人魔共和国の日常
「陛下が逃げたぞー!!」
ガンガン叩かれる銅鑼の音に、幼い王女様は本から顔をあげました。興味を示されたので、私は王女様を抱き上げて窓に近付きます。
外を見ると、全力で武装した騎士団が、女王陛下を追いかけているところでした。
キュロットにブーツの陛下はどうにかこうにか騎士団から逃げていますが、しばらくすれば城下に出るか捕まるかするでしょう。
どうやら、今日のお仕事が『ほどほど』まで終わったようですね。
人魔共和国が建国して十余年。この国の女王陛下は元々平民の出であるせいか、あまり国政に熱心ではありません。ですが、平民の出であるために国民の血税で生かされていることを自覚していらっしゃるので、国政を疎かになさることもないという、王としては理想的な方です。
陛下には五人の御子様がいらっしゃいますが、どの御子様方に対しても愛情を持って接するお母様でもあります。
特に、私の仕える王女様にはお心を砕いていらっしゃるようではありますが……。
「おかあさま、たのしそう」
三歳になったばかりの王女様は、寂しげな微笑みを浮かべて陛下を見送ります。まだふくふくの丸いお手てが、そっとご自分の角に触れました。
陛下には三人の王配様がいらっしゃいます。おふたりは人間、おひとりは魔族です。
最初、陛下は海を挟んだ隣国の島国の王子と結婚されました。民の間で王配様と言えばこの方のことです。
同時に宰相様とも結婚され、お三方はそれなりに家族の形を模索されたそうです。
ところが、そこに異を唱えた者たちがおりました。
人『魔』共和国であるのに、王族が人ばかりで良いものか、と。その結果、翌年に魔族から将軍様が婿入りされ、今の形に落ち着きました。
そうして将軍様と陛下の間にお生まれになったのが、王女様です。
お父様から大きな角を受け継がれた他はまるで魔族らしい特徴のない王女様は引っ込み思案で、あまり外に出たがらない方です。
城にいるよりは外で働きたいと遠征に行ったっきり戻られない将軍様と、仕事が終わるなり飛び出して行ってしまう陛下の遺伝子はいずこ?と首をかしげたくなるほど品行方正な王女様は、皆様に可愛がられています。
それでもやはり、埋められないものがあるのかもしれません。
ガンガンガンガンガンガン!
叩かれる銅鑼が増えました。何事かと思えば、「殿下も逃げたぞー!」「三番目だ!」と怒鳴る声が。
四人の王子様方は、お母様を見習って時折騒ぎを起こされます。今日は第三王子様(十歳)が脱走されたようですね。しかし、どこにもお姿が見えませんが……。
バタン!と乱暴にドアが開いて、私はビクッと体をすくませました。恐る恐る振り返ると、渦中の第三王子様が肩で息をして立っていらっしゃいます。
「殿下……驚きましたわ」
「ねえ、おろして?……おにいさま、だっそうちゅうではないのですか?」
言われるがまま下ろしてさしあげると、王女様はとことこと第三王子様に近づきます。
王子様はご自分に向けて伸ばされた王女様の手を引いて、唐突に駆け出しました。
「なっ……!?」
「後でちゃんと返すから大丈夫ー!」
「だっ、大丈夫ではございません!お戻りください!」
私は慌ててお仕着せのスカートをたくしあげ、おふたりを追います。
途中で騎士団の若手と、騎士団長のご子息、魔術師団長のご息女と合流しましたが、魔術に関しては元魔術師だった宰相様の血を引く王子様が上手です。
どうやら上手く隠れたようで、城内のどこにもお姿が見えませんでした。
「ちっくしょう、してやられた!」
木剣を手に、騎士団長のご子息(十歳)が舌打ちします。まさかあなた、それで王子様を叩きのめすおつもりですか?
「うーん……ちょっと待って、今探すから。発信器の反応は城内だね。裏門から城下に下りる気かも」
空間に城内の地図を広げた魔術師団長のご息女(九歳)が、点滅しながら動く点を指し示しました。
確かに点は裏門の近くにありますが……発信器を王子様につけているのですか?犯罪では?
「この位置だったら挟み込んだ方が早いかな?」
「いっそ城下に出ちゃった方が広い場所で確保できるよ」
「それもそうか。よし、部隊を三つに分ける!第一部隊はこのまま城内から殿下を追え。第二部隊は外から裏門に回って、そこが突破されてたら城下へ。噴水広場に追い込んでくれ。第三部隊は俺と一緒に広場で待ち構えるぞ!」
「ちょっと、あたしはぁ?」
「お前も俺と来るんだよ!他の誰が網張るってんだ!」
「おっけー、了解!元魔王の娘の実力、とくと見るといいわ!」
あっ……と言う間に作戦を立てて部隊を編成し直し、おふたりは闘志を燃やしながら城下へ出ていってしまわれました。
蛙の子は蛙と言いますし、おふたりの才能はきっと、それぞれお父上からいただいたものなのでしょう。
……ちょっと、いえ、かなり好戦的なことは否めませんが。
私はため息をついて戦線離脱を決めました。これ以上は私では着いていけませんもの。それに、お部屋の片付けもしなければ。
王女様のお部屋へ戻ると、王配様と宰相様がいらっしゃっていました。
王配様が積木を片付け、宰相様が絵本を棚に戻しておられます。私は顔から血が下がっていくのを感じました。
「もっ、申し訳ありません!お部屋を散らかしたまま出てしまって……」
「問題ないよ。それより、お姫様はどこに?」
へらっと笑って王配様が最後の積木を箱に入れました。ご結婚当初は規律や仕事に厳しいお方でしたが、お父様となられてからは優しくおなりになったと、侍女たちから評判の気の抜けた笑みです。
「ええと、その、先程、第三王子殿下がいらっしゃって……」
「ひょっとして連れてかれたとか?」
「すみません、お止めする間もなく……騎士団長のご子息様と、魔術師団長のご息女様が騎士たちとともに城下へ捜索の手を広げるとおっしゃっていたので、私が居ては邪魔になると戻ってまいった次第にございます」
恐縮する私の言葉に、宰相様と王配様は顔を見合せ……「嘘だろ」「マジかよ」と呟かれたあと、異口同音に「ヤバい!」と叫んで駆け出しました。
宰相様が魔法で作り出した喋るカラスが、「伝令、伝令!」と叫びながら騎士で溢れる庭の上を旋回します。
「脱走シタ第三王子ガ、王女ヲ連レテ城下ヘ逃走!優先的ニ捕獲セヨ!繰リ返ス。脱走シタ第三王子ガ、王女ヲ連レテ城下へ逃走!優先的ニ捕獲セヨ!敵ハ、第三王子。敵ハ、第三王子。第三王子ヲ追ッテ、騎士団長ノ息子ト魔術師団長ノ娘モ城下へ下リタ模様!爆発ニ注意セヨ!爆発ニ注意セヨ!」
ダミ声のカラスが発した言葉に、騎士たちの顔色がさっと変わります。
少しして、庭から騎士たちはいなくなり、代わりに城下から捕り物をする声が響いてきました。
甲冑が駆ける音、爆音、爆音、鬨の声。それらが四時間ほど続いたでしょうか。
途中からは他の王子様方も加わり、捕獲対象が増えたおかげで街中は軽い戦場と化したそうです。
私は同僚とお茶を飲みながら、「今日も平和よね……」と白々しいことを言い合いました。
やがて、何故か王都にいないはずの将軍様に抱かれて戻っていらっしゃった王女様は、とてもご機嫌でした。しかし、お洋服はボロボロ、お髪も爆発で燃えたのかところどころチリチリになっています。
私は王女様をお風呂に入れ、新しいお洋服に着替えていただきました。
「初めてのお外はいかがでしたか?」
魔術でお髪を乾かしながら尋ねると、王女様はとても可愛らしいお顔で「くふふ」と笑われました。
「おとうさまがにんげんで、おかあさまがまぞくのあかちゃんがうまれたのですって。おにいさまがあいにつれていってくださったの。なんねんかしたら、わたしのおともだちになってもらうんですって」
それは確かに珍しい出来事ですね。
他国より垣根が低いとはいえ、夫婦になるのも珍しいのが現状です。
私は半人半魔の子供なんて、王女様以外に存じ上げません。同じような境遇の方がいなかった王女様にとって、それは確かに嬉しいニュースでございましょう。
ですから私は、王女様の角に軽く触れ、心からの祝福を伝えました。王女様は弾けるような笑顔でそれに答えてくださいます。
「そうですか。それはようございました。次にお会いできるときが楽しみですね」
「うん!」
ふと、私の脳裏に、お忙しい王配様と宰相様が揃って王女様の元へいらっしゃったことが浮かびました。
そういえば、いつもは別々にいらっしゃるのに、今日に限って?
まさか、まさかね……。そう、そんなことがあるはずがございません。きっと偶然でしょう。
ええ、ええ、そうですとも!人魔共和国は今日もとっても平和です。
お読みいただきありがとうございます!
ジャンルが迷子…たぶん次からまたラブコメ(ヤンデレ祭り)に戻ります!