5 まともな出会いをしたかった
『東京人工都市』の内部は大きく三つの区画に分けられる。
一つは都市の壁から中ほどまでに広がる、平民が暮らす一般居住区画。
一つは都市の中ほどから中心部分にかけての貴族居住区画。
一つは都市運営の中枢を担う中央区。
身分で住み分けがなされている。
一般居住区画の人間は許可なしに貴族居住区画へは立ち入ることが出来ないが、逆は自由。
平民が限定的に貴族居住区画を通り抜けられるのは中央区に用事がある時のみ。
俺が通うことになる訓練校は、一般居住区画の北に位置している。
敷地の広さ故に、都市の外へ繋がる北門が訓練校の中にある始末だ。
そして今、訓練校前に伸びる通りを歩いていた。
七分咲きの桜が道の両側に続き、足元にも散った桜の花弁が敷き詰められている。
仄かな桜の香りが混じった空気を肺いっぱいに吸い込み、吐き出す。
陰鬱な感情など簡単に吹き飛んでしまいそうだ。
というのも、だ。
ここは訓練校へ続く道で、今日は入学式。
俺の他にも歩く人はいる訳で。
「なるほど……以前よりも視線に敏感に反応してしまうな。どこに意識が向いているかも手に取るようにわかる。なんというか……凄いな」
周囲には聞こえない声量で呟く。
原因は人の視線だ。
単騎で『魔王』と戦うという危険極まる職業柄、視線や気配を感じ取る能力は高い。
一瞬が即死へ直結するため、僅かな情報も逃せない。
俺は魔法の特性上、急所だけは必ず守るように動いていたため、他の『特務兵』よりは気配察知が不得手だった。
それでも、今はどこにどれだけの注意が向けられているのかが目を瞑っていても判別できる。
ただ……男女問わず矛先が顔と胸、尻、そして脚なのはどうにかしてほしいところだ。
なるべく意識しないように努めて、奥へ奥へと歩を進める。
一度正門の前で立ち止まって上を見上げた。
「東京都市軍訓練校……なんだかんだ初めて来た」
新入生の来訪に合わせて開け放たれた正門は、どこか牢獄や要塞を想像させる堅牢で無骨な造りだ。
装飾のない鉄柵、石レンガが高く積み上がった壁が敷地をぐるりと覆っている。
壁の上では警戒中の都市軍人が、侵入者や脱走者に目を光らせていた。
ひゅう、と吹いた冷たい風が女子正式軍服から無防備に伸びる脚を撫ぜる。
慣れない感覚と肌寒さを感じ、僅かに身を震わせ両腕を胸の前に抱き寄せた。
手に触れる慎ましい胸の感触。
自分の身体なのが未だに信じられない。
「というか、冷静になると普通に意味がわからない。なんで女にされた挙句、訓練校に投げ込まれているのか」
靡く長い銀白色の髪を手繰って毛先を弄りながら、原因を作った張本人の顔を思い浮かべる。
有耶無耶にされていたが、どう考えても悪いのはエルナではなかろうか。
……いや、やめよう。
過ぎたことを掘り返すのは不毛だ。
性別が変わっても根本は変わらず、魔法も健在。
そして、俺が望んだ普通の生活は目の前にある。
「……いこう。護衛任務つきだけどな」
並行して進行する任務のことも考えながら、訓練校の門を潜った。
石畳の道を渡った先の噴水広場の分岐路を西方面へ。
数分も歩けば、ビル同然の巨大な建物が立ち並ぶ区画が見えた。
それが訓練校の学生寮だ。
「女子寮は……こっちか」
学校側にも女子で通っているため違えることはできない。
看板に従って女子寮へと進み、やや古びた扉を押し開ける。
ギイ、と金具が軋みながらも扉は開く。
十数人は通れそうな玄関では先着していた生徒が荷物を寮の職員に預けている最中だった。
邪魔にならないところに避けて順番を待ち、人が去ってから荷物を同じように預ける。
その際に部屋番号を書かれた紙を手渡された。
『409号室』が俺の部屋らしい。
寮の部屋は二人用で、実は同室の人に関しても知らされている。
任務の護衛対象である第三皇女だ。
軍が任務に関わっているのだから、任務遂行のために手を尽くすのは当然。
その後、今日の本命となる入学式のために敷地の北側へ。
歴史ある砦のような校舎のそばにある、古めかしい赤煉瓦造りの建物――大講堂の中に入る。
室内は薄暗く、空調が効いていて丁度いい塩梅の気温を保っていた。
階段状に並ぶ座席の埋まりは疎らで、自由席らしく仲のよさげな数人で固まっている光景が散見される。
周囲を見渡して、結局最後列の通路付近の座席に腰を落ち着けた。
スカートの裾が捲れていないか確認を経て、ようやく息をつく。
どこに人目があるかわからないため、油断は禁物。
時間は講堂内の時計で八時二十分を過ぎたくらい。
開始まで四十分もあると考えると暇だな。
精神統一でもしておとなしくしていよう。
時間が経つにつれて出席者の数は増えていく。
ざわざわと話し声が響く中で、俺の落ち着きは加速度的に失われていた。
というのも……人間には制御できない生理現象に襲われていた。
端的に言って、尿意である。
「こんな時に間の悪い……っ」
内股をすり合わせながら歯噛みする。
入学式の開始までもう五分もない。
今から出て、トイレに行って間に合うか......?
いや、行くしかない。
膀胱が入学式を終えるまで耐えられる保証がなかった。
なにせ……恥ずかしいことに体が変わってから何度か漏らしている。
男の時と微妙に感覚か異なっていて、どこまでが許容範囲内なのか未だに怪しい。
だからこそ、安全策を講じるに限る。
意を決して席を立ち、大急ぎでトイレへ向かう。
焦っていても女子トイレなのを確認して、空いていた個室へ一目散に入って鍵を閉める。
スカートと下着を下ろして便座に座ると、意図せず安堵の息が漏れた。
「間に合った……」
緊張が霧散して、同時にゆっくりと尿意が遠ざかっていく。
社会的地位がかかった賭けだったが、勝利の女神は微笑んだらしい。
諦めないことが肝心だとわかるいい例だ。
皮膚がひりつく戦いを終え、ぎこちない手つきで股を拭いて下着とスカートを履きなおす。
色々と一段落したところで個室の外へ出る。
すると、隣の個室の扉も同時に開き、
「はあ……危ないところでした」
煌めく金髪の少女が呟きつつ現れた。
そして、
「「――あっ」」
互いに存在を認知し、目が合った。
彼女の蒼く透き通った瞳が数度瞬く。
背は俺よりも少し高いくらい。
だが、豊満な胸元が激しく主張している。
俺は彼女の名を知っていた。
『東京人工都市』を統治する皇族の第三皇女であり、俺が訓練校で護衛する対象――天道レンカ。
……もっとまともな出会いをしたかった。