1話.きっかけ
子供の頃、将来当たり前に出来ると思っていた物事、結婚、就職、普通の生活。大人になってからわりかし遠い存在であると知り、斜に構えて社会の動きを捉える審美眼も衰えて来た。どうせなら変わり者で通そうと漫画でも書いて生活していたら、自作と同じ内容の漫画が魅力、五割増しの絵で有名週刊誌に掲載され爆発的ヒットを飛ばすわで、気が付いたら三十路を越えていた。この事態を政治のせいにしたって、空しくなるのは目に見えているわけで、結局は二ートという現実から逃れない限り、何かがストッパーとなり、考え事の原点に立ち戻るという無限ループのような卑屈さは改善されないであろう。
わかっている。わかっているんだ。
早口のオタクであることも含め、いろいろ含めて。含める項目を箇条書きにしてもきりがないのも、含めて。
楽しくてやっているわけではない。
むしろ何がフラグとなり、この生活を始めたのかさえ、曖昧になって来ている。萌えキャラのポスターを目の前にして、安い焼酎をがぶ飲みしてみる。
--キタァーーーーーーーーーーーー。
胃袋がそう叫ぶ。
昼間、内臓のキャパシティーを超えた酒を煽ると本当の現実逃避行が出来るって教えてやろう。ネットのテキストで通じた名無しの友達に……
と名無しの二ートは思った。その後は記憶にない。カメラを持ち、作業をしていたのも、夢なのかさえ判別できなかった。
「このくだらない紹介文は何だ?」
代表取締役である蛾次郎は、投稿映像オーディション担当の野崎から一枚の紙切れを渡され読んだ末に、怒りを露わにした。
「れっきとした自己PRですよ」
投稿要項に自己PRを提案したのはあなたでしょ? と言わんばかりに、野崎は抑揚のない口調で答えた。子供の頃……から始まり、昼間っから酒を飲んだくだりで終わっている紙切れを放り投げた蛾次郎は、
「見る気も起きないな」
「見てからにしましょうよ」
確かに、蛾次郎が生産性のない人間を嫌悪の対象としているのも知っていた。ひどい時は、酒の席で二ートに対する悪態を延々二時間聞かされた経験も持っている。ある種、その潔癖さは、新しい才能を発掘する職務を全うできるのかが心配になったりする。
「推薦するのには、理由があるんだな?」
眉間の皺に、引きつった頬、そして十五分後に控えた重役会議である。終わった後になれば、今の覇気は嘘のように抜けがらとなるに違いない。投稿の締め切りは本日の二十四時まで、チャンスは今しかない。
「ええ。とても面白い内容だと思います」
パソコンにDVDが挿入されると、ディスプレイに投稿映像が流れ始めた。黒画面に
『二ートボール』
作:名無し
と書かれていて、誰かの顔面のドアップになった。