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幕間・1

 

俺は馬を駆り、暗い夜道を走っていた。全身から滝のように汗が流れ出している。胸の内を占めるのは、心配でも後悔でも何でもなく、ただ純粋な恐怖だった。


「なぜ皇子から目を離した! “二重の虹がかかった満月の日”には皇子の動向に注意しろとあれだけ占星術師に言われていただろう!」

「も、申しわけございません……!」


 普段は温厚な騎士団長から浴びせられる、容赦のない罵倒の声。反論は出来ない。何度も何度も、同じ忠告を占星術師から受けていたからだ。けれど、俺にだって言い分はある。大体、誰がそれを本当だと思う? 


 帝国唯一の皇子が、()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()だなんて。その荒唐無稽な噂は誰も信じていなかった。


 皇子が実際に国を捨てるなんてあり得ないと思っていた。多分、団長だってそう思っていたはずだ。

 だから俺は油断していた。ある時、皇子が珍しく溜息を吐きながら護衛兼監視役の俺にこう言ったのだ。


「四六時中、べったりと張りつかれていると気が滅入る。研究室にこもって論文を書いていても良いかな?」

「論文でしたら、執務室ここでもよろしいのでは?」

「資料を見ながら書きたいのだよ。執務室だと、わからない事が出て来た時にわざわざ誰かに図書室まで取りに行ってもらわないといけなくなるから。頼むよ。こんな事はキミにしか頼めない」


 皇子は神話時代の古代語の研究をしていた。その研究が国内外で高く評価され、皇帝は皇子の為に専用の研究室を用意した。研究室といっても、下手な貴族家よりも大きなお屋敷だった。


 その建設費用は莫大だったが、皇帝としては惜しくも何ともない事だったに違いない。皇子は、天才だったのだ。そして俺は、俺のみならず周囲は、皇子が稀代の天才だという事を決して忘れてはいけなかった。


 月の満ち欠けまでは人間がどうこう出来る領域ではない。だから月が満ちて行く事を止められやしない代わりに、早くに月を満たす事もできない。俺達の油断は正にそこにあった。


 皇子の天才的な頭脳なら『人工的に二重の虹をかける』方法を見つけているかもしれない、という想定をしていなければならなかった。そして皇子が研究室に閉じ籠った後、俺は食料の買い出しに行った。


 ついでに騎士団の詰め所に寄り、皇子がしばらく研究室から出ない事を報告に行った。団長はちょうど、街の見回りで出払っていた。団長が戻るのを待っている時に、俺はあの戦慄の光景を見てしまった。


 夕暮れの空にかかる、鮮やかな二重の虹。


 雲の隙間からチラと見えたその月は、完全に満ちている。それを目にした時の、全身から一気に力が抜けていく感覚は今でも忘れられない。団長が戻り、経緯を報告したのちに、極秘の追跡隊を組んだ。


 そうして必死で馬を駆る俺達の目の前に、皇都の外れにある皇子の研究室が飛び込んで来た。窓には、油灯の光がぼんやりと揺らめいている。


「灯りがついている! 皇子はまだいらっしゃるぞ! 急げ、多少手荒になっても構わないと陛下からお許しを頂いている!」

「俺は団長と正面から行く! お前達は裏口に回れ!」


 仲間に指示を出した後、俺と団長は馬から飛び降り転がるようにして研究室に飛び込んだ。そして俺達の目に入った光景は、信じられないものだった。


 ──床の上に無造作に転がる細く白い身体。


 その身体には、身に着けているものは何一つない。左手首に浮かぶ、皇族の証である青い鳥の形をした痣を隠す為の腕輪すらも外し、目を見開き固まる皇子は、まるで人形のように見えた。


「皇子! クソッ! ダメだ、既に魂が抜けてしまっている!」

「団長! 魔法陣が……!」


 蒼白な顔の騎士達が、成す術もなく見つめる前で淡く発光していた魔法陣が徐々に光を失っていく。


「……嘘だ。皇子が国を捨てるなんて」


 誰かがポツリと呟いた。それは、その場にいた全員が思っていた事だった。


「……大変な事になった。完全に我らの失態だ。この責任は、私の命などでは到底贖あがなう事など出来やしないだろう」


 団長の呟きには、底知れぬ絶望が含まれていた。その言葉を受け、膝をつき嗚咽する者まで現れた。


「ともかく、急ぎ戻って報告をせねば。神官長殿なら何か良い考えが浮かぶやもしれん」


 団長に促され、俺達は緩慢な動きで研究室の出口へと向かう。ふと、未だ微かに光を残す魔法陣を見つめた。硬い石床に、それは精巧に刻まれていた。一体、どれ程の労力を使ったのだろう。


 誰の事も頼るわけにはいかなかった皇子は、自らこの魔法陣を刻んだ。その証拠に、人形のように床に転がる皇子の両手は、傷だらけだった。


 なぜだ。なぜ身体を傷つけてまで、魂のみになってまで、何からそんなに逃げたかった。


 呆然と見つめる中、魔法陣は次第に点滅をし始めた。そして幾度か軽く瞬いた後、光は完全に消え失せた。一度魔力を流し込み、使用した魔法陣は二度と使う事は出来ない。


 役立たずの魔法陣は、もはやただの床につけられた傷でしかない。その有様は、俺のこれからの未来を暗示しているようだった。


 ◇


 皇子が消えた三日後。俺は冷たい石床の上に裸足で立っていた。


「では、頼んだぞ」

「はい。お任せ下さい」


 足の下には、複雑な文様の描かれた魔法陣が刻まれている。


 あの日、俺達は団長と共に神官長の住まう神殿へと駆け込んだ。そこで事の経緯を説明し、全員で膝を折って詫びた。そして丸二日間かけて協議した結果、皇子と同じ手段を使い、異界へ渡って皇子を連れ戻す事になったのだ。


「お前がすぐに魔法陣の元へ連れて行ってくれたおかげだ。あれは強力な禁術だからな、完全に“道筋”が消えるまで時間がかかる代物だった。間一髪だったが、これで皇子の後を追う事が出来る」


 神官長のお褒めの言葉に、俺は敬礼で応えた。だが、未知の禁術に触れるという恐怖で、全身が笑えるほど震えている。


「良いか、これからお前の魂を異界へと送り込む。“入れる”と思った肉体には迷わず飛び込め。当然、元の人格が待ち受けているが頭と頭を接触させればその肉体はお前のものだ」

「はい、わかりました」

「ただし、その身体の記憶を一気に引き受ける事になる。お前の脳がそれに耐えられなければ命を失うだろう。運が良ければ記憶を失くすだけで済むかもしれない。だが油断するなよ。向こうの世界では当然、元の魂の力が強い。心を強く持て。飲み込まれるなよ」

「わかりました。……しかし、その異界はどの程度の広さなのでしょうか。無事に皇子に会えるのか不安なのですが……」


 異界へ行くなど不安で仕方がないが、俺の油断が招いた事態だ。けれど、皇子をどうやって探せば良いのか見当もつかなかった。


「心配をするな。同じ世界の魂は引かれ合う。お前の魂は必ず皇子の元へと辿りつくだろう。首尾よく皇子を見つけたら、その器の肉体を滅しなさい」

「滅する? 殺すという事ですか?」

「その通りだ。そうしないと、皇子の魂は解放されない。肉の器を失えば、自然に魂は元の世界に、つまりこちらに引き寄せられる。その時、お前の魂も同時に戻って来られるはずだ。滅する場所は、地下に近ければ近いほど良い。わかったな?」

「わかりました」

「あちらの世界では我らは異物だ。その恩恵というか、向こうの世界にいる間は、お前は病気にもならず怪我も負う事はない。要は、あちらの世界の(ことわり)に我らの魂は干渉を受けないという事だ」


 怪我も病気もしない身体とは、便利なものだ。感心をする俺に、神官長は注意事項を告げて来た。


「絶対にやってはいけない事が一つだけある。それは仮の器のまま、向こうの住人の命を奪う事だ。それをしてしまったら、相手の魂がこちらに干渉してしまう。その瞬間から向こうの世界に魂が定着し、恩恵も失くす。こちらには二度と戻れない。わかったか?」


 俺は魔法陣を見つめながら、ゆっくりと頷いてみせた。

 

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