1 『魔王』を狩る者
お久しぶりです。
今回は完全な性癖。
初日はこれと昼にもう一話、そこから一週間くらい0時5分目安に一話ずつ、以降は2、3日に一話くらいのゆっくりペースで更新します。
よろしければ応援いただけると嬉しいです。
「お目覚めかい、七生カズサくんっ?」
耳朶を打つ気楽な女性の声。
水底に沈んでいるように朧気な意識が浮上する。
閉ざされていた瞼が、徐々に開く。
どうやら仰向けで寝かされているようだ。
理解しても身体は動かない。
無影灯の眩い光に網膜が焼かれ反射的に瞼を閉じるも、時間をかけて慣れさせながら、再び開く。
「……ぁ、なん、だ。何が、どうなって――」
紡がれたのは、やや低い少女の声。
紛れもなく俺の喉から奏でられたもの。
恐る恐る右手を喉へ伸ばして撫でると、滑らかな感触が伝わってくる。
混乱が、意識に広がって。
「取り乱すのはカズサくんらしくないですよ? 取り敢えず、ほら。起き上がって鏡見ます?」
声の主が俺の背を抱え上げて上体を起こさせた。
視線の先には亜麻色の髪をヘアピンで留めた、いたずらっぽい笑みを浮かべる女性――神崎エルナ。
そして、正面に置かれた姿見に自分の姿が映り、
「……なんだ、これ」
「いやー、これには水溜まりよりも浅い事情がありましてー。端的に言うと、失敗しちゃった!」
てへ、と赤い舌先を出して。
悪気がちっとも感じられない声で告げられた。
そして、薄ぼんやりと気を失う直前の出来事を思い出す。
「おい、神崎エルナ」
「はいはいボクは天才魔術薬師で超絶美少女の神崎エルナちゃんですよーっと」
「俺は確か、お前が作った『変身薬』とやらを飲まされたんだよな」
「だってカズサ君は有名だし? 顔バレしてゴタゴタに巻き込まれたくないでしょ? ってボクの天才的配慮に基づいた結果ですね」
「だよな。そこまではいい。俺も理解出来る範囲だ。だけど……なんで女になってるんだ。どういう理屈だ?」
俺は鏡を睨めつける。
鏡に映る自分は――目が覚めると見知らぬ少女になっていた。
元の面影など消え失せ、柔らかな印象を醸す顔立ち。
長い銀白色の髪を鬱陶しく思って手で払う。
絹糸でも触れているようにこそばゆく、繊細な感触が伝わる。
乳白色の手術着は身体のサイズが小さくなったことでゆとりが生まれ、下へ視線を落とせば胸元に僅かながら膨らみがあることが窺えた。
当然ながら、目覚める前。
正確にはエルナが製作した薬を服用し意識を失う直前まで、俺の記憶が正しければ性別は生まれてからずっと男のはずだ。
それが、どうして。
目覚めたら女になっている……なんて、馬鹿なことが起こるのか。
原因を作ったのは、どう考えてもエルナが製作した『変身薬』に他ならないだろう。
「……まあ、アレです。ボクが作った『変身薬』は正常に効果を発揮した。結果、カズサ君が男から女に性別が変わってしまいました。めでたしめでたし」
「めでたしじゃねぇよアホか。どう責任取ってくれんだよ? ん?」
「……結婚ですか?」
「……お前に聞いた俺が馬鹿だった」
思わず深いため息をついた。
馬鹿と天才は紙一重と言うが、コイツは間違いなく比重が馬鹿に偏っている。
もう責任とかは考えないことにしよう。
問題はこの先どうするかだけど――
「そもそもカズサきゅんの魔法で元通りにならない?」
「無理だな。今はこの状態が正常らしく、俺の魔法が作用する隙がない」
「あちゃー。だったら、こんなこともあろうかと作っておいた解除薬を飲むしかない――」
「――断るッ!!」
狂気的な提案に声を荒らげて反抗する。
それは、それだけは絶対に嫌だ。
「えっ、なに。カズサ君は戻りたくないの?」
「……自信満々に持ってきた『変身薬』でこれだぞ? 解除薬とやらで、今度は何になるかわかったものじゃない。俺はまだ死にたくないんだ」
「まさかの失敗前提っ!?」
「それとな、お前は知らないかもしれないが変身時にクソほど痛かった。全身の骨を粉砕骨折して雑巾絞りされてるみたいだったぞ? 痛みに慣れてる俺だからショック死しないで済んだものの、他の奴なら今頃死んでる」
「ありゃりゃ……うん、とてもじゃないけど薦められないですねー」
虚ろな目で語る俺に圧倒されたのか、エルナは若干引いていた。
全部お前がやったことだがな。
出来るならコイツにも飲んで頂きたい。
俺と同じ苦しみを味わえ。
「にしても、当面はこのままか。本来の素性を隠すって目的は達しているとはいえ……面倒なことになった」
「可愛いしいいんじゃないです?」
「他人事だと思いやがって」
「実際他人事ですし。それに、任務的には都合がいいのは確かですよ? 男より女の方が警戒心は持たれないと思います」
「……それもそうか。不幸中の幸いとは口が裂けても言わないが」
先のことを考えれば、悪影響ばかりでもないのが腹が立つ。
というのも、これから当たる任務が問題だった。
発端は、数日ほど過去へ遡る。
■
月が雲隠れした、薄暗い夜。
遠く続く荒野を見渡す俺の頬を冷たい夜風が撫ぜる。
闇に紛れるような漆黒の軍服には、金色の星が並んでいた。
武勲を示す勲章。
もう数えることもやめた金色の星が月明かりを反射して煌めく。
ぼんやりと空を眺めていると、耳にはめていたインカムへ通信が入る。
『――『無限龍』』
よく通る、それでいて気だるさを感じる声。
俺のオペレーター――比那名居エマが確認のため呼びかけた。
『通信良好。いつでもいける』
『――了解。時刻0100、『魔王』殲滅作戦開始。本作戦対象『魔王』、『三本角』。いっぱい死んでる。頑張って』
プツリ、と音を残して通信が途切れる。
意識を切り替え、正面を向いた。
変わらぬ地平の先に。
「……目標捕捉」
異形の影を捉えた。
荒野を這う、山と見間違う程の巨体。
見た目はブヨブヨとしたカタツムリのようだ。
ギョロリと剥いた眼は生理的嫌悪を抱かせる様相。
ソレは多方へうねうねと無数の触手を伸ばしながら侵攻を続ける。
頭に生える、三本の捩れた角。
『魔王』は頭部の角の数だけ強い個体だ。
『三本角』は『魔王』の中でも中位。
『魔王』は生物が突然変異……『魔王化現象』を経て産み落とされた異形の生物。
世界を堕とす絶望の使徒。
「さて、と。いくか」
冷たい夜の空気を吸い込んで、作戦対象の『魔王』へ向けて駆け出した。
景色が一瞬のうちに背後へ流れる。
亜音速を超えた速度での移動で発生した衝撃波が地を砕く。
『魔王』が俺へ気づく前に先手を取る。
空中で大きく右腕を振りかぶって、
「――まず、一発」
腰の捻りも加えて振り下ろす。
拳は虚空を裂き――延長線上にあった『魔王』の横っ腹に風穴が空く。
「AAAAGRYRYYRYYYY!!!?!?!?」
夜に轟く『魔王』の咆哮。
突然の襲撃に怒りを覚えたのか、触手の動きが一段と加速した。
先端を鋭利に尖らせ、無数の触手が殺到する。
腹を貫かれれば生身の人間なんて簡単に死ぬ。
というか、威力に身体が耐えられず肉片と化す。
それも俺が普通ならの話だが。
「邪魔だ」
吐き捨て、無造作に腕を振った。
弧を描いた腕がほとんどの触手を薙ぎ払う。
ブチブチと断ち切られた触手が落ち、地面を魚のように跳ねる。
だが、数に優る有利はない。
何本かの触手が俺へ迫り――
「か、はっ」
脇腹と二の腕を触手が貫いた。
かっ、と身が焼けるような熱が指先まで広がる。
喉に詰まった血反吐を吐き出す。
明確な隙。
それを逃さぬように『魔王』が再び触手を繰る。
無数の触手を何本かに束ねた。
頭上にかかる黒い影。
巨体の割に俊敏な動作で降ろされた触腕を回避する手立てはない。
「……なんて、ね」
嘲りの笑みを浮かべる。
貫かれた傷口が激しく泡立つ。
緋色の泡に包まれ、数秒もすると傷は完全に塞がっていた。
――『無限再生』。
俺の固有魔法であり、二つ名の由来ともなった理由の一つ。
即死さえしなければ身体の再生が瞬時に行える。
続いて触腕へ右手を銃のように構えた。
狙いを澄まし、
「法理反転――『崩壊死滅』。『弾丸』」
漆黒の閃光を撃ち放った。
閃光が触腕へ命中すると、変化は瞬時に現れる。
光が照射された場所から触腕が黒ずんだ灰に変わっていく。
それはやがて全体に広がり、ボロボロと脆くなった触腕が粉々に砕けた。
原子単位で死を与える『崩壊死滅』。
人智を超えた存在の『魔王』であっても結果は揺るがない。
『無限再生』と『崩壊死滅』。
生と死を司る魔法。
俺が東京人工都市において最強と謳われる『特務兵』の所以だ。
再び『魔王』の咆哮が轟く。
理解できない現象に恐れを抱いたか。
本能的に敵わないと悟ったのだろう。
巨体を翻し、俺から離れようと一目散に地を這っていく。
「逃がすわけないだろ」
一度、両足で着地し地を踏む。
鳴る軽い靴音。
間髪入れずに前方へ跳躍。
身を低く沈め、手刀を居合のように構えて『魔王』を見据えて虚空を薙ぐ。
迸るは研ぎ澄まされた黒光の刃。
『魔王』の胴体を容易く一閃し、空へ抜ける。
断面が遅れて変色し始め、風化した岩のように崩れていく。
残心し、ゆっくりと顔を上げて『魔王』を見上げた。
数分もすれば跡形もなく消えることだろう。
どれだけ藻掻こうが崩壊からは逃れられない。
これはそういう魔法だ。
『――俺だ。作戦は終了。崩壊を見届けた後に都市へ帰還する』
『了解。お疲れ。気を付けて、ね』
平坦な反応はエマが平常運転の証。
言葉の端々に現れる信頼が身に染みる。
『あ、そうだ』
『ん?』
『室長、話があるって』
『……? わかった』
直々に呼び出しとは珍しい。
勲章授与の話だろうか。
十五歳なんて年齢で何度も勲章をもらっていては他からの嫉妬が面倒だ。
非常に憂鬱ではあるものの、与えると言われれば立場上断れない。
要件は何だろうかとぼんやり考えながら『魔王』が完全に崩壊するのを見届け、俺は踵を返して文明の光が灯る都市への帰路についた。
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