0002レ 救出
現場に着いて最初に見た時、手のひらは開いていたが
今は力なく握っているような状態だった。
少し開けたスペースからホーム側のレールの向こう側へと
窮屈ながらも身体を伸ばすと、女の子の姿が見えた。
うつ伏せで左腕が背中の方へ不自然に曲がっている。
さっきから見えていたのはその手だ。
駅の照明の明かりがホームと電車との隙間から彼女の全身を映し出す。
この場所は橋上にある駅舎の下にあたるので少し薄暗い。
頭を線路とホームの間にある排水溝の方へ突っ込んでいるようだ。
制服だろうか、グレーっぽい上着は破けてしまい。
スカートも捲れあがっている。
咄嗟に視線を外す。
「大丈夫ですか!?、しっかりして下さい!」
どう見ても大丈夫ではないが、声を掛ける。
反応はない。
しかし、伸びている手がピクリと動いた。
その手に触れると、弱い力で握ってこようとしている。
軽く握り返すと
極めて弱い力ではあるが、明らかに握り返してきた。
その瞬間、自分の中の何かスイッチが入った。
「いま、助けるから、頑張れ!!」
聞こえているかどうか分からないが大声で呼びかける。
「おい村田!」
その時、頭上から駅長の声が聞こえた。
四つん這いのような姿勢から、身体を捻って頭上を見上げる。
そこには、周囲の乗客と一緒にこちらを覗き込む豊永の顔があった。
「意識はあるのか?」
との問いに
「はい、あります。生きてます!」
と応える。
その言葉に、豊永の顔が一変する。
「そうか!間もなく、レスキューが来る。」
「それまで、そこにいてくれ!」
周囲の乗客たちからも
「生きてるって!」 「良かったぁ~。」
という安堵の声に加えて
「がんばってー!」とおそらく涙ながらに激励しているような声が聞こえる。
それまで聞こえなかったが、サイレンの音が辺りには響いている。
しかし、生きているといって安心できる状況ではない。
彼女の体勢からして、打ち所が悪ければどうなるか分からない。
ヘタに動かしても良くないが、頭は排水溝の方にある。
天気が良いので、水は流れていないだろう。
しかし、そのままの状態にしておくのは可哀そうに思えた。
四つん這いのままレールを乗り越え
ホームとの僅かな隙間へ身体を移して1mほど後ずさりをすると、
ホーム下の待避スペースがあった。
そこで着ていたベストと制服の上着を脱ぐと再び
彼女が横たわっている場所へと前進する。
スカートが捲れ、露になった両脚を隠すように上着を掛け
頭の近くへ何とか移動すると、
レール側に顔を向けている状態なのが確認できた。
幸い排水溝には嵌っていないようだ。
「もう少しだから、頑張れ!」
彼女の耳元で言ったが、特に反応はない。
駅の照明に照らされた顔は青白く、
微かに呼吸をしているようにしか見えなかった。
「死んじゃだめだ。」
「きっと、助かるから頑張れ。」
彼女にというより、自分に言い聞かせるかのように
レスキュー隊が来るまでの間、繰り返しては呟くように声を掛け続けた。
その後、レスキュー隊が到着したものの
彼女の救出には時間が掛かってしまった。
電車とホームの隙間に倒れていたのと
電車の床下機器が救出の邪魔になったからだ
人身事故ではしばしばジャッキアップによる負傷者救出が行われる。
これは負傷者が台車の下にいたり、挟まれていたりというケースで
水マクラの親玉のような分厚いゴム製クッションの中に空気を入れ
車両を持ち上げるというシロモノだ。
年に一度、消防や警察と合同で行われる事故復旧訓練があってその時に見たことがある。
重たい車両が空気で持ち上がるのはスゴイと思うが
他の会社で起きた実際の事故で車両を持ち上げたまでは良かったが
元に戻すときに脱線してしまったこともあるそうだ。
いずれにしても、救出には停まっている電車を動かすしかなく
彼女をレスキュー隊が持ち込んだ担架に乗せ
ホーム下の待避スペースに一旦運び込み
電車を移動させた後で救出するという手だてが取られた。
こういう時ほど、二次災害の危険を伴うので
指揮命令や関係者間の連絡連携を密にしなければならない。
ウチの駅長と消防の責任者は
これまで何度も訓練で顔を合わせていたこともあって
極めてスムーズに救出は完了した。
自分は電車の床下に潜ってから
救出が完了するまで、連絡要員として現場に留まり
同時に彼女への声掛けを続けていたが
反応したのは最初だけで、息はあるものの危険な状態には変わりなく、
病院へと向かう救急車を見届けながら、どうか助かって欲しい。
そう祈る以外なす術はなかった。
この日は、夜勤明けだったが
助役の横山さんからの「お疲れさん会」の誘いは疲れたからと言って断った。
あの時、自分の手を弱い力で握り返してきた彼女
担架の上に横たわった青白い顔、擦り傷が痛々しかった。
なんで、あんな事したのだろう。
何があったのだろう。
答えなど分かりはしないのに
問いだけが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
それまでの人身事故は甚だ迷惑としか考えられなかった。
あんな死に方しても浮かばれないどころか後悔しか残らないと思っていた。
五体満足ならいざ知らず
かつて経験した踏切での人身事故のように
人間ってこんなになってしまうのかと思わざるを得ない状況
現場の処理は酷いものだったし、
あれからしばらくの間は刺身や焼肉が食べられなかった。
運転士の中には、人身事故がきっかけでPTSDになってしまう人もいると聞いたし
ウチの父親も何度か経験したことがきっかけで
運転士から地上勤務へ移ったと母親から聞いたことがある。
死のうとした人たちにも、そうしなければならない事情はあったのだろうが
生きるという選択肢は無かったのか、ましてや鉄道を命を絶つ道具に使って欲しくない。
そういう気持ちで一杯だった。
しかし、今日の一件は少し感じ方が違った。
彼女が少なくとも生きていたという事もあるが
自分の呼びかけに、手を握ってきた弱い力に
生きたいという意思を感じたからなのかもしれない。
そんな事を考えながらも
余程疲れていたのか、いつの間にか眠ってしまっていた。