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隣人は3回ドアを叩く

作者: 加賀綱橋

 トントントン。

 ノックの音が3回聞こえた。時計を見れば時刻はちょうど午後8時。いつも通り、午後8時だ。

「どうした黒沼、酔ったのか?」

 目の前に座る城崎が、缶チューハイを片手に首を傾げる。俺が会話を不自然に止めてしまったので不思議に思ったのだろう。

「いや、まだ酔ってはいないんだけどさ」

 少し迷うが、自室での2人きりの酒の席だ。雑談のタネとしてはちょうど良いかもしれない。缶ビールを机の上に置き、口を開く。

「ノックの音は聞こえたか?」

「ついさっき、3回。隣の部屋のドアの方から聞こえたように思う」

「どう思う?」

「どうって」

 質問の意図を図りかねているかのようにその目を瞬かせながら、城崎はゆっくりと答える。

「隣の部屋にお客さんでも来たのかなと」

「それが毎日続いているとしたら?」

「隣の部屋に毎日お客さんが来ているのかなと」

 城崎もチューハイを置き、コンビニで調達した焼き鳥に手を伸ばしながら続ける。

「別に気にすることもないと思うけどな」

「毎日午後八時、同じ時間にノックがされているとしても?」

 城崎は空中で手を止める。

「あり得なくはないと思うが、違和感はあるな」

「毎日決まって午後8時に、隣人の部屋のドアが3回ノックされる。ここ数日、気になって試験勉強もできない」

 俺の言葉に、城崎はニヤリと笑う。

「勉強できずに単位を落として大学留年となれば目も当てられない。仕方ない、酒の肴に理由でも考えてみようか」


「現況を確認しよう。黒沼が今知ってること、気づいていることを改めて教えてくれ」

 こくりと頷き、ビールで唇を湿らせてから、城崎へ向き直る。

「前から気になってはいたんだ。夕食中や食後のダラダラしている時間帯にノックの音が聞こえる。おそらく、右隣の206号室から」

 俺の部屋はアパートの2階、205号室。音が聞こえるのは206号室の方向だ。206号室は角部屋なので、音の出どころは206号室で間違いないとみている。

「で、先週。ノックが聞こえた時にたまたま時計を見たら午後8時ちょうどだったから印象に残ってさ。それから、何となくノックの音が聞こえると時間を確認するようになったんだけど、毎回聞こえるのは午後8時。精々2、3分ずれるくらい」

「なるほど。つまり、まさに今日のような状況が毎日続いているわけだ。ノックの音とかノックの前後の状況は毎日同じ?」

 腕を組んで思い返す。午後8時頃に隣室からノックの音が3回する。その前後に変わった様子はなく、隣人の声も何かの音も聞こえない。ノックが繰り返されることはなく、いつも3回で終わる。

「毎日同じだな」

「黒沼がノックに気付いたのはいつから?」

 ほろ酔いの頭で記憶をたどる。

「時間が同じだと気付いたのは先週の月曜。月曜午後8時から始まるテレビ番組を見ようとして気付いたんだ、間違いない。ただそれ以前の状況は、正直あまり覚えてないな。ノックの音が夜に聞こえていた記憶はあるけど、それが午後8時だったのか、いつ頃から夜にノックの音が聞こえるようになったのかは記憶にない」

「わかった。ノックは毎日聞こえると言っていたけど、本当に毎日?隔日だったり決まった曜日だったりはしない?」

「少なくとも先週の月曜以降は毎日聞こえてる」

 今日は金曜なので、つまり12日間同じようにノックが続いていることになる。

「206号室の住人と交流は?どんな人かわかる?」

「女性。若かったけど学生って感じじゃなかった。二十代前半の社会人ってところかな。1回部屋の前で鉢合わせたことがあるだけだから、交流があるとは言えないかな」

「うん、大体わかった。それじゃあ、何が起こっているのか考えてみよう」

 缶チューハイをぐいとあおり、城崎は口元をぬぐう。

「黒沼。毎日隣の部屋をノックしているのはどういう人だと思う?」

「206号室の住人を……隣人を訪ねてくる相手。それ以上はわからない」

「午後8時に隣室を訪れるのは毎日同じ人物なのか、違う人物か。思い当たることはある?」

 その点については、考えてみたことはある。

「どちらでもあり得る。が、同じ相手だと考えた方が話は早い。例えば社会人が仕事終わりに毎日恋人の部屋を訪ねているとか。仕事終わりなら時間も毎日同じくらいになるでしょ」

 もっともあり得そうだと考えていた推論をぶつけるが、城崎は首を横に振る。

「土日も含めて2週間近く、ずっと午後8時にノックされているんだ。仮に仕事終わりに訪ねているとしても、この2週間近くの間に休日があると考えるのが自然だよね。休日なら、もっと早い時間帯から恋人の部屋を訪れても良いはずなのに、毎日同じ時間なのは不自然じゃない?」

 確かに、毎日午後8時というのは不自然ではある。無言で頷くと、城崎は続ける。

「それじゃ、仮に毎日違う人物が訪れているとしようか。黒沼はどういう場合を想像できる?」

「例えば、隣人が隣の部屋を仕事場にしていて、毎日午後8時にお客さんが来ているとか。占いでもコンサルでも何でも良いけど、予約制のサービス業をしていて、午後8時にお客さんが来ている。ってのはどう?」

「あり得なくはないけど……毎日午後8時に、精々2、3分のずれで全員が部屋に来るってのも現実的には 考え辛い気がする。もっと早く来る客や遅く来る客がいそうだ」

 突き詰めて考えると不自然な点が生じることは、俺も理解している。だからこそ、この状況が気になっているのだ。既に思考が行き詰まった自分の頭ではなく、他者の目線があれば謎を解消するヒントを得られるかもしれない。そんな期待を、俺は目の前の城崎に寄せている。

「城崎には何か考えがあるのか?」

「考えというか違和感がある」

 言いながら城崎は卓上に残っている枝豆をつまむ。俺もつられて枝豆を口に放り込む。コンビニで買いこんだしなっとした枝豆の塩気をビールでぐっと流し込む。

「黒沼。昨日より前のノックも、その前後の様子も、今日と同じだったんだよな」

「ああ」

「つまり訪問者は、インターフォンを鳴らさずに、あえてドアを叩いているってことだよな」

 はっとした。そうだ。普通であれば、訪問の際はドアを叩くのではなくインターフォンを鳴らすはずだ。それなのに、隣人への訪問者はインターフォンを使っていない。

「インターフォンが故障していて使えない状況ならドアを叩くしかないけど……」

「いや、インターフォンは使える。ちょうど今日、隣の部屋のインターフォンが鳴るのを聞いた」

 夕方、インターフォンが鳴った後に扉が開く音と、荷物の受け渡しをしているような声が聞こえた。インターフォンは故障していない。

 城崎は頷く。

「だとすれば、訪問者はわざとノックで来訪を伝えていることになる。何のために?」

我がアパートのインターフォンは、鳴らされれば室内のモニターに訪問者の姿が映る。モニター備付けの受話器を取れば、会話も可能となる。逆に考えれば。

「インターフォンを鳴らさなければ、部屋の住人からは訪問者の姿が確認できない?」

 そうだとすれば、訪問者は隣人に自分の姿を晒すのを防ぐためにあえてノックをしている可能性がある。

「どうかな」

 城崎は立ち上がり、リビングと廊下を隔てるドアのすぐ近くの壁面に設置されている受話器を外す。受話器隣のモニターにはすぐに部屋の外の様子、無人の廊下が映った。

「インターフォンを鳴らさなくてもノックに気付いて受話器を取れば外は確認できるな」

「確かにそうだけど、それを訪問者は知らないかもしれない」

「おっと、そりゃそうだ。なら訪問者は、ドアを開けるまでは隣人に自分の姿を見られたくないからノックで訪問している可能性がある」

「不穏だな」

 近所で路上強盗が多発しているとの注意喚起の貼り紙がアパートの共用部にあったのを思い出す。押し込み強盗を企む輩の仕業だとすれば、もはや冗談で済む話ではない。

「可能性の話さ。それに、隣人は訪問者を部屋に入れていない」

 城崎は涼し気なトーンで続ける。

「ノックの後にドアを開閉する音が聞こえなかった以上、ノックの後にドアは開かれてない。ドアを開いていないなら、訪問者は部屋に入れない」

「それもそうだ」

「さて。毎日夜の8時に、インターフォンを使わずにドアを叩き、部屋の主に招き入れられることもない。これはどういうタイプの訪問者かな」

「ストーカー、とか」

「可能性はある」

「だとしたらどうする?警察に連絡するか?」

 城崎は、言葉を選ぶように慎重な口調で話す。

「緊急性が高いならそうするべきだけど、隣の部屋のノックの音が妙だと思ったので通報しました、じゃ警察もどこまで本気で動くかわからない。だから、明日の午後8時に確かめよう」

「確かめるって」

 俺の目を見て、城崎は大きく頷く。

「訪問者の姿をこの目で確認する」


 そして翌日、午後7時58分。俺と城崎は、受話器を外しモニターを凝視していた。毎日午後8時のノック、誤差は2、3分だが念を入れて午後7時50分からモニターをチェックしている。他の階から2階へと移動するためのエレベーターも非常階段も、俺の部屋の左側にしかない。206号室への訪問者は、必ず俺の部屋、205号室の前を通ることになる。

 今のところノックの音は聞こえず、部屋の前を通る人影もない。訪問者はまだ現れていない。

「そろそろ時間だ」

 城崎は呟きを漏らし、俺は息を呑む。そう、いつ現れてもおかしくない―。

 トントントン。ノックが3回聞こえた。人影はない。誰も、俺の部屋の前を通っていない。それなのに。

「モニターを見続けてくれ」

 言い残して城崎は急ぎ足で俺の部屋の廊下を進み、ドアを開ける。外に出て左右を見渡し、右側、206号室の方向へ消えて数秒。一度閉まったドアを開けて、城崎は眉を顰めて部屋の中へ入ってきた。

「誰もいなかった」

「……どういうことだよ」

「廊下には誰もいなかった。それだけだよ」

「誰もいなかったってことは、ノックしてすぐに206号室に入ったってこと?」

「ドアを開け閉めする音は聞こえなかった。ノックした人間は206号室には入っていない。それにそもそも、モニターにも人は映らなかった」

「モニターのチェックを始めたのは7時50分だ。その前から206号室の前にいたとすれば、モニターには映らない」

「黒沼。このアパートの構造上、205号室の前を通らずに、かつ206号室にも入らずに206号室の前から移動する方法はある?」

 アパートの廊下は、西の端にエレベーターと非常階段があり、そこから201号室、202号室……と順番に部屋が並ぶ。俺の部屋である205号室の東側に206号室があり、さらにその東は行き止まりだ。廊下の南側に部屋が並んでおり、北側は壁となっている。手すり壁ではなく、上端まで隙間がないしっかりとした壁が、廊下の北面を埋め尽くしている。

「……ない。ノックの直後にその人物は消えたんだ」

 どうやって。心霊やオカルトの類の話なのか?

 俺の混乱をよそに、城崎は笑った。

「ならわかった。謎は解けたよ」

「謎が解けた?」

 謎が深まった、の間違いではないか。自信満々の城崎を前に、俺はその言葉を飲み込んだ。

「うん。とりあえず飲みながら話そうか。食事も取らずに見張っていたからお腹がペコペコだ。これですっきりした気分でご飯が食べられる」

 いそいそとコンビニ弁当を取り出す城崎に気勢を削がれ、俺は考えるのを後回しにする。


「インターフォンを使わず、ノックの後にドアも開けない。そして、ノックをした直後の廊下には誰もいない。それなら話は単純、ドアは外からノックされていないんだ」

 唐揚げ弁当を食べ終わった城崎は、前置きもなく話し出した。俺は慌ててお茶でご飯を流し込む。

「外からノックされていないって?」

「うん。ノックは部屋の中からされている」

「……何のために?」

「考えていることはあるけど、物騒な話になりかねない。別の可能性を探るためにも黒沼の見解を聞きたい」

 思いのほか真剣な城崎の目に、俺は思わず背筋を伸ばす。一応、思い浮かぶ可能性はある。

「部屋の内側から外側へのノックで思い浮かぶのは、トイレの個室かな。外からノックされた時に、入っていますと伝えるためにノックを返す。つまり、自分の存在を知らせるためにノックするパターン」

「誰に自分の存在を知らせる、か。この場合は、誰に?」

「隣人に。つまり、俺に」

「へえ」

 感心したような城崎の相槌を受け、俺は続ける。

「だって廊下の外に人がいなかった以上、考えられるのは隣の部屋の住人くらいじゃない?」

「でもそれなら、壁を叩けば良いよね。ノックの音は壁からではなく、隣の部屋のドアの方から聞こえてきたように思えるんだけど、どう?」

「壁ではないな。多分ドアを叩く音だと思う」

「206号室にいることを隣の部屋の住人にアピールするなら、その方向の壁を叩けば良いのにそうしていない。つまり206号室の住人は、自分が部屋にいることを知らせるためにノックしているわけではない」

「それじゃ、一体何のためにノックを?」

「可能性の話として聞いてほしいんだけど」

 どことなく歯切れが悪い調子で城崎が続ける。

「ノックをしたのは訪問者がいたと偽装するため。毎日午後8時に206号室に来客があると隣の部屋の住人に思わせたかったんだ」

「何でそんな偽装を?」

「目的はアリバイ工作。来客があると思わせたいということは、実際には来客はないということ。あるいは、別の時間帯はともかく午後8時には来客はないということだ。でも206号室の住人は、誰かが午後8時に自分の部屋に来ていると思わせたい。そのために行っている工作は、隣の部屋の住人にしか届かないようなやり方だ。つまりターゲットは205号室の住人だ。206号室の住人は、隣人に、つまりは黒沼に、206号室には毎日午後8時に来客があると認識してほしいんだ。では、それは何のためか?証言してもらうためだ」

「証言って……俺が誰に証言するんだ?」

「例えば警察とか、そういう類の公権力。隣人は今日で少なくとも13日以上毎日欠かさず同じ時間にノックしているわけで、アリバイ工作としては割と手が込んでる。逆に考えればそこまでする必要があるということだ。となれば、警察の捜査に対して黒沼が意図せず偽のアリバイを証言するように誘導している可能性が考えられる。つまりこういうことだ」

 城崎は咳払いする。

「206号室の隣人は何らかの犯罪に関わっていて、警察の捜査を逃れるためにノックによる来客偽装を行っている」

「……話が飛躍しすぎじゃないか?」

「俺もそう思うよ。でも酒の肴の与太話、これくらい想像力を働かせるのも悪くはないでしょ」

 城崎は満足げに笑った。


 数日後、206号室の住人が警察から事情聴取を受けたとアパートの管理会社から連絡があった。周辺で頻発していた路上強盗の被疑者を隠匿していた疑いがあるらしく、恋人である被疑者は犯行時刻の午後8時頃に自分の部屋を訪問していたと主張しているらしい。状況確認のため、今後アパートの住人も警察から話を聞かれる可能性があるとの連絡を、俺は神妙な気持ちで聞いていた。

 そのアリバイが崩れるであろうことを、俺は知っている。

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[良い点]  アイデアが新しいなと思いました。構成も整っていて、短い文章の中でちゃんと起承転結のあるミステリーになっているなと感じました。  読めて良かったです。
[良い点] 城崎さんの見事な推理ですね。 お隣さんは自分でインターフォンを鳴らすか、音をスマートフォンに録音して8時に再生させてればアリバイ工作が成功したかも。
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