発達障害は小説家に向いているのか?
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人生そこそこ長いこと歩んできて、実に色々な人に出会いました。
もちろん、その中には大御所の小説家なんて方もいて(名前は出せません、ごめんなさい!)、そういう方々を見てふと疑問に思ったのが、
「発達障害って小説家に向いているのか?」
ということです。
まあ、何で発達障害をここであげつらったかと言いますと、自分が就職やら転職やらをして、適職検査とやらに目がついたことがきっかけです。
ああいう検査とか自己診断って、深く掘り下げていくと、絶対にASDとかADHDとかの具体的な症例に行き着くわけでして……。
私の友人にもそういう方はいますし、趣味で物書きをしている身としては、自然とそういう発想に行き着いてしまうのです。
それで本題に戻りますが、クリエイターと発達障害は、ネットでも物の本でも、一般的に親和性が高いと言われています。
たしかに、純粋絵画や音楽は、そのような傾向があるかもしれません。
ですが、小説に限っては、果たしてそうなのでしょうか?
経験上、私は全然そのように思えないのです。
物語は読者ありきの存在です。地の文章をどの程度削って、どの程度読者の想像に任せればいいかと言う判断を続けねばなりません。自分が関心のないガジェットについても、正確に特徴を捉えて描写せねばなりません。読者のニーズに合わせて、作中の視点を配分していかなければなりません。
こういった作業や気配りは、発達障害の方が一番苦手とするものではないでしょうか?
私が出会った小説家の方々は、もれなくエリートビジネスマンでも通用するような人たちばかりでした。もちろん、皆さん高学歴です。
発達障害をお持ちの小説家も、世の中にはもちろんおられます。とは言え傾向としては、やはりそういった障害はハンディキャップにしかならないと思います。
ひょっとしたら、上記の方々も私が見抜けなかっただけで、そういったハンデはあったのかもしれません。
そこで、小説家を以下のように分類してみたらどうでしょう?
①その人の感性が世の中にマッチしている所謂天才
②圧倒的な学識と経験で分析しては、計算高く書いていく秀才
このように2パターンに分ければ、その人をパッと見ただけでは一般社会に馴染んでいそうですし、障害をお持ちのままの小説家が実在することも全て説明がつく気がします。
自分がプロにもなれていないのに、偉そうなことを言っている自覚はあります。
また、実際に障害をお持ちの方が、私の文章を読んで傷つかれたら、大変申し訳ないとも思います。
異論や反論は認めます。
私が言いたいことをまとめますと、「発達障害はハンデではあるが小説家になることは不可能ではなく、また障害の有無に関わらず、②のような努力が必要だ」と言うことです。
創作をサボる私自身への戒めとして、この辺で筆を置かせていただきます。