9 天井のシミを数えていればすぐに終わります
食堂で夕食を食べ終わって部屋に戻った俺とレンカは、どっちが先に浴室を使うかの譲り合いが発生していた。
疲れたならレンカから先に入ればいいと考える俺に対して、レンカは片付けもしてもらったからと先に俺が入るように促す。
議論は平行線。
しかし、それをよく思わないレンカの提案によって、予想だにしない着地をしてしまった。
「――で、どうして私はレンカさんに背中を流されているのでしょうか?」
ちゃぽーん、と鳴る水音。
暖かな湯気が立ち込める浴室。
一糸纏わず長い白銀色の髪を前に流した自分が、僅かに曇った鏡に映っていた。
その、背後。
同じく裸のレンカへ問いを投げる。
「片付けのお礼と、カズサさんとより一層の親睦を深めようと思いまして」
「ひゃいっ!?」
喉を飛び出た細い悲鳴は自分のもの。
背中を細い指先がなぞり、甘い刺激が脳髄を叩く。
抗いようのないソレに身を捩り、腰が浮いた。
レンカが見出した着地点。
それは、一緒に入るというものだった。
勿論俺は反対した。
精神的にはまだ男の部分が残っているため、流石にレンカと一緒に入るのは躊躇われる。
だが、「私と一緒は嫌ですか……?」と涙ぐんだ表情で言われれば断りにくいのも事実。
護衛任務を考えれば彼女に嫌われるのは避けたい。
結局、俺が折れる形で一緒に入ることが決定した。
今となっては後悔の比重が大きいが。
「レン……カ……っ、ちょっと、やめ」
「……何故でしょう。カズサさんを見ていると、意地悪したくなってしまいます」
「ひ、ひゃっ、ん、あっ」
さわり、と指が濡れた脇腹を撫ぜた。
静寂に響く、嬌声。
自分のものとは信じられないほど艶やかな――少女の声。
やめてくれと伝えることも出来ず、口が何度も開閉する。
上気した頬の赤みが羞恥を加速させ、まともに直視出来ずに目を逸らし続けた。
倒錯的な状況。
裸のレンカに手を伸ばせば届く程の距離。
無防備さを向けられている理由がわからない。
脳が、理解を拒んでいる。
「……なんだか、変な趣味に目覚めてしまいそうです」
そんなしみじみとした呟きが、俺の声に混じって耳へ届いた。
「――レンカ《《さん》》……あんなことはこれっきりにしてくれると嬉しいです」
少しして落ち着きを取り戻した俺は、引き続き背後に待機するレンカへと嘆願する。
レンカの指先が肌をなぞった感覚が明瞭に想起出来るほど記憶に刻まれていた。
身の内側に燻る熱が、まだ冷めていない。
熱に浮かされたような支えのない思考。
「申し訳ないですが保証は出来ませんね。あまりにカズサさんが可愛いので、時々魔が差してしまうかもしれません」
「……まさか第三皇女様が嗜虐趣味をお持ちとは思わなかったです」
「誤解ですっ! 私だってあんな気持ちになったのは初めてで……」
振り返っての追求にレンカは逃げるように顔を背けるも、直ぐに向き直した。
「それより、立場とか関係ないって言ったのに……酷いです」
「さっきの仕返しということで」
「……仕方ありませんね」
わざと言葉遣いを変えたのは相殺で許して貰えたらしい。
だが、状況は何ら変わっていないのだ。
「さ、カズサさん。早速髪から洗いましょう。濡らしますよ」
レンカはシャワーの温度を確かめてから、俺の頭へ浴びせる。
心地よい温かさの湯が髪を伝い、肌を這うように流れていく。
しっとりと髪が濡れたところで、キュッとシャワーの栓を閉めたレンカが持ち込んだシャンプーを手に取った。
軽く泡立ててから、髪に優しく手が触れる。
頭の頂点から円を描くように指の腹が揉みほぐし、撫でるような手つきで洗われる。
力加減は少々弱く感じるが、こそばゆさと優しさが詰まったそれに指摘する気は起きなかった。
それに、これはこれで眠くなるような気持ちよさがあって、思わず目を細めながらレンカに身を委ねる。
「……妙に上手いね」
「伊達に何十年もメイドさんたちに洗われていませんから……って、誤解のないように言っておきますと、メイドさんは私の護衛でもあったので断れなかったのです」
「いやまだ何も言ってないから」
「何か言いたげだったので」
それはそうだけど、考えていたのは別なことだ。
入学前の一月でエルナとも一緒に入浴したことはある。
伸びた髪や身体の洗い方を教わりつつ、こんな状況でも動揺しないように訓練を積んでいた。
元より感情の制御には長けている。
だが。
レンカと二人きりの入浴。
少しも意識しないかと問われれば、それは別だ。
精神は未だに男のまま。
彼女を同性として見れていると、自信をもって断言はできない。
エルナ曰く、精神は肉体の在り方に依存するとのこと。
今は意識の乖離があって安定していない状態なのではないかと、過去の文献から得た推測を聞いている。
というか、過去に同じような目に遭った不幸な人間がいたことに驚きだ。
「痒いところはありませんか?」
「ん、大丈夫」
「よかったです。泡を流しますね。沁みないように目をつむっていてください」
軽く頷き目をつむると、再びシャワーの水音が響く。
頭に浴び、髪についている泡を丁寧な手つきで余念なく流してくれる。
しばらく続くと、泡を流し終わったのかシャワーの音が止んだ。
「トリートメントは上がってからにしましょうか。次は身体ですが……」
「いやそれは流石に自分でできるから」
「ふふっ、ダメです。逃がしませんよ?」
二人で入った浴室に逃げ場はなく、肩へ両手が置かれた。
ひぐ、と声が漏れ、頬が引き攣ったのを感じる。
恐る恐る振り返ると、穏やかながら有無を言わせぬ迫力がある笑みを浮かべたレンカ。
鋭敏すぎる感覚が危機を察してしまった。
肉食獣に狩られる小動物はこんな気持ちなのだろうか。
「もしかして恥ずかしいのですか? 女の子同士なのですから、深く考えなくてもいいですよ。私に遠慮しているのなら尚更です。今は、そう。友人……いえ、ルームメイトですから」
「……そこは恥ずかしがらずに友人のままでよかったと思うけど」
「~~~~っ!? カズサさんは、もう……っ、そうですね。私とカズサさんは友人、なのですね」
嬉しそうに、レンカは言葉を噛み締める。
その表情を見ているだけで、こっちまで心が温かくなるようだ。
「ですが。それとこれとは話が別……もとい、だからこそです」
どうやら忘れてはくれないらしい。
レンカのやる気は満々。
本気で拒んでいないことがわかっているのか、意気揚々とボディソープをスポンジに付けて泡立てる。
「裸の付き合いとも言いますし、何も変なことはありません。天井のシミを数えていればすぐに終わります」
「絶対まともじゃないことをするときのセリフでは」
「細かいことを気にしてはいけません。さあ、腕から洗っていきますよ」
柔らかなスポンジときめ細かい泡が、腕をゆっくりとなぞり始めた。
㊙︎情報 古事記によるとTSっ子のお風呂シーンは健康にいいので何千文字書いてもいいとされている