かくれんぼ
ひとりめの女児は、必要。
男児はなんどでも、必要。
ふたりめの、女児は、
父、次丸とかくれんぼをしている。鬼は私だ。
目隠しはたった三十秒だったのに、父は上手に隠れやがって、私はなかなか見つけられず途方にくれていた。
「最近の子どもは遊びの一つもできないのか、」
私より幼い声が、時折そんな生意気口をきく。しかもそれだけべらべら喋っておきながら、一向に姿を現さないのだから大したものだ。
「だって、ここは父さんの縄張りみたいなものじゃない。」
馴染みのない神社を見渡しながら、声だけの父に不満を告げた。父は笑いを潜めながらも一応、「悪い悪い、」と口だけの謝罪をする。
「なあ、おれの子供は、おまえ一人なのか?」
幼い声が、かくれんぼとは無関係の質問を投げてきた。探しながら、私は質問に答えた。
「ううん。三人だよ。私が真ん中で、姉さんと弟がいるよ。」
「なんだ、おまえ、フタヒメノコだったのか、」
そうかそうか。私を置き去りに彼は何か納得していた。
かまわず、父を捜した。
鳥居の影。
境内の裏。
注連縄幹の根元……どこを捜しても彼はいない。
姿を現さなくとも、声だけはよく届いた。
「おとなになんてなりたくねえな。」
ぽつりと溢す声も、いやによく届く。
「思っても言う相手を考えなよ、そういうこと。」
叱りつけるように私は言った。父は悪びれずへらへらしている。
「できることなら、こうして遊んでいたいもんだ。」
好きなだけ走り回って、好きなだけ笑って、好きなときに食って好きなときに寝る。そんなことが大人になったら出来なくなっちまうんだろ?
誰かのために何かに巻き込まれて、身動きとれない服を着てまずい酒を飲む。
頭は禿げて腰は曲がり、手も足も貌も、皺々に渇いていく。
おまえは、そんなおれに育てられたんだろう?
父はべらべらと、ひと息に聞いてきた。私は少し返答に悩んだ。
「でも、母さんや私たちを愛してくれるんでしょう?」
選んだ返答は、たぶん、少しずるかった。
「家族は、何物にも代えられない、でしょう?」
「そう言うしかないんだよ。」
父は案外、あっさりと言い返してきた。
「そう言わないと悪者になるもんね。」
私もあえて、賛同した。
「ほんと、めんどくせえよなあ。」
笑う父と同調するように、私も笑った。
「何をしているんだい、」
背後から父以外の声がした。
振り向くと、鳥居の左下で見知らぬ老婆が佇んでいる。老婆はこちらに歩み寄り、周囲に視線を走らせ、最後に私をじっと見据えた。
「誰か連れでも居るのかい?」
彼女の登場を機に、先程まであれほどべらべら喋っていた父の声が、ぷつりと途絶えていた。
たしかに老婆から見れば、私はひとりでぶつぶつ喋っている奇妙な娘だったのだろう。訝しげな老婆の視線をかき消すために、私は現状を簡単に説明した。
「はい。父とかくれんぼをしています。」
「かくれんぼ? あんたまさか、次丸の子かい?」
父の名を問われ、私は正直に「はい。」と頷いた。
老婆は再度私を見据えた。頭のてっぺんから足の指先まで、じっくりと観察するように時間をかけて眺めた。やがて納得したように、顎に指を当てながら、ふんふんと頷く。
「なるほど、たしかに面影があるよ。しかし面妖だね。あれの娘はもう子を生したというじゃないか。あんたじゃ若すぎやしないか?」
「それは、おそらく姉のことでしょう。私たちは十も離れていますから。」
「なんだ、あんたフタヒメノコかい。」
そうかそうか。父と同様、老婆も私を置き去りに何かを納得した。
そして頭上に生い茂る木々を仰ぎ、しわがれた声で大きな独り言をもらした。
「次丸は巧く隠れとるようだね。あんたもどうするか決めているんだろう? なあに、黙ってさえいれば、願いは叶うんだ。」
父はひたすら黙っていた。声だけでなく存在も殺すように。
神社から老婆の気配が遠退くころ、とぼけるように父はふざけた。
「しかしあれだな、おまえ、もうイイヒトいるのか?」
幼い声に不釣合いな中年男のような台詞を、それらしく言う。私はふふっと吹き出した。
「急に父親みたいにならないで。」
「フジュンなコーサイは、お父さん認めんぞ。」
味をしめたのか続けてふざけてくる。やだあ、もう。私は話を合わせて、笑ってあげた。
「……ねえ、父さん。」
老婆が現れる前の、揚々とした父を取り戻しきったところで、私は彼に問いかけた。
「私たちに、逢いたい?」
見上げる木々が風の音をたてる。そこかしこに散らばる父の気配が、ゆっくりと声をあげた。
「まだわかんねえよ、そんなの。」
ああ、困らせてしまったな。
それとも言い方が悪かったかな。
私は少し、反省した。
「私、産まれて、いい?」
反省ついでに言い直した。ずるく、意地悪を、言い直した。
父の胸のうちを私は知っている。
彼はたとえ、好きなときに好きなだけ遊べなくなっても、
身体中ぼろぼろに衰えても、
何かに死ぬまで縛り付けられようと、
愛する家族に巡り会いたい。
母との恋に身を焦がし、かけがえのない子を両の腕で抱きたい。
そんな胸のうちを、私は知っている。
しかし私の前で彼はそれを口にできない。それも、私は知っている。
「父さん、勝負しようよ。」
だから提案した。
「このまま父さんが隠れきったら、父さんの勝ち。見つけられたら、私の勝ち。それでどう?」
左右前後天地に潜む彼に、私は挑戦をもちかけた。
「……ろくな大人にならねえな、おまえ、」
「当然でしょ、父さんの子だもの。」
成立した一騎討ちに私は笑い、また彼を捜し始めた。
鳥居の影。境内の裏。注連縄幹の根元……彼はどこにもいない。
それでも捜した。同じところを、何度も何度も捜した。
捜すふりを続けた。
少しずつ、少しずつ、神社から遠ざかってゆく。
このまま帰ろう。愛する父の願いが、叶いますように。
私は鬼なのだ。