有名な歌い手たちのこと、ぼくは‘‘少し‘‘嫌いかもしれない
すみません、土下座をします。させてください。
このタイトルで、気分を悪くさせてしまった方へ、申し訳ございませんでした。
えーと、わたくし、ぼくは指を震わせながら、只今この文章を書いております。
怖い、やだ、殺されたくない。
土下座、焼き土下座をしますから、ね! 殺さないで....
と言いながら、内心ではもう、このエッセイを書くのやめようかなと思っているぼくがいる。
本当に、大袈裟かもしれないですけど、この文章を見て、ぼくに殺意を抱く方がいるのかもしれません。
それくらいセンシティブな話題をぼくは、これから話そうと思います。
心の片隅にそれらのことを置いて、見てくださいね。
とある日、ユーチューブを見ているぼくの目に、一つの動画が留まりました。
「○○○○//(歌い手名)【歌ってみた】」
ぼくの好きな曲の歌ってみたですが、「本家の曲より、7倍も再生数が多かった」のです。
え? いや、本当にびっくりした。
『楽曲提供ではない』、『本家より先に出されたわけではない』、『歌い手の方が作曲・作詞等に関わったわけではない』。
なのに、7倍も、歌ってみたのほうが再生数が多い。
次々と疑問が浮かんできました。
なぜ? なぜ?
曲を作る人は、例をあげてみますと、
『アイデアを考える』、『構成を考える』、『歌詞を考える』、『メロディを考える』、『楽器の音を挿入する』。ボカロ曲ですと、『ボーカロイドで歌声を曲にいれる』、『自分で歌って、録る』、
などの過程を通して、やっと「曲」というものができます。
歌い手は、
『時間とか、かかるだろうけど、一時間以上はかかる練習→本番』で、
歌ってみたができます。
いや、どう考えても、「曲を作るほうが時間がかかるでしょ」という。
曲を作る人は、夜更かしをして、頭で散々悩んで、いいメロディを作れるように頭の力をふりしぼって
本家の曲はすごい努力をして作られているのに、歌い手の方の、だいたい一日くらいの歌ってみたのほうが再生数が多い。
歌い手の方たちが努力をしていないことを言いたいわけではありません。
そして、そのことに目をむけてほしいわけではありません。
この、「有名な歌い手の歌ってみたの動画の再生数が、その曲を作った本家の動画の再生数を上回っている」、
この事実に注目してほしいのです。
この世界を表していると思いませんか?
すごい頑張って勉強したのに、テスト期間中ずっと遊びまくっていた人たちに負けたこと。
同じ作業、同じ仕事のはずなのに、先進国と発展途上国では、先進国のほうが給料が高いこと。
牛乳を飲んで、スポーツをやって、早寝早起きもして、身長を伸ばしたいのに、158㎝までしか身長が伸びない。それに比べて、欧米の人たちは何をせずとも、遺伝子のおかげで簡単に身長が170㎝以上行ってしまう。
不公平な世の中ですよ。
なんでそんなに再生数が違うのか?
ブランドと同じですよ。NIKE、Apple、Microsoft等の身近なもの。
昔から続けて、高いクオリティのものを出せば、固定ファンがつきます。
それで例え、クオリティが高くなくても、ブランドの力、ブランド力があれば、みんな、「この商品すごいよー。いい商品だよー」とか言ってしまうのです。
知名度恐ろし。
ブランドと同じことが、曲、歌ってみたの世界でも言えます。
専門家ではないし、論文を書いているわけではないので割愛しますが、「登録者数が一万人しかない作曲者の曲を、有名な歌い手の方が歌う」、
百万人登録と一万人登録、固定ファンは百万人のほうが多い。結果は、もう分かっているでしょう。
本家よりも、歌ってみたのほうが、再生数が多くなってしまうのです。
そしてもちろん収入は、歌い手のほうが多く入る。
不平等。
それは神が作った、否、神でない、なにかによって誕生したこの世界の、「象徴」だとぼくは思います。
ディスり(批判)をしたいわけではない。不満を言いたいわけではない。不幸自慢をしたいわけではない。裁判をしたいわけではない。
そしてもちろん、「殺されたいわけではない」。
「こういうこと、事実が、あるんだよ」と、伝えたいだけ。
そのことを、頭の片隅に置いてもらって、
いつか、「あぁー、これなのね」だと思ってもらえれば。
曲、歌ってみただけではない。
有名な小説家と、普通の小説家。有名な歌い手と、普通の歌い手。
たくさんの例が、この世界では、あるんだよ。
そして、どうかぼくを殺さないように。
ぼくは流行りに乗りたいタイプではない。
選挙で、心底からこの人にしたいと思っていない人に、投票したいタイプではない。
ランキングに載っている、小説の作品を読みたいタイプではない。
自分が納得していないことでも、黙っていたいタイプではない。
あなたは自分を見失っていない?
波に乗ろうとしてない? それが、荒波かもしれないよ?
後悔しない? なら大丈夫。
「○○○○さんの曲に救われました!」というコメントを見て、ぼくの心が痛む。
○○○○さんは歌っただけで、曲を作ったのは、△△△さんなのに。
うん。やっぱりぼくは有名な歌い手が『少し』嫌いだ。
『少し』←この部分大事。
この文章が、ぼくの意見だということを、
なにをしようと、ぼくはあなたを止めはしない。止められやしないことを、
覚えてください。うーっすらと、そういう感じ。
そして、ぼくをどうか、殺さないようにね。