入れて調査されたんだが…」

「色々やってそうですからね、あの二人は」

 互いに刺客を送り合っていただけではない。二人ともそれぞれ自分が帝位を継ぐために、裏で違法なアレコレをやらかしていた。

「俺もなぁ、薄々気づいてはいたし、関係各所から噂は流れてたんだが…深入りできない状況だったからな」

「義兄上のせいじゃないですよ。むしろ貴方がいてくれたからこそ、今まであの二人は生き延びてきたんじゃないですか」

 カールシュナイダーの立場は難しい。

 正当な皇帝の血筋でありながら、謀反人の血も引いている。

 彼自身の才覚で、帝国内でもかなりの力を持つに至ったが、その功績を決して表に出そうとしない。

 もし必要以上に時めいたりすれば、どこから要らない敵意が襲ってくるかわからないのだ。

「本当なら、一番皇帝に相応しいのは義兄上なのに」

「それは無理だな。俺は命が惜しいし、なにより皇帝なんて面倒くさい仕事は御免だ」

 そして、これもまたカールシュナイダーの本音。

「俺は派手な奴の裏でコソコソやりたいほうだ…いや、支えるのが性に合ってるんだ」

「…はぁ。ですが、俺だって嫌ですよ」

 ルドルフ皇子は深く深く溜息を吐き出す。

 皇帝なんぞになったら、日がな一日書類とにらめっこか、謁見と称した金と権力亡者共とやり合いだ。野良着で土いじりなんてできるわけがない。

 そして食事は皇宮シェフが腕によりをかけた御馳走が出る。油ギトギト肉がメインの、新鮮さの欠片もない野菜がほんの少し添えられただけの宮廷料理。

「俺に必要なのは、採れたて野菜と日光と柔らかな土なんです。宮廷晩餐会で出てくるみたいな食事じゃ、一ヶ月も持たない」

「…まぁ確かにあのコッテリしたメニューは不健康だと、俺も思っちゃいるが」

 ここ数年の皇宮食糧事情は、肉好き皇子達の影響もあり、とにかく脂ぎっている。

 皇帝や皇后はごく一般的な味覚と思考の持ち主なので、数年前まではむしろ健康重視のメニューだったのだが、第一・第二皇子の唯一の共通点が肉好きなので、なんとか和解させようとする思惑から、完全に肉メインの料理になってしまった。

「だったらこれからは野菜を主軸にしたメニューを言いつければいいんじゃないか」

「ダメです。皇宮に搬入される野菜類は、そりゃ質としては上物ですが、とてもとても新鮮とは言えないんです」

 それは仕方がない。 

 皇帝御用達の畑で採れた野菜は可能な限り早く届けられるとは言え、ものによっては長距離を運ばれてくる。それに、到着してからも、なんだかんだで調理されるまでには時間がかかるものだ。

 おまけに、皇宮料理長のプライドは高い。

 素材を吟味するのは当然として、料理過程もきっちりとスケジュールされている。

 厳密に決まっているお食事の時間に合わせて仕事をする、と言えば聞こえはいいが、それまではたとえどれほど空腹であっても我慢しろと言うのだ。

「好きな時に好きなモノを食べられない生活なんて、俺は嫌です」

「いや気持ちは分かるんだがな、お前が食べたいモノってのはアレだろ、野菜の山が桶一杯分…」

 まだ幼かった従弟が、階段の影で桶を抱えて緑の葉物野菜を貪り食っている現場に遭遇した時の脱力感は忘れられない。

「失礼な、俺だって成長してるんです。最近は生野菜だけじゃなくて、漬物や乾燥物もイケるようになったんですよ。特にトマトとキュウリは秀逸で、アレンジの幅は広がるばかりなんです」

「そうか…」

「それに果物も素晴らしいと気づきました。来年には果樹園に取り掛かる予定なのに、皇帝なんて実のならない仕事をしてる暇は無いんです」

「なんのシャレだ、そりゃ」

 カールシュナイダーは漠然と感じていた不安が、どんどん的中していくのを感じて、頭を抱えたくなった。

 しかし、ここで引くわけにはいかない。

 第一・第二皇子に続いて末っ子まで皇帝の道から外れたら、とんでもないことになる。

「あー、お前の言いたいことは分かるが、ここは曲げて皇太子を引き受けてくれ。現皇帝の実子が大勢いるのに、その全員が脱落なんてことになったら、対外的にもマズいんだ」

「実子というならカタリナ姉上やツェツェーリア姉上だっていいでしょう」

 この際男子はあきらめて、女帝即位でも構わないのではと、ルドルフが提案すれば。

「嫁入りして五年にもなる姉に何を言ってるんだ、カタリナは去年二番目の子供を産んだばかりなんだぞ」

「だったらその子を親父の養子にしてですね」

「いい加減にしろ」

「ツェツェーリア姉上は独身じゃないですか」

「この間久しぶりに手紙が来た。例の集団を引き連れて、海に出るそうだ。新大陸とやらを踏破して紀行文を書き終わるまで帰ってこないとさ」

 側妃の娘であるツェツェーリアは、身分をかなぐり捨てて出奔した異色の皇女だ。

 仮にも皇女にそんな暴挙ができたのは、彼女の持つ類稀な――言い方を変えれば訳の分からないカリスマによる。

 元々破天荒なツェツェーリアには、身分や男女を問わず慕う者がわんさかいて、ちょっとした親衛隊を形作っていた。

 その勢いと言うか特殊な活動は、頭の固い旧来の貴族――年寄り連中の正気を粉砕させるに充分で、ツェツェーリアとその一派はさんざん帝国首脳陣を引っ掻き回した挙句、二年ほど前に集団で家出、いや、家どころか国から出て行ったのだ。

 皇帝や母ゾフィー妃を始め、帝国の重鎮たちが青くなって捜索したが、彼女たちの足取りはつかめていない。

「届いたのはいつ頃です?」

「一週間前だな。ちなみに投函されたのは一ヵ月前で、国を三つばかり隔てた港町からだ」

 新進気鋭を通り越して、人類のなにかに挑戦している帝国第二皇女は、遂に世界を相手に冒険をするようだ。

 例え帰ってきても、彼女が即位する目は無いだろう。

「義兄上、やっぱり二人目を下さい」

「うちの子を皇帝なんぞにしてたまるか」

 現在四家ある公爵家の一つ、アイゼンシュタット公爵家初代にして、第一皇女カタリナの夫であるカールシュナイダーは、普通の貴族とは真逆の意見を吐き捨てた。

「やっと生まれた嫡男なんだぞ。誰が養子になんざ出すものか」

「そんな。公爵家なら長女のアントニアに婿を取ってもいいし、なんならもう一人くらい作れるでしょう」

 カタリナは皇后が生んだ第一子で、ルドルフにとっては同母姉に当たる。

 カールシュナイダーとは一つ違いで、二人は幼馴染の従兄妹同士から義兄妹、そして夫婦になった。

 その結婚事情にも色々騒ぎがあったのだが、なんだかんだ言って相思相愛で結ばれて、今でもそれはもう仲が良い。

 ちなみにカタリナとルドルフは、歳の差が十二歳ある。

 マクシミリアン・ジークムントとは七歳、ツェツェーリアとは四歳。

 皇后は三十路を過ぎて、もうそろそろお子様も打ち止めだろうと思った矢先の、末っ子ルドルフ誕生だったそうな。

 おかげで、と言っていいのか、長女であるカタリナは、ルドルフにとって姉と言うよりもう一人の母親だ。

 実母である皇后が公務や兄の世話、そしてゾフィー妃とのやり合いで多忙だったので、末っ子にまで手が回らず、ルドルフの世話はほとんどカタリナと侍女がが請け負ったようなものだ。

 皇族がお披露目される五歳の誕生日、幼かったルドルフが母親ではなく長姉に引っ付いて離れず、皇后をキョトンとした目で見て『どなたでしゅか?』とたずねたのは有名な話だ。

 そして現在。

「皇后陛下と側妃様はどうなさってるんです?」

 いつも父皇帝の傍らで目を光らせている皇后の姿を見ていない。どこからともなく現れる側妃も、気配を感じない。

「二人とも意識を失った息子たちに付いてたんだが、さすがに自分たちの方が限界を迎えたらしくてな、揃って医療院の特別室で寝込んでるようだ。恐ろしいことに空き部屋がないとかで同室だそうだが」

「…医療院、大丈夫なんでしょうか?結構お金のかかった施設ですよね」

「そういう問題か?いや、今はまだ薬で眠らせているそうだからな」

 いつまでもとはいかないだろうが、今はささやかな平穏の時間だ。

「まさか、あの二人が寝てる間に俺を皇太子に据えようなんて考えてるんじゃないでしょうね」

「なんでわかったんだ?」

「じゃあ俺はこれで失礼します。国境を越えたら連絡しますので」

 土はどこにだってある。太陽と水があれば暁の宮を再建することだって…いつかはできるだろう。

「待て待て、これから大混乱に陥るだろう故国を捨てるな。お前だって皇族の一人だろう」

 引き止めると言うより固め技で拘束して末弟を抑え込んだ長兄。傍から見たら、とても仲の良い兄弟に見える――かどうかは、難しいところだ。

「離してください、俺は大地と共に生きるんです!」

 兵士に体術を指導しているカールシュナイダーの固め技をするりと外して、逆に締めにかかるルドルフ。

 コイツは野菜ばかり食べてるくせに、どうしてこんな力強いのかと疑問に思う。

 先ほどの近衛を叩きのめして躱しきった体さばきといい、農業で一生を終わらせるのは実に惜しい。

 皇帝がダメなら軍に入れて使い倒してやろうかと、本人ルドルフが聞いたら怖気をふるうようなことがカールシュナイダーの頭を掠めた。

「だからちょっと待て。いいか、冷静に考えろよ」

 首を絞めようと、互いに技を繰り出しながら会話する義兄弟。

「お前が皇帝になればだな、暁の宮みたいな施設を国中に造ることだって可能なんだぞ」

 顎を押し上げて喉を決めようとしていたルドルフの掌が、ピタリと止まった。

「こう言っちゃなんだが、バルクモンドの農業はイマイチ進んでない。特に隣のヴァルエル王国に比べたら雲泥の差だ。まぁ、自然環境を思えば無理もないが」

 バルクモンド帝国の国土は厳しい。

 いや、豊かな地方もあるにはあるのだが、厳しい山岳地帯や手の付けられない深い森が多く、隣国のような見渡す限りの小麦畑という光景は余り無い。

 国の財政を担うのは、主に地下資源。鉄鋼や岩塩、金や宝石もいくらか出ている。

 山岳地帯では酪農が盛んだが、それも特産にするにはいささか弱い。

「この国の食糧問題は、昔からの課題だ。どうだ、お前がこの際何とかしてみる気はないか?」

「…」

 物心ついて以来、美味な野菜を求めて十数年。

 ルドルフの飽くなき探究心は、“新鮮な”野菜を食すために発揮されてきた。

 しかし。

「皇帝になんてなったら、農業以外の仕事も山積みじゃないですか。外交だのなんだの、俺はやりたくないです」

「なんのために官僚がいると思ってるんだ、政治を一人でやろうとする方がバカだろうが。そう言うのは専門家に任せて、お前は最終確認だけしてりゃいいんだよ」

「軍を率いてなんだかんだなんて、絶対に嫌です。戦争なんて起きたら、畑がメチャクチャになります」

「それを止めるのも、皇帝の役目だ」

「お、俺は野菜を愛してるんです。牛や羊を育てて食べるなんて」

「何言ってるんだ」

「肉は嫌いです」

「食わず嫌いはいかん。それにだな、牛や羊、馬もそうだが、あいつらは草食なんだぞ。お前なんかよりよっぽど草を喰らって生きてるんだぞ」

「え…」

 必死で拒絶を示していたルドルフの目が、そこでギラっと光を帯びた。

「酪農協会では、飼料の育成にこだわって研究してる奴らがわんさかいる。そいつらによると、そういう植物は、野菜や芋類を育てた後の連作障害を防ぐために有効、だとか言ってたしな」

「…草を食べて生きる…躰は食べ物で出来ている…」

「お前もな、兄たちほどとは言わんが、少しは肉も魚も食べないと、体に悪いぞ。野菜は大事だが、そればかりではバランスが…おい、どうした?」

 義兄をガッチリと固め技で決めながら、その眼はなにか別のものを追っている。

「飼料…種類はどれくらい…そうだ、放牧してるってことは太陽だって浴びまくって…確か干し草を作るために、物凄い量の植物を…」

「おい、ルドルフ」

 技が無意識になっているせいか、段々手加減がなくなってきている。必死に外そうとするが、これが中々うまくいかない。

「何を考えているか知らんが、とにかく離せ!――締まってる締まってる、おい!」

「義兄上!」

「ぐえっ!」

 物凄い力で締め上げられた。とっさに反応できなかったら、首が折れていたかもしれない。

「わかりました」

「あ"!?」

 ようやく外れた義弟の腕から距離を置いて、首をさするカールシュナイダー。完全にだみ声になっている。

「皇帝位、お引き受けいたしましょう。そして、我が国の食料事情を全般にわたって劇的に改善して見せようじゃないですか」

 その眼はきらきらに――いや、先ほどのままに、ギラッギラだ。更には力強く拳を振り上げている。

「お、おお」

 そのあまりの態度の変換に、カールシュナイダーの方が圧倒された。

「俺はやります!どんな困難があろうとも、どんな厄介な邪魔が入ろうとも、大地の恵みを最大限に生かし、この国に住む全ての民草に食の幸福を与えるんです!」

「…そうか。それは実に立派な考えだと思うぞ」

 だがしかし、この漠然とした不安はなんなのだろうか。

「あー、まぁ程々に頑張ってくれ」

 言いようのない予感に苛まれながらも、カールシュナイダーは他に告げる言葉を見つけられなかったのである。


 二人の兄皇子が身罷ったのは、それから数日後。

 合同葬儀が行われた後、第三皇子が正式に立太子される。


 ルドルフ=アレクサンダー=バーゼル。 

 その治世のほとんどを帝国の食糧事情の改善と名産品の開発に費やし、貧しかった国の食糧事情を劇的に変えた名君となった。

 の、だが。

「ダメだ、この肉は柔らかさが足りない、あの地方で使っている飼料は根本から見直しだな。いや、飼育方法の方か…確か気候はどちらかというと」

「殿下、南方領地からご希望のあった苗が届いたそうです」

「おお、待ってたぞ。早速研究所に――いや、一部は温室(ガラスハウス)十号に送れ。あそこは確か、南方領地の気候に準じた設定にしてあるはずだ」

「陛下、来月の建国記念パーティに出すメニューの一覧が」

「ふむ…。おい、これでは野菜が足りないぞ。この前雇った料理人の特製サラダを百人前ほど追加しろ」

「は?!あ、あの運ぶだけで三人がかりの山盛りサラダを、ですか」

「ハムはこの前試食会で高評価だったあの牧場から直送だな。鶏肉は俺が監修した飼料で育てた鶏を使うとして、牛肉は…」

「あ、アイゼンシュタット公爵、お願いです、殿下をとめてくださぁい!」

「またか…。おい、ルドルフ、畜産と飼料の育成に目覚めたのはいいが、もうちょっと手加減しろ。どんなものでも一朝一夕では改善できないんだぞ」

「そんなことは俺が一番よくわかってる。だが、建国記念日の特製サラダは外せないんだ」

「…あのな」

 筆頭家臣であるアイゼンシュタット公爵を始めとした家臣たちは、彼の飽くなき野菜愛に、終生走り回ることとなる。

 そんな彼につけられた二つ名は、草食皇子。

 即位した後は、緑の夢を見続ける皇帝――緑大帝ルドルフ五世と呼ばれ、後世にその名を轟かせることとなる。


 ――はずである。


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