皇子と異界の騎士④
「久々の汚れ仕事ってヤツか。こっちの世界じゃ初めてだな」
──俺達騎士は、貴人の護衛も任されていた。園遊会や舞踏会の度に、俺達は駆り出されていく。談笑をする貴婦人や令嬢の背後に控え、時には馬車にだって同乗する。
そうすると必然的に彼らの秘密や醜聞に触れる機会が多々あった。当然、目にして耳で聞いたソレを外部に漏らすなど言語道断だ。だが、中には偶然知ってしまった秘密で貴人を脅迫する者もいた。
大体において迅速に見つけ出し直ちに処分をしていたが、逃亡を図る小賢しい輩も一定数いた。そういった連中を見つけ出すのに、俺達騎士団が愚直に足を使ったりはしない。
そんな事は同類の輩にやらせれば良いのだ。その方法というのは、まず一般人のフリをして酒場に通う。そして適度に酔いが回って来た風を装いながらこう呟くのだ。
『なんであんなに膨らんだ財布なんか持っていたんだろうなぁ』と。
周囲に無視されたらそれはそれで構わない。けれど、これまで周りが食いつかなかった事は一度も無かった。
『どうした、酔っぱらいの兄さん。誰が何を持っていたって?』
『いや、ここに来る途中若い男にぶつかったんだけどさ、その時にソイツが財布を落としたんだよ。恩知らずな事にさ、拾って渡してやったのに礼も言わずに走って行きやがった。だけどソイツ、身なりは地味だったのに財布だけやたらと膨らんでいたんだよな。あれ、金貨が何枚入っていたんだろうな』
『……金貨だって? 本当か?』
──後は目の色を変えた連中にさりげなく容姿を伝えるだけ。後は何もしない。
そうすると、早くて翌日。遅くても二、三日以内にソイツは身ぐるみ剝がされた死体となって路地裏に転がっている。いくら鍛えている騎士といえども、飢えた獣の群れに囲まれたら成す術はない。
もちろん、今回は弟くんを始末するわけではないのだから違うやり方をしなければならない。だからごく普通の作戦を取った。
俺は行く先々のバーで話し相手を欲している一人客を装い、さりげなく周囲に話しかけた。
『この前テレビに出ていた皆実興業の社長の弟、実の兄貴に惚れてるって噂聞いたけど本当かなぁ。確かに二人共綺麗な顔をしているからな、わからなくもないけど』
夜の街に飲みに来る連中が、夜の事業を数多く展開する皆実興業を知らないわけがない。大抵、興味津々で噂の出所を聞いてくるか「止めとけよ」と眉をひそめるかのどちらかの反応を示して来る。
だが、今夜のバーテンダーは違った。
「……お客さん。そんな噂、誰から聞いたんですか?」
「誰ってわけじゃない。一人で飲んでいる時に、なんとなく耳に入って来たってだけだよ」
「へぇ。どこの店ですか?」
俺はそこでさりげなくバーテンダーを観察した。
下世話な話題に興味があるフリをしているのだろうが、目が全く笑っていない。俺は確信した。この店は“当たり”だ。
「どこだったかなぁ。有蘭町の辺だったかもしれないし、綿糸町だったかも……。よく覚えてないよ」
「お客さん、その噂、どこかで話したりしました?」
「ん? そりゃまぁ、あちこちで。だって面白いネタだし? そうそう、中には兄貴への思いを拗らせたせいで家出したんじゃないかって言う奴もいたな。あぁそうだ、なんかヤバい事を言ってるヤツがいたよ。面白いから弟くんの顔写真をそういう裏サイトに流したらどうかって。あれだけ綺麗な顔だと絶対に売れるって言っていたけど、さすがにそれはヤバいよな」
「……」
バーテンダーは無言で頷いていた。その横で、黙々とグラスを磨いていた糸のように細い目をした若い男がスッと奥に消えていく。
どうやらここが引き時らしい。俺はバーテンの男に会計を申し出た。
「もう帰ろうかな。会計してくれる?」
「かしこまりました」
ビール二杯にジントニック一杯。会計は一万弱だった。
ぼったくりと騒ぐほどでもないが決して安くもない絶妙な金額。この金額なら、下手に騒いで目を付けられるよりは大人しく言われるがまま払った方が賢明だ。
ここの経営者は皇子とは違う意味で賢い人間なのかもしれない。そんな事を考えながら、俺は店を後にした。そのままあてもなく夜の街をフラフラと歩く。この分なら、そろそろ蒔いた“種”が発芽の兆しを見せるかもしれない。
俺はさりげなく人気の少ない方向に向かって歩いた。十分もすると、案の定後ろから俺を尾行している人間達の気配がする。
四、五……。いや六人か。
腐っても俺は皇軍に所属する騎士なのだ。尾行の気配などすぐに分かる。気づかないフリをしながら、さりげなく人気のない地下道に向かっていく。
と、今度は前方からも気配がした。これは、後ろのよりもさらに凶暴な気配だった。
「……おい」
低く掠れた、底冷えのする声。振り返った瞬間、後頭部に硬い何かが思いきりぶつかって来た。ぶつかって来たというか、殴られた。ゴヅッという骨にあたる鈍い音から、木材よりは硬く鉄パイプよりは細いものだとすぐにわかった。
不快だがまぁ良い。どれだけ殴られたところで俺は死なないし骨だって折れない──。
「……待て、嘘だろ⁉ 痛ってぇ!」
衝撃の少し後から襲い来る激しい痛みに、俺は思わず悲鳴を上げた。急ぎ片手を後頭部に回して殴られた箇所を確かめる。裂傷の感触はなく、陥没もしていない。肉体損傷がないのは本当らしい。そう言えば「痛みを感じません」とは聞いていなかった気がする。
「くそっ! じゃあ痛い事は痛いままなのかよ!」
「あ? 何わけわからない事を言ってんだ、てめえ!」
頭を庇いながらうずくまる俺に対して、襲撃者達はさらに殴りかかって来た。殴打の雨が、背中や庇う手に向かって容赦なく浴びせられる。
「ちょ、ちょっと待て! 痛い、痛いって!」
余りの痛みに、俺は思わず地面に倒れ伏してしまった。耳元で、ブンブンという風を切る音が聞こえる。どうやら細い棒のようなもので殴られているらしい。
「おいお前。これ以上痛い思いしたくなかったら、さっきのクソみたいな噂を流していたヤツの情報を話せ。そうしたらぶっ殺すのは一番後にしてやるから」
「ま、待ってくれよ! 俺はただ、耳に入って来た事を喋っただけで……!」
「そのなんの根拠もないクソ話を嬉々として喋りまくっていたんだから同罪だよ、同罪。少なくとも王子サマは相当なご立腹だからな」
「王子……?」
俺はゆっくりと顔を上げた。俺の顔を見た男達のにやけ面が、一斉に驚愕に歪む。
「……おい、コイツちょっと変じゃないか? 顔も腫れてないし血が一滴も流れてねぇぞ? あばらの何本かヤラれてるはずなのに」
「気のせいだよ、気のせい。それより、そろそろ王子がイライラしてる頃だ、とっとと吐かせようぜ」
さらなる殴打が加えられるのか、と身構えた途端、俺は両脇を抱えられ地下道から連れ出された。そのまま、先ほどまで飲んでいたバーの裏手と思しき場所に連れ込まれていく。
「じゃ、張り切って喋ろよ」
雑に地面へ投げ出された後、俺の一番近くにいる銀髪の男が酷薄な笑みを浮かべながら、大きく片手を振りかぶった。手には黒光りする細長いものが握られている。
「特殊警棒かよ。どうりで痛いはずだ」
俺は頭を庇うべきか否かを、しばし迷った。頭を殴られるのは痛いが、あの硬い警棒を手の甲や腕で受け止めるのも嫌だ。男が警棒を振り下ろした瞬間、俺は頭を庇う事を選択し両手で頭部を覆った。
「ちょっと待て」
振り降ろされた警棒が俺の頭部にぶち当たる瞬間、突如として苛立たし気な声が聞こえた。それは周囲の連中と比べて少しだけ澄んだ、少年の声だった。
「あぁ、王子。今来たのか」
俺を殴ろうとしていた男は、片手を振り上げたまま固まっている。
「今来たのか、じゃねぇよ。それから、俺の事を王子って呼ぶなといつも言ってるだろ? つーかお前ら、俺の話をちゃんと聞いてた? 俺は気色悪い噂を流してくれたヤツを見つけて痛めつけて来いって頼んだよな? 金だって払った。なのに、なんでこいつはピンピンしてんの?」
残念だがピンピンはしていない。全身がものすごく痛い。
けれど、俺は『王子』の事が気になって仕方がなかった。ひとまず『殴られて痛みに転げまわる一般人』を装う事を止め、身体の埃を払いながら立ち上がる。俺を暴行していた男達は、気味悪そうな顔をしながら一斉に後方へ引いた。
「君が王子? じゃなくて、皆実興業の社長の弟さん?」
俺の真正面には、制服をだらしなく着崩した一人の少年が立っている。少年は形の良い眉をしかめ、俺を睨みつけていた。
「もしかしてアンタじゃね? 気色悪い噂を流してくれたのは」
──兄の一馬と同じく整った顔。少年らしく線は細いが上背は高くスタイルも良い。
ここの家は、兄弟揃ってさぞかしモテる事だろう。だが、兄とは決定的に異なる部分があった。目だ。こっちの“王子”の目には、何とも言えないだらしなさが見える。
「違う……いや、やっぱり違わない。そう。俺が噂を流した」
「理由は?」
「キミを連れ戻して欲しいとキミのお兄さんに頼まれたから。けれどキミはどうやらとても逃げ足が速い。夜の街に潜んでいるだろうとは思っていたから、全く根も葉もない上にちょっと恥ずかしい噂を広めたら、キミの方から出て来てくれるかと思って」
「アンタ何者? 兄さんの知り合い? とてもそんな風には見えないけど」
王子こと弟くんは俺を見下したような目で見ている。ここは素直に「探偵です」と言うべきだろうか。だが、そうしたら必然的にウチの事務所の名前を聞いて来るだろう。事務所の名前を知られたら、報復的なものを受けるかもしれない。
「……知り合いじゃないけど、友達でもない」
「あっそ。じゃあ皆、こいつをボコボコにしちゃって。でも殺すのは駄目だよ」
弟くんは歌うように言いながら、一歩後ろに下がった。暴力はまだ続くらしい。
「待て、待ってくれ。頼むから、これ以上暴力を振るわないでくれ」
別に怖いわけじゃない。けれど、痛みを感じる事がわかってしまったからには、無駄に痛い思いをしたくはなかった。周囲の連中がクスクスと嘲笑う声が、さざ波のように広がっていく。
屈辱に目が眩みそうになるが、ここは我慢をするしかない。
「……最初から大人しくしてれば良かったのに。おい、もうコイツに手を出すなよ。詳しい話を聞き終わるまではね」
どうやら王子は上手く飼い主をやれているらしい。さっきまで嬉々として俺を暴行していた連中が、神妙な顔つきで後方に下がっていく。“話を聞き終わるまで”というのが気にはなるが、どちらにしても俺は死ぬ事はない。
俺は事情を話してしまおうと決めた。俺が“気骨を持った本物の探偵”だったらあくまでもシラを切りとおす所だが、生憎と俺はそうじゃない。
「ただの探偵だよ。キミが色々と楽しい事をしているのがわかったから、仕方なく探偵事務所に頼んだってトコみたいだね」
弟クンは左手の甲を口元にあて、おかしそうに笑った。
「何だ、クスリの事バレてたんだ。ふーん、それで探偵なんか雇ったんだ。笑えるなー」
「キミの事が心配なんだろう。成功報酬もなかなかの金額だったし」
俺の言葉に、弟クンは笑いながら眉をしかめる、という器用な表情をして見せた。
「弟を心配、なんてあの人からもっともかけ離れた感情だよ。そんな事より、見てみたかったなー、アンタらに依頼をした時の兄さんの顔。あの人、自分より劣っている人間に頭を下げるのを死ぬ程嫌うから」
「そんな風には思わなかったな。むしろとても紳士的な人だと思ったけど。っていうかなんでこっちが劣ってる前提なんだよ」
俺の言葉を聞くと、弟クンは小馬鹿にしたように笑った。
「どう考えても劣ってるじゃない。顔も、財力も身長も。まぁ、アンタの性格は知らないけど、そうだな、兄さんよりはマシかもね。けど、それは優劣関係ないから」
「何だ、それ。ずいぶんな言いようだな」
「探偵さんはあの人の本性を知らないからね。きっと帰りの車の中で運転手に当たり散らしていたはずだよ。なんなら運転手に直接聞いてみたら?」
「いや、いい。興味ないから」
これは紛れもない本心だ。俺が興味あるのは、目の前の少年の兄が皇子であるかどうかという事だけだからだ。