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27 追憶の世界



 おどろおどろしい闇色がおりのように空を覆う夜。


 跡形もなく崩れた木造の家屋が連なり、蒼いほのおに包まれながら轟々《ごうごう》と音を立てて燃えていた。

 赤黒い液体に濡れた大地には人だったものの残骸ざんがい無惨むざんに転がっている。

 四肢ししを引き裂かれたものは獣が喰らったように噛みあとがついていて、鮮血に濡れた肉と血管、白い骨がさらされていた。


 そんな凄惨せいさんな光景が、視界一面に広がっている。


 地獄とはこういう場所なのだと言われても納得してしまいそうなそれは――


(――夢、か)


 他ならない、俺が体験した過去。


 ひどく落ち着き払った心境のまま追憶ついおくの世界を見渡す。


 燃え盛る建物から音のなる方へ視線を動かせば、赤い血を全身に浴びた全裸の女性と戦う数個の人影。


 白みがかった灰色のうねる髪を血に濡らす女性の人型は、全身に開閉する『口』を持っていた。

 鋭い銀色の歯がのこぎりのように連なっていて、それがギャリギャリと獲物えものを歓迎するかのように不快な音色を奏でている。


 前髪の隙間からのぞく瞳は正気を狂気で包んだクリムゾンレッド。

 煌々《こうこう》と怪しくも吸い込まれそうな魅力をたたえた双眸そうぼうは退屈そうだ。

 自分を囲っている者たちにすら興味がないのか焦点が合っていない。


 一見して人間のような容貌ようぼう

 しかし、放たれる威圧感は大の大人の脚も止まるほど鋭く、重い。

 その女は『魔王』であった。


 カズサたちが住んでいた外の集落を襲い、人を喰らった張本人。


(なんで今になって……)


 内心舌打ちながらも、夢の世界は止まらない。


 戦端せんたんが開かれたそれはしかし、戦いの体をなしていない一方的な蹂躙劇じゅうりんげきだった。

 飛びかかった男は女の手のひらに生えた口に拳を飲み込まれ、やすりにかけられたかのように腕が削られていく。

 血飛沫が雨のように降り注ぎ、男の絶叫と混ざり合う。


 尋常じんじょうではない力にほかの人はたじろぎ、仲間を救う選択肢を放棄して脚を止めてしまった。


 刹那せつな逡巡しゅんじゅん


 意識の間隙をうように、全裸の女が片腕を空へと掲げる。

 高らかに立てた人差し指の先端で闇が渦巻く。

 その渦から這いずるように現れたのは――双頭の百足むかでであった。


 折り曲がった節には黄ばんだ乱杭歯らんぐいばが生えそろい、ガチガチと歯を打ち鳴らす。

 主人を守る番犬のように、百足が暗闇をはしり立ち止まっている者たちへと喰らいつく。


 否、喰い荒らす。


「――――」

「――――っ」


 くぐもった声を漏らしながら苦悶くもんの表情を浮かべ、次々と傷口といえない歪な痕を残して倒れる。

 それは生きたむしのように身体を這いずり回り、全身を蝕むように広がっていく。


 罪人を縛るくさりを思わせるそれは、目印。


 人間の身体を使った理外の力……権能である。


 女が指を鳴らす。

 すると、百足が喰い荒らした者たちがビクンと跳ね、腹が内側から割れた。


 くひ、と女の口元に酷薄こくはくな笑みが張り付く。


「喰らい、刻み、生まれよ。()()の空腹、少しは満たしてみよ」


 妖艶ようえんに、傲慢ごうまんに、遥か高みから見下ろす女。

 悲鳴と怨嗟えんさの声を一身に受け、人の身を蛹とした蝶が羽化を果たした。

 腹を割って生まれた細長い百足の赤子。

 赤々とした血に濡れた体を震わせて周囲に残る餌を見るなり、地を目にも止まらぬ速度で駆けていく。


 次々と空腹の百足が肉を食み、血をすすり、白く硬い骨をしゃぶる。


 戦いなどとは呼べず、いつの間にか開かれていた深夜の晩餐ばんさん


 最後の一人が全身の白い骨を残すまで、そう時間はかからなかった。



 たった一人、女だけが立つ夜天の下。


「――もう、終わりであるか。つまらぬな。だが、腹は満たされた」


 満足げに女が自らの腹を撫でる。

「満たされた」という割になだらかな腹だった。


 そんな姿を、歯を食いしばって見ている者がいた。


 崩れた家屋に下敷きとなった少年――


(――俺、だ)


 彼らが戦い、死に果てる様を蒼炎に焼かれながら見続けた昔の俺。


 痛い苦しいと嘆く暇すらなく、目の前に立ちはだかる絶望を見上げることしか出来ない自分が無様で。

 二度と、こんな思いをしたくないと願って。


「――ああ、私様の思った通りであった」


 女の表情が、歓喜に歪んだ。


 爛々《らんらん》と煌めく瞳を少年へと向けて、確かな喜色を滲ませ呟く。


「私様は退屈極まりない。おぬしが私様を殺しに来るというのなら、それも一興。逃げも隠れもせず、腹の足しにしてくれる。時がたつほどに、感情は熟成される。甘露の如き供物となることを、私様は期待せずに待ち望もう」


 ではな、と女は残し、強者の余裕か無防備に背をさらしながら去っていく。


 そこで暗転し、室長――朱雀ホムラに助けられて東京人工都市へとたどり着く。




 その、はずだった。


「――言い忘れておった。三日後、妄執の獣が来るであろう。くれぐれも、私様の腹に入る前に、死ぬでないぞ?」


 女はそう残して、俺を見た。

 少年ではなく、今の俺を。


 同時に意識が明瞭めいりょうになり、自分の意志で声を発せられることに気づく。


 混乱を覚えながらも警戒を露わに呟く。


(これは夢……じゃないのか?)

「いいや、これは紛れもなく夢であるぞ。私様の手にかかれば人の夢に干渉することなど容易い」

(無茶苦茶だ……)


 九割がたの呆れを覚えつつ、女の話を半信半疑で聞く。

 嘘か真かなんてわからない……が、切り捨てることもできない。


『魔王』最強の一角――『七本角セプテム』、その一人である限り。


 夢で見ている昔の俺は終わらない恐怖と激情、無力感に苛まれていたはずだ。

 しかし、夢の世界だからか平静を保っていられる。


 あちら側に戦う気がないことも要因としてはあるだろう。


(何が目的だ)

「下手をしたら君が死にそうだったのでな。妄執はあれでも私様と同格。何も知らずに死んだとなれば、誰が私様の空腹を満たす?」


 キョトンと小首を傾げて理不尽をさも当然のように押し付ける。


 だが、だからこその『魔王』。


 理不尽の権化たるそれは、人の都合など考えることはない。


(……彼らを殺したお前を俺は許さない)

「ああ、許すな。一生恨み、復讐ふくしゅうの日を望み、いつの日か私様の腹へ収まるが良い」

(『魔王』は敵だ。だから俺は、『魔王』を殺す)

「ああ、殺せ。私様も人間を喰らう。人間にも、私様を殺す権利がある」


 互いに譲れない一線。

 願いのままに、本能のままに。


「まだ君は青い果実……食べごろまで熟れる日が楽しみだ」

「――必ず、お前を殺してやるよ」


 一生理解し合えない平行線の相手と、夢と現の狭間で誓いを交わして。


 世界は、徐々に白んでいく。


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