表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電車家族  作者: SAKATSU HIROTO
1/4

0001レ ある朝

電車家族


Vol.1 ある朝


「まもなく、1番線に、通勤急行、新都心中央行きがまいります。」

「黄色い線の内側へお下がりください。」

「この電車は8両です。」

「途中停車駅は ××、〇〇、△△、□□です。」


お決まりの自動放送が流れる。

この駅で毎朝繰り返される通勤通学ラッシュ

まさにそのピークを迎えようとしている。


「お下がりくださ~い。電車到着で~す。」

駅長マスターのアナウンスがホームの屋根に響き渡る。


比較的広いホームを埋め尽くす乗客たち、

誰一人言葉を交わすわけでもなく、

片手に持ったスマホを見入る人がほとんどだが

その昔は新聞や雑誌を片手にした人が多かったと

父親やベテランの先輩たちから聞いた。


ホームの端で右から左へと自らの指先と共に視線を流していく。

その指が左側にたどり着き、「進路ヨシ!」と言いかけたその瞬間だった。

80m程離れた場所から制服姿の高校生らしき女の子が線路に落ちていくのが見えた。

落ちるというより、ふわっとしたスローモーションにも感じる動きだった。


「やばい!」 心臓が大きく脈打つ

電車がやってくる方向を見ると

カーブを曲がって煌々と輝く電車のヘッドライトが見えた。

咄嗟に左手に持っている赤旗を電車に向かって大きく振りながら。

色とりどりの乗客の壁の前をホームの端に向かって走る。

「きゃーっ!!」背後のどこからともなく悲鳴が上がる。

誰かが非常ボタンを押したのだろう。

「ブー、ブー、ブー…」というブザーの断続音も聞こえる。


やってきた電車の運転士も線路に落ちた女の子を見つけたか

あるいは、自分の振る赤旗や非常ボタンによる緊急信号など

異変に気付いたのだろう。

「プァーーーーーーーーーン」

電車の気笛がけたたましく響く


おそらく非常ブレーキを掛けているに違いないが

結構な速さで自分の目の前を電車が通り過ぎていく

その動きと合わせるかのように進行方向を振り返る。

その先で女の子が線路に伏せているのが一瞬だけ見えた。

先ほどよりも鋭い悲鳴と共に「わーっ!」とも「ああっ!」ともつかない叫び声が

電車の長い気笛と共に空へと飛散していく

自分も一瞬、天を仰ぐような気分になった。


やがて電車が停止、しかしホームには入り切っておらず

後ろの3両分がはみ出している状態だ。

非常ブレーキを掛けていたせいか

電車の床下から金属的な焦げた臭いが漂ってくる。

車内の乗客は急停車したことで何が起きたのかと

怪訝な視線を窓の外にいる自分へと送ってくるが

じきに車掌から、ある意味絶望的な放送が入るだろう。


ホームの端近くの柱に設置されている連絡用のインターホンで事務室へ連絡をする。


「…事務室さーん!… の、上りホームで人身事故発生ー!」


息も切れ切れで、うわずった声になっているのが自分でも分かる。

その声に助役の横山さんが反応してくれた。


「お、颯斗か!?上りで人身事故発生了解!」

「目撃者を確保してくれ!」

普段はおっとりした横山さんだが、

まるで人が変わったような指示が飛んできた。


「目撃者の確保了解!」そう応えると

「オーライ!警察、消防への連絡とすぐ応援を出す。」

力強い声が返って来る。


鉄道で人身事故が発生した場合

初動として目撃者の確保が挙げられる。

事件なのか事故なのかを立証するために大変重要だ

これは駅に来た当初から繰り返し言われているし

月に一度行われている勉強会でも度々聞いている。

目撃者の有無が運転再開までの時間に大きな影響を与えると言ってもいい。


停まった電車に寄り添うかのように前方へ向かう。

途中、ホームの乗客が電車とホームの隙間を

覗き込むようにしている場所を通りかかった。

件の女の子が落ちた辺りだろう。


周囲には一部始終を見てしまったのか

声をあげて泣く女性や、血の気が引いた表情の人が何人もいる。

異様な空気が漂う中


「今の事故を目撃された方いらっしゃいますかぁー!」

息を整えながら大声で呼びかけた。

その声を聞いて我に返ったのか、その場から立ち去ろうとする人

相変わらず青い顔をして固まっている人

勤め先だろうか、電話を掛けている人

スマホを必死にいじっている人


誰からも反応がない。

もう一度呼びかけようとすると


「あ、あの、ワタシ見てました。」

年配の男性が名乗り出てくれた。


「ありがとうございます。」

帽子を取って礼を言う。


「事故の状況を教えて頂きたいのですが、少しお時間を頂戴してよろしいですか?」

「まぁ、急いでいると言ったところで、これはしばらく動かないよなぁ…。」

男性は辺りを見まわしながら独り言のようにそう言った。


「勤め先に電話だけ入れておきたいから、ちょっとだけ待って。」

「ええ、構いません。」

そう告げると、男性は階段の下へ行き電話をかけ始めた。


「おい、村田ぁ、目撃者は見つけたか?」

そう言いながら小走りに近づいてきたのは駅長の豊永だ。


「その階段の下で電話をかけている方が、名乗り出てくれました。」

と、先ほどの男性に顔を向けると、駅長は大きくうなずいた。


「いま、運転士が司令所に連絡を入れている。」

「下りは場内で止まっていて、今後待避線へ入れる予定。」

「目撃者の対応は俺がやるから、村田は現場へ行ってくれ。」

「ある程度話しが聞けたら、現場へ行く。」

「いま、現場には安川助役が向かったので、その指揮下に入れ。」


矢継ぎ早に言われたが、救出作業を行うにあたり

この中で一番重要なのは反対側からやってくる下り電車の状況だ。

駅の手前に設けられている場内信号機の手前で止められていることは分かった。

万が一、この確認を疎かにすると二次災害の危険性が伴う。

かつて、ある鉄道会社で人身事故が発生した際

救急隊が線路内で負傷者の救出作業を行っているにもかかわらず

司令員が後続列車の運転を再開させてしまい、

その結果、救急隊員が犠牲となる事故があった。


「下りは場内で停止、今後は待避線へ入れる予定。」

「自分は現場に向かい、安川助役の指揮下に入ります。」


「オーライだ、頼んだぞ。」


階段のそばには事務室があり、入り口のテンキーを押して扉を開けようとしたが

指先が震えていて上手く押せない。何度か押し直してようやく開ける事が出来た。


この事務室には普段誰もいないが

ヘルメットや清掃道具、あるいは車両故障が起きた際にでも使用するのだろう

〇〇車両区と書かれた大きな工具箱などが置かれ、ほぼ倉庫と言ってもよい状態だ。

ただ、ちょっとした休憩スペースもあるので

少人数のミーティング程度なら行えるようになっている。

非常用にと壁に掛けられているヘルメットと手袋、

それに反射材が縫い付けられたベストを手に取り身支度を整える。


大きく深呼吸をして「よし、行くぞ。」と

自分に言い聞かせるように呟きながら事務室を出た。

頭には線路に落ちる女の子の姿が残像のようにリピートされていた。


人身事故


その言葉を聞くだけではどの様な状況が起きているか分からない。

いや、出来ることなら分からないでいた方が幸せかもしれない。

自動車の交通事故でも良く使われる言葉だが

かすり傷や打撲といった軽いものから死亡事故まで幅広い状況を指す。


鉄道の人身事故は、多くが死亡事故となるだけでなく

その現場は凄惨さを極める。


自分は新入社員としてこの駅に配属となり

有り難くないことに、これまで二度経験してきた。

一度目は入社した年の年末、世間では仕事納めの日だった。

その日は夜勤で、翌朝の初電対応のために朝3時半に起きなければならず

22時頃には寝るつもりでいたが、

同じ早番だった先輩の後藤とゲームの話をしているうち、

気が付くとだいぶ遅い時間になってしまっていた。


さて、そろそろと思い寝室へ向かおうと席を立った、まさにその時

先ほどのような、長い気笛が聞こえてきた。

一緒にいた後藤は、「ん?やったか?」と呟きながら眉間にしわを寄せる

最初は何の事かわからなかったが

司令所と乗務員との通話をモニターしている受信機から

「ただいま、△△駅進入の際に人身事故発生、現在停止中。」

「緊急無線を発信しました。」

という第一報が聞こえてきた。


それとほぼ同時に司令との直通電話のチャイムが鳴る。

遅番の松田助役がすかさず受話器を取った。


「はい、△△で松田です。」

「はい・・・、はい・・・」

「下りの〇〇運行で人身事故、状況確認了解」

「責任者は、松田が担当します。」

「はい・・・、その通りです。」

「連絡用電話を持参するので、状況分かり次第連絡します。」


松田助役はそう言って受話器を置いた。


「後藤クン、寝るの遅くなっちゃうけど、とりあえず下りホームへ行ってくれる?」

「私は支度したら直ぐ行くから。」

「あ、あと目撃者ね。」


後藤は即座に「わかりました。目撃者も確保します。」と返事をする。

その隣りにいた自分は何が何やらといった感じで固まっていたのだろう。


「村田クンは初めてだっけ?」


松田助役の尋ねる声に


「は、はい・・・」

「後藤クンと一緒に下りホームへ行って、お客様の対応をしてちょうだい。」


「わ、わかりました。」と、返事をするので一杯いっぱいだった。


松田助役はこの駅の助役では唯一の女性だった。

入社して15年近いそうだが、普段はあどけなさの残る笑顔の素敵な人だ。

しかし、普段とは明らかに表情が違う。目が真剣だ。


制服の上にコートを着て後藤の後に付いて行こうと事務室を出る。

下りホームからは多数の乗客が階段を昇ってくる。

それを見た後藤は「あれ?なんで?」と小さく声に出す。

乗客の流れを妨げないよう階段の隅を駆け下りてホームへ行くと、

普段と変わらず電車が停まっていて、おまけにドアも開いている。


「人身…って言ってたよな。」

後藤が振り返りながら自分に尋ねた。

「ええ、確かに・・・。」


「村田、お前運転士のところへ行ってこい。」

「俺は車掌側へ行く。」

自分は「わかりました。」と答えて後藤と電車の前後に分かれた。

階段から電車の最前部までは60mほど、

小走りで向かうと、運転室の窓をノックした。


落とし窓がスッと開く

「お疲れさまです。△△駅村田です。」

「人身事故と聞いて来たのですが・・・。」


「あぁ、お疲れ様。〇〇列車区浜田です。」

そう言って自分の顔を見る運転士の表情は明らかに強張っている。


「たまたま停止位置に止まったもんだから、車掌がドアを開けたんだよ。」


「じゃあ人身事故というのはホントなんですね。」


「ホントも何も、駅舎の下辺りかな、酔っ払いぽかった。」


そう言われて電車の後方を見ると野次馬だろうか、駅舎の下に人だかりができている。


「俺はこれから現場へ行くから、駅は誰か来てくれるのかい。」


「ウチの助役が責任者として向かいます。」


「わかった。」

「司令からは、上り電車は止めてあると連絡が来てる。」


運転士はそう言うと窓を閉め懐中電灯を片手に反対側のドアから線路上に降り、

バラスト(砕石)を踏む音を残しながら現場へと向かって行った。


あ、そういえばお客様対応と言われていたんだった。

持ってきていたワイヤレスマイクでアナウンスをする。


「えー、お客様にご案内いたします。」

「ただいま、当駅にて人身事故が発生しました。」

「そのため、電車の運転を見合わせています。」

「運転再開までしばらく時間がかかります。」

「お急ぎのところご迷惑をお掛けしますこと、お詫びいたします。」

通り一辺倒の放送とはなるが

今の状況ではこの程度しか言いようがない。


電車から降りてきた乗客に

「何時頃動くのか。」 「この先の接続電車に間に合うのか。」

「代替えの交通機関はあるのか。」 「早く動かしてくれ。」

「約束があるんだけど。」等々、次から次へと詰め寄られるが


「申し訳ございません。」

「今しばらくお待ちください。」


それを繰り返すことしかできない。


「しばらくって何分だよ!」

「さっきから同じ事ばかり言いやがって。」

「こっちは急いでんだよ。」


時間が経つにつれ言葉も荒くなってくる。

ましてや忘年会シーズンでアルコールが入っているとなればなおさらだ。

やがて、救急車やレスキュー隊あるいは警察だろうか

いくつものサイレンが近づいてきた。


結局、この時は酒に酔った男性がホームから足を踏み外し転落したものの

落ちた場所が線路脇にある側溝だったため電車にぶつかることはなく

打撲で済んだとのことであった。


運転士はその直前で非常ブレーキをかけたが、

通常の停止位置とさほど離れずに止まってしまったため

車掌はいつもより手前に停まったと思いつつも、停車位置の許容範囲内だったので

人身事故と気づかないままドアを開けた…。ということだったらしい。


翌日、松田助役が自分を含めた明け番の駅員を連れ立って

近くのカフェで「お疲れさん会」を開いてくれたが

「私は結構運が良いのよね。」という言葉に

後藤が「その割には男運が悪いですね。」と軽口をたたき

「それはアウト!今日は後藤の驕りね。」と頭を軽く叩かれたのを見て

昨夜の疲れは笑いと共に吹き飛んだ。


人身事故そのものより

殺気立つ乗客の方が怖いと感じた出来事であった。


それから半年ばかりが経過して

二度目に経験した人身事故は、殺気立つ乗客の方がまだマシだと思わせるものだったが

いや、今はそんなことは考えないようにしよう。


先頭の運転席を覗き込むと

既に運転士は現場へ向かったとみえて誰もいなかった。

そこから60メートルほど先、

ホームの端にある鉄柵の扉を開け、数段の急な階段を降りる。

「右ヨシ!」

「左ヨシ!」

上下線共に電車は既に停まっているものの安全確認は必須だ。

上り線の線路を渡って右方向、電車の方を見ると運転士と安川助役だろうか

しゃがみ込むように電車の床下を見ている。


そこが現場なのだろう、

下り電車が来ないことを確かめながらバラストの上を進む。

線路にまかれているバラスト

レールを支え列車の重みに対するクッションの役割を持っている。

バラストに使う石はゴツゴツした形なので、その上はとても歩きづらい。

たまにバランスを崩し、電車の車体に手を付きながらも現場へ辿り着いた。


「安川助役、マスターから安川助役の指揮下へ入るよう言われてきました。」

そう告げると、いつも以上に険しい顔をした安川はコクリと頷き

「村田、お前この下へ潜れるか?」と唐突に聞いてきたが

一瞬何を言っているのか理解できなかった。


「あそこに手が見えるんだが、俺も運転士も身体がデカくてな。」


そう言われて、電車の床下に取り付けられている機器の箱の下を恐る恐る覗き込む。

暗がりの中に細い腕と手のひらが見える。

そして、その手が微かに動くのが分かった。

「生きてる??」

思わず声に出る。


「村田、お前そこの隙間から向こう側へ抜けられるか?」

安川が指さしたのは機器の箱と台車との僅かな隙間だ。

自分なら何とか通れるかもしれない。

「その先から左へ入ると結構なスペースがあります。」

大柄な運転士が困惑した複雑な表情で教えてくれた。


人身事故であれ、その他の異常事態であれ、まずは人命が最優先だ。

線路に飛び降りた高校生らしき女の子

最後にその姿を見た時、その身体は線路上に伏せた状態だった。

助かることはない、そう思っていた。

しかし、今見た手は確かに動いていた。


負傷者の救出といっても、その時点でどうしようもない状況が多い。

自分が二度目に遭遇した人身事故は駅から少し離れた踏切だったが

とてもじゃないが、救出という状態ではなかった…。


まだどうなっているかは分からないが、

今なら文字通り救い出すことが出来るかもしれない。

通常だと負傷者の救出は、

救急隊やレスキュー隊に任せてしまうことが多いのだが、

救出が早ければ早いほど運転再開までの時間は短くもなる。

それはそれで分かるのだが、凄惨な負傷者の状態を目の当たりにして

尻込みするケースもままある。


「行ってみます。」

そう安川に告げて、車両の下へ潜り込む。


「無理はしなくていいからな!」

その言葉を背に受けて先へ進む。

機器と台車の間は思ったより狭く、

箱に顔を擦るようにして身体をねじ込む

車両の中央にはもう少し幅のあるスペースがあり

頭を下げつつ四つん這いで移動するが

時折、ヘルメットにゴツゴツと機器が当たる。

3mほど進んだだろうか

右側に空間が出来ていて、その先に白い手が見えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ