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皇子と異界の騎士③

 

 そこにいたのは、作業着を着ている数人の男だった。


「なんだ、地下水路の清掃か」


 俺は周囲を見渡した。区が清掃作業を行う場合は看板が立つはずだが、そういった物はどこにも置かれていない。再び作業員に目線を戻すと、作業着に区のマークはついていなかった。


 向かい側の道路に、一台のバンが止まっているのが見えた。そのわき腹には『森嶋下水道清掃』と書いてある。


「民間業者に委託する事もあるんだな」


 とりあえず懸念していたような事態でなくて良かった。そう安堵しながら、なんとなく作業員達が蠢く様子をぼんやりと見つめる。


 ──不意に、生温い風が頬を撫でた。俺の元いた世界の路地裏もこういう空気の臭いだったような気がする。もちろん、こちらの世界よりもずっと、酷い臭いではあったけれど。


「あ、まだ人がいる」


 表の連中と同じ作業着を身にまとい、高圧洗浄機を抱えた三人組が奥から姿を現した。中年の男と俺と同い年くらいの若者が二人。中年は作業服をドロドロに汚し、なにが可笑しいのかゲラゲラと大声で笑っていた。


「最悪だよ。足を滑らせちまった。あーあ、嫁に怒られるわー」

「だから足元をよく見て下さいって言ったじゃないですか。大体、水の中に入らないっていったって長靴くらいは履いておいて下さいよ。こういう所で転んだりしたら傷口からバイキンとか入って大変なんですよ?」

「嫁みたいな事を言うなよ……」


 若者の一人が黒いゴム手袋を外しながら呆れたように言い、中年はしょんぼりとしている。


 もう一人の若者は、肩を落とした中年にタオルを差し出していた。両腕は刺青だらけだ。その左手に、キラリと光るリングが見えたところで俺は一気に興味を失くしてしまった。あんな連中でも結婚が出来るなんて、この世界は本当におめでたい。


 俺が元の世界で所属していた部隊には、俺のような貴族の次男坊以下や能力の高い平民が数多くいた。向こうは身分制度が厳しいから、平民連中はどれだけ武勲をあげても貴族令嬢と結婚なんて出来ない。

 けれど、一発逆転する事が出来る連中がほんの一握りだけいる。容姿が飛び抜けている者だ。逆に風采のあがらないヤツは何をしても駄目なのだ。


 少なくとも元の世界では、あの程度の顔で汚物に塗れ、ヘラヘラ笑うような男を選ぶような女は平民にもいないだろう。中年男と金髪は楽しそうに戯れている。刺青男に幾度となくたしなめられ、ようやく片づけ作業に取り掛かる始末だ。


「……くだらない。何であんな連中に見入っていたんだ。バカバカしい」


 奴らに背を向け、歩きながら目についた路上の石ころを蹴っ飛ばす。気分が妙にイライラとしていた。


 わかっている。地下水路から聞こえる声が不審者ではないとわかってもなお、その場に留まっていたのは単に馬鹿にしたかったからだ。


 俺はこっちの世界に送り込まれて以来、毎日気が休まる時がない。娯楽だけは死ぬほどあるが、どれも俺には興味が持てなかった。そのせいで、鬱屈が溜まりに溜まっていた。


 それを『地下水路の掃除』などという向こうでは奴隷がやるような仕事を行う異世界人を見て、軽蔑をし、見下す事で憂さ晴らしをしたかったのだ。俺は名誉ある騎士なんだ、顔だけで成り上がったんじゃない。お前らなんかとは違う人間なんだよ、と嘲笑う為に見ていたのだ。それなのに、彼らは実に楽しそうだった。


 汚物にまみれた中年男は妻に叱られるなどと言いながら、その目には柔らかな光が宿っていた。この男は妻を愛し、そして愛されている。苦言を呈していた金髪の若者も、中年男に対する信頼に溢れていた。


 きっと慕われているのだろう。あの中年男なら、部下の一人に何もかもなすりつけて単独で異世界に放り込む、などという真似は仕出かさない気がする。


 どうしても誰かが危険な任務に就かなくてはならないというのなら、自分が立候補するのではないだろうか。彼らの事をよく知りもしないくせに、なぜかその確信だけはあった。


 そして、もう一人の刺青の若者。他人の排泄物や家庭用の汚水に身を浸しながら、あの男もその指には幸せの象徴が輝いていた。あんなゴミみたいな所で働いている男達が俺よりも満たされた顔をしているのが許せなかった。


 俺はたった一人で孤独に戦っているのに、なんであんな奴らが職場にも家庭にも温かい居場所を持っているんだよ、とやるせない気持ちになっていた。


「……普通に電車で帰れば良かった」


 この世界の良いところと言えばあの青いアイスと酒だけだ。俺は胸のムカつきを誤魔化すように、歩くスピードを心持上げた。


 あの男達を『羨ましい』と思う気持ちを、一刻も早く酒で洗い流してしまいたかった。


 ◇


 翌日から、俺は連日夜の街に繰り出していた。


 依頼内容が『半年前に家を出て行った弟を連れ戻して欲しい』というものだったからだ。依頼内容が書いてある資料を見た時、俺は思わず嫌な顔をしてしまった。


 家出といっても、弟くんの潜伏先はすぐにわかったらしい。


 三年前に出来た若者向けのクラブに入り浸り、そこで逆ナンされた年上の女の家を転々としていた。実にわかりやすく、単純な家出。けれど、連れ帰る試みを何度も失敗した。その結果、弟君はより深く、暗い場所に逃げ込んで行った、というのだ。


 それは、ただ居場所を突き止めるだけではなく連れ帰るところまでやらなければいけないというこの任務遂行が、思った以上に容易ではない事を示していた。


 まず、皇子の……というかあの男の弟であるならば、金に困ってはいないだろう。金に困ってくれていれば、そこから釣り上げる事が出来たのに。


 そこで俺は考えた。どこの世界でもいわゆる“裏社会”というものの在り方は変わらない。金を持たない者は泥からひっそりと顔を出し、金の気配を常に探っている。金の気配がする所に、闇の蠅は集まって来るのだ。まずはこいつらと接触をしたいところだ。だが、ここで少し問題が出て来る。


「弟くんが、まだ高校生って事なんだよな」


 生活の心配はしていない。恐らく自分の使える範囲の金は根こそぎ持ちだしているはずだ。それで生活は何とかしているだろう。だが、中途半端に金を持っているという事は良い事ばかりではない。若過ぎる場合は舐められ、逆に食い物にされる可能性がある。


 金というのは凶暴な魔獣だ。相応の頭脳がなければそう簡単に制御出来るものではない。あの頭の切れそうな兄貴の弟なわけだから、頭は悪くないだろう。


 だが、ただ賢いだけでは闇にたかる蠅を追い払う事は出来ない。ここまで逃げおおせるという事は、弟くんは二つの可能性を秘めている。すなわち、年齢と家柄に似つかわしくない下品さと相応の残酷さを持っているか、既に暗闇の住人に傀儡にされているか、だ。


「決定的な何かが起きる前に、さっさと捕まえないとな」


 俺はウィスキーをちびちびと舐めながら、薄暗いバーの中を見渡していた。内装をかなり凝ってはいるが、この前テレビで見たクラブとは雰囲気が全然違う。


 それもそのはずで、ここは皇子が手掛けた店ではない。


 皇子の店は何もかもセンスが良かったが、ここはどことなく殺伐とした雰囲気が漂っている。そう考えると皇子のセンスはすごいのだな、と俺は改めて思った。


 俺は弟くんを探すにあたり、写真を持って若者の集まるクラブやバーを回る、などという事は一切していない。無意味な上に愚かな行為だとわかっているからだ。このあたりの感覚は、元の世界と大して変わらない。世間からはみ出した連中は謎の連帯感と絶え間ない劣等感に苛まれている。


 そんな事をすれば、情報が回りあっという間に再び逃げられてしまうだろう。


 けれどこっちの世界にはSNSという魔法のように便利なツールが存在する。情報を流せば、不特定多数の人間がそれに反応するのだ。俺は調査を開始したその時から、弟クンについての情報をSNSに流しておいた。誰もがわかる内容ではないが、弟クンの周囲にいる人間にはわかるような内容。


 これにより、兄貴の手先が自分を探しているという事は本人にも伝わっているだろう。ここだけ見れば、写真を持って夜の街を徘徊するのと変わりないように見える。


 だが、前時代の古臭いやり方と決定的に異なるのは、情報を『闇の住人以外』も閲覧出来る事だ。光の世界の人間。そして、光の世界にも闇の世界にも馴染めない、中途半端な連中。俺があてにしているのは後者の方だ。


 本人の意思が介在しているのかどうかは知らないが、おそらく弟くんは正しく闇に染まっている。けれど中には、彼が光の世界の住人にも関わらず、お遊び感覚で闇の世界に片足を突っ込んでいると思っている連中もいるはずだ。そういう連中にとって、弟くんは目障りで仕方がない存在ではないかと思う。


 俺は『そういう連中』が弟くんの周囲に存在する事を期待していた。いや、存在しているはずだ。


 これまでは気づいていなくても、今回俺の流した情報を目にした事によって自らの胸の奥に潜んでいた感情に気づく者が必ずいる。だから、信用出来る情報を寄越した者には、それなりの謝礼が支払われる事を示唆しておいた。もちろん、金など払ったりはしないが。


「はは、予想通り」


 俺は持っていた仕事用のスマホの画面を見つめた。


 そこには、弟くんについての細かな情報が次々と流れて来ている。さすが貪欲な『持たざる者』の動きは速い。高額な謝礼狙いがあからさまに透けて見えて笑えるが、こういう時には本当に役に立つ。お陰で弟くんの行動は呆気ないくらいにすぐにわかった。


 SNSで探ると、弟くんはあちこちのクラブに出現していた。取り巻きの取り巻き辺りが無防備に乗せた写真で、片手にワイングラスを持って優雅に微笑む姿がはっきりと映っている。


「それなりにお仲間は選定しているんだろうけど、末端までは把握できないよな」


 この写真を警察に持って行けば、待ち伏せなりなんなりしてすぐに捕獲してくれるだろう。そうすれば簡単に事は済むのだが、実は皇子に「警察には絶対に知らせないで欲しい」と念押しをされている。それについてはまぁ、そう言って来るだろうとは思っていた。


 わざわざ大手と弱小の中間に位置する我が『国武探偵事務所』に来たのだ。それは都合の悪い事実には触れない様に任務遂行する事を望んでいる事を表している。


 ──弟を連れ戻そうと苦心している時に気づいたのだろう。弟がドラッグの類に手を出している事に。


 VIPルームと思しき場所での写真。だらしなくシャツの前を開けてシャンパンを呷る弟君の横で、美しいがどこか退廃的な雰囲気の女がくるくると紙を巻いている。そしてグラスが並ぶテーブルに散らばる、色とりどりの錠剤。これは弟君が訪れた先々で必ずと言って良いほど見られる光景だ。


 それはいまや飛ぶ鳥を落とす勢いで業績をあげている皆実興業としては、絶対に世間に知られるわけにはいかない事実に違いない。


 だから俺は考えた。弟くんは恐らく、追い回して捕まえて無理やり連れ戻してもどうせまたすぐに鳥籠から抜け出してしまう。だったら、自らが戻って来るように仕向ければ良い。外の世界は危険に満ちている。


 もう二度と、親や兄の庇護下から抜け出すような真似はしない。そう思わせれば良い。状況は異なるものの、正攻法ではない追跡劇は元の世界でも幾度か経験があった。


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