面白がりたくない伯爵家令嬢は世界一ダメな伯爵家令息に恋をする
馴れ初め話。
アンドレア・ケフィコフは恋をしていた。相手は学園の先輩で生徒会役員のガイゼル・ツネルガットだ。
この先輩、アンドレアの知る限り一番にダメな人なのだ。
生真面目で努力家で、なのに成果がついてこない。
貴族学園の学習要綱は国内随一を誇るけれど、アンドレアたち若い子女に合わせた易しいものだ。各学問のさわりにしかならないのだから、そこで完璧を目指すことに意味はない。なのにガイゼルは生真面目にすべて完璧にしようとして、能力が追いつかずにどれも中途半端になっている。
生徒会役員になるほどだから人望もなくはない。でも生徒会長ではない。今期の生徒会長は学園の予算を私物化したいと公言してはばからない人で、私物化した予算で体育館の建て替えと図書室の蔵書倍増を達成し、生徒たちから絶大な支持を得ている。ちなみにガイゼルの役職は会計である。お飾りだ。
「何だか楽しそうだから私も生徒会に入ることにしたよ」
ガイゼルと同い年の兄はそう言った。
「兄さま。私が兄さまを脅すのに一番効果的な発言は何だと思います」
「『もうお話しません』とかかな」
「ならそうします」
「なぜ!?」
なんてことだろう。ガイゼルがあまりにダメなものだから、兄のような人を引き寄せてしまった。本当にダメな人なのだ。
恋するあまり同じ学年というだけの兄に何かないのか知り得ないのかと質問責めしていた己のことは棚に上げる。兄は空席だった書記の座に納まった。
納まったらば、それを利用しない手はない。
兄は兄らしく生徒会長と一緒にガイゼルの手を焼かせているようだった。予想できたことだ。ならば、しおらしく兄のかけた迷惑を労ってみせれば好感を与えられるのではないか。そう企んで、アンドレアは生徒会室の扉を叩いた。
扉を開けたのがガイゼルだったので口上がすべて飛んだ。放課後に行くと言ってあったのに兄は部屋の奥で生徒会長と談笑していた。
お兄さま、差し入れをお持ちしたの。入れてもらえる?
ではない。兄は部屋の奥だ。まずこの眼の前にいる想い人に声をかけなければ。
「私のこと覚えてらっしゃいますか」
「アシュームの妹さんだろう」
アンドレアには兄のアシュームより先にガイゼルと面識があった。しかし相手は忘れているようだ。
先に知己を得ている兄への嫉妬やら、恋する相手とはいえあんまりだという思いやらでぐちゃぐちゃだ。もう帰ってしまいたいと思ったのに兄が部屋の奥に招く。
紅茶が用意されていたので流れで席についた。喧々諤々、職員室から高価な備品を搬出するための計画が議論され、明日にも実行されそうな勢いだ。
「反発は必至だろう。楽しそうかどうかは問題ではない」
制するガイゼルの言葉を兄と生徒会長が受け入れる様子はない。
「兄がいつもご迷惑を」
「ん。ああいや、そうではなくて」
兄があまりに明確な迷惑をかけているものだから、企みを抜きに言葉がこぼれた。
「君のお兄さんは、少し楽しさを重視しすぎるところがあるけど、優秀な人だ。生徒会の助けになっているよ」
考えて作ったことがあからさまな擁護の言葉は、兄と生徒会長の傍若無人ぶりを前にしては説得力の欠片もない。
「書記ではいけなかったのでしょうか」
「うん?」
「…向いていないと思うのです」
会計よりも書記になるべきだった。会計よりは生徒会長のがましだ。
「それは確かに」
頷くガイゼルを前に血の気が引いた。
「お暇いたします」
ケフィコフ伯爵家は珍しく有用な祝福を継ぐことと、その気質で有名だ。
感性でものを判断しがち。貴族の責任をときに放り出して自身の楽しみを優先する。
アンドレアは自分のそういうところが嫌いだった。
少し前までは、家門がそういった評価を得ていることは知っていても、自分とは関係ないものと考えていた。
兄がそうしているのは気にならない。アンドレアがこだわるのは自分のことだ。すぐに要らないことを言う。
初学年の頃に仲がよかった友達が自分で刺繍した飾り釦を見せてくれた。猫だというその刺繍はお世辞にも上手いとは言えず、その友達が作ってくれるお菓子はいつも美味しかったので、あなたは料理のが得意だと思うと言った。友達はほんとだねと言って二度と刺繍を見せることはなかった。
ガイゼルは不器用でダメな人だ。だからといって、会計の仕事が学園の予算を私物化する生徒会長の前でお飾りになってしまっていることをあげつらっていいわけではない。
上手くいかなくたって誠実に努力しているのに。
生徒会室を後にしたアンドレアは二度と寄り付かないことを誓った。
それなのに兄が、もう生徒会室に来なくていいのかとしつこい。
アンドレアの恋は終わったのだ。兄がもっと真面目に協力してくれればあのような終わり方をしなかったのではと恨みに思うところはあるが、きっと早晩取り繕うことに失敗して終わっていただろう。仕方のないことだ。アンドレアのような気質では。
ガイゼルのことを諦めたアンドレアを気に入らなかったらしく、兄はガイゼルをケフィコフ家の屋敷に招待した。
朝食をとろうと食堂に出向いたら想い人がいた衝撃を想像してみてほしい。休日で、しかも朝食だ。何をこんな朝早くに呼び出しているのか。
寝巻きではないものの人に見せられた格好をしていなかったアンドレアは悲鳴を噛み殺した。そのせいで喉を少し痛めた。
「久しぶりですね」
「あっ、はい」
早急に、この場を辞する言い訳を考えなくてはならない。籠に一杯のパンと様々並べられたジャムに、二種類のスープ、それに殻付きの炒り豆は、部屋に運んでもらうには手間のかかる献立だ。
ガイゼルのことを呼びつけたのは兄で間違いないが、あろうことかその兄の姿は見えなかった。
「気の所為かもしれないけど」
アンドレアの好きな人が言う。
「とても気を遣ってくれていますか」
どのことだろうと思った。今のことなら、部屋着の裾に織り込まれた子供っぽい柄をテーブルクロスの影に隠すためにアンドレアは最大限の気を遣っている。
「アシュームの妹さんだから。きっとアシュームと同じ気質なのだろうと思って」
感性でものを判断しがち。貴族の責任をときに放り出して自身の楽しみを優先する。
アンドレアは自分のそういうところが嫌いだった。
「でも貴女は私の前で、取り繕っているでしょう。そう言うと失礼かな。表に出さないようにしてる。負担ではないといいのだけど。私のためにそこまで心を砕いてくれるのかと」
いくら取り繕ったって、生来の気質が抑えられない。ガイゼルの真面目すぎるところを心底ダメだと思うし、そのせいで被る不利益をできるだけ減らしてあげたいと思う。
「私、兄より先にお会いしたことがあります」
「去年の秋だね」
それはまだアンドレアが家門の評価を自分と結びつけていなかった頃のこと。学園に進学してみれば兄と家門のことが思うよりも有名で、ケフィコフだものね、あの家の子だものねとことあるごとに言われ辟易していた。
その日も授業で祝福を理由に希望と違う班に振り分けられ、むしゃくしゃしたアンドレアは下校時刻になってすぐ教室から玄関ホールへと"転移"した。学園の敷地では鍛錬を理由に祝福の使用がおおらかに許されている。
"転移"してみれば、玄関ホールに前日までなかった建国の英雄像が設置されていて、そのせいで空間認識の狂ったアンドレアは宙から落ちた。
落ちたところを助けたのがガイゼルだ。
教師の手伝いで備品を運ばされた帰り。アンドレアの"転移"したすぐ側を歩いていたガイゼルは、宙から落ちたアンドレアを受け止めた。
"転移"の祝福はもっぱらケフィコフとその縁者から輩出されるので、アンドレアがそうだとわからないはずがないのに、保健室まで運んでくれたガイゼルは迷惑そうな顔を一度もしなかった。
気づいていたのだ。
「恋愛小説みたいでした」
ガイゼルは目を瞬かせて、深く頷いた。
「署名をもらってきたぞガイゼル!これで校長室の彫刻時計は歴史博物館のものだ」
兄は公有地で"転移"の祝福を使うための申請書を掲げた。ケフィコフ家当主である父の署名が必要な書類だ。職員室に引き続き校長室からも備品を持ち出すつもりらしい。
「ああ、それはもう止めるのを諦めたからいい。ひとつ頼まれてくれないか」
「何だ?」
「婚約の申し込みがしたい」
「それはいいな!」
アンドレアは友人に謝ることにした。ずっと恐ろしくて言えなかったけれど、もしかしてガイゼルのように許してくれるのではないかと思ったのだ。
食べてもらえる方がいいなと思ったのと言った友人が後日持ってきた手巾には、黒と茶色の糸で太陽のような模様が刺されていた。熟考してカササギと言い当てたアンドレアのことをころころ笑って、また持ってくると友人は言った。
兄は在学中に生徒会長と婚約し、卒業と同時に結婚した。アンドレアが奮闘する横でちゃっかり伴侶を得ていた兄のことは許さない。