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ひとでなしの戀 終焉


大嫌いな人が結婚する。



私の愛した人と、結婚する。




 雛鳥(ことり)の屍骸には、そこはかとない表情がみえる。

 小学生のころ、下校中に見つけた軒下のそれに、幾度となくぞっとしたものだ。

 巣から落ちたのだろうか。目立った外傷も無く瞼を堅く閉じて、産毛も生え揃っていない腹を此方に向けて息絶えている様は、幼いながらに無念と思えた。



依世(いよ)って昔から、嫌なことを考える子供だったんだね。」


 佐喜彦(さきひこ)さんはくすりと目を細めた。

 はれのひに、こんな話を切り出した私への反撃……と言うほどでもない余裕綽々ぶりが、どうにも小ばかにされている感じが否めなくて、私は目をじとりと据わらせる。


「勘違いしないで。こんな話をする相手はあなただけよ。」


 他の人間には気を遣っているのが大前提なのだと、念を押した。

 それが私なりの嫌味のつもりだったのに、佐喜彦さんは一向に動じない。私の声なんて思い出話程度に笑って、鏡に映る自分の身なりを整えている。


「馬子にも衣装ね。」

 今度はわかりやすい嫌味を言ってみた。


「お生憎さま。普段もそこそこの身分だよ。」

 鏡のほうに居る白いタキシード男が穏やかに、ちょっといやらしく笑った。


「……きもちわるい人。」


 かっこわるい。

 だっさ。

 ばかみたい。

 彼への悪態なんて無限に沸くけれど、今言い返せそうな精一杯が、その一つだけだった。



 この人は、今日、結婚する。








 きもちわるい。


 死んだ雛鳥への感想なんて、小学生ならそんなものだろう。

 一緒に下校していた女の子も発見するなり悲鳴をあげていたし、男の子は木の枝で面白おかしく突っついて、『菌タッチごっこ』を開始しだしていた。

 それにまたきゃあきゃあ騒ぐ女の子。ご満悦に追いかける男の子。

 気持ち悪いから騒ぐのだ。格好の遊びの材料となるのだ。もちろん私も一緒になって騒いだ。笑いながら、屍骸の()から逃げた。


 そして翌日、先生に告げ口した。


 「命を遊び道具にしている子がいます。」「わたしが言ったって言わないでください。」「仲間外れにされてしまうから。」

 懇願する私を先生は真摯にみつめて、深く頷きながら頭を撫でてくれた。


 かっこわるくて、ださくて、ばかみたいだ。

 巣から落ちて醜態を晒した挙句、子ども達の遊び道具になって、私の先生(大人)に対する評価材料にもなるなんて。

 気持ち悪いなんてもんじゃない。惨め過ぎるわ。








「空なんて飛ぼうとするからいけないんだよね。」

 私を否定しないあたり佐喜彦さんは質が悪い。それどころか同調して笑い始めた。


「飛んだりするから、高い所に巣を作って、飛べるようになる前に死んじゃったりするんだ。ペンギンみたいにさ、最初っから地面で生活してればいいのにね。」


 飛ぶのを放棄するなんて、賢い鳥だと思わない? 挙句には、私にも同調を求めてきた。


「本当に賢かったら、あんなクソ寒いとこで生きようとしないわよ。」

 真っ向から否定してやった。


「それに落ちて死ななくても、ペンギンなんて海でバンバン死んでるわよ。鯱におもちゃにされてから死ぬ間抜けだっているんだから。」

 あんな丸くて肥った飛べない鳥に賞賛する所なんて、これっぽっちも無い。


 まだまだ動じず笑う彼は本当に幸せそうで、私は今日という日にますます不機嫌になった。








 雛鳥の屍骸は翌日にはたいてい、原型の留めない肉塊へと変わり果てていた。

 人に踏まれたのか、車に轢かれたのか、(からす)(つい)ばまれたのか。


 『菌タッチごっこ』をした何人かのクラスメイトは、その後個別に呼び出されて叱られたらしい。

 私も平然と呼び出された側のふりをして、やりすごした。だけどいつの間にか密告行為がばれていて、その後は結局孤立した。

 独りぼっちになった帰路で別の雛鳥の屍骸を発見して、小石みたく車道へ蹴っぽった。


 これで轢かれても、ぐちゃぐちゃになっても私のせいじゃないから。

 あなたが悪いのよ。

 目に付くところで死んだりするから。おもちゃにされるくらい、気持ち悪いから。


 私が悪者扱いされたのも全部あなたのせいよ。








 窓の向こうは雲ひとつなくて、たぶん風も心地いい。

 最高に最悪な日和になってしまった。じきに祝福であふれるチャペルが、外観からでもいやに白く光ってみえる。


「ずいぶん本格的にしたのね。」

 眺めながら感想を言った。


「一生に一度のことだからね。」

「二度目のひとだっているわよ、」

「僕は一度きりのつもりだよ。」


 軽くは言うけれど、心臓をえぐるには充分だ。


「ところで、どうして急にそんな話したの?」

 軽く言う延長で、佐喜彦さんは尋ねてきた。たぶん、雛鳥の話のこと。



「今、そんな気分だから。」



 正直に返すと、容赦ないなあ、なんてまた笑った。




「新郎さん、時間ですよ。」

 話し込むうちに係りの人が呼びに来た。私もそろそろ出席者の席に戻らなくてはならない。母親もうるさいし。


「ねえ、」

 控え室を出る直前で、佐喜彦さんは呼び止めてきた。


「落ちて死ぬ雛鳥と、海で死ぬペンギン。依世ならどっちを選ぶ?」


 実にくだらない二択だった。


「……どっちもごめんだわ。まだ鴉のほうがまし。」

「からす?」


「鴉の雛って、見たこと無いじゃない。」



 私はこの人が嫌いだ。

 大嫌いだ。


 だけど、すべてを曝け出せる相手がこの人しかいないことも、解っている。



 弱音も本音も憎まれ口も、ぶちまけられる対象というのは良くも悪くも貴重で必要なものなのだと、彼の存在をもって思い知った。

 それがイコールとして好意と当て嵌まるかはまた別の話だけれど。



「じゃあ、あとでね。」

 控え室の扉が閉まる最後の最後まで、彼の顔は幸せに満ち満ちていた。



 この人は、今日結婚する。




 私の愛した人と、結婚する。









 本格的な式場に相反して、式自体は身内だけのささやかなものだった。

 佐喜彦さん側の親族は彼の姉と伯母に、彼と親しい間柄だという四十手前の夫婦が一組。私は相手側の親族で、両親、兄夫婦、伯父家族と共に出席した。

 形式もいわゆる人前式というもので、実に自由だった。

 やりたいだけの指輪交換。言いたいだけの誓いの言葉。歩きたいだけのバージンロードを渡って退場する二人を、出席者全員、拍手で祝福した。

 これから共に生きてゆく二人は、どちらもドレスを着ていなくて、どちらもブーケを持っている。



「依世、」


 バージンロードが尽きるあたりで、佐喜彦さんは私に駆け寄ってきた。



「はい。」

 差し出された白いウエディングブーケについ苦笑してしまう。



「投げるものよ、これ。」

「うん。」

「ばかじゃないの。」



「あなたに受け取ってほしいんだ。」



 ……きもちわるいひと。



 声を飲み込んで花束を受け取ると、幸せで美しいその人は、子どもみたいな顔で笑った。









 披露宴とは名ばかりの食事会のために、出席者たちが移動を始める。

 忘れ物をしたからと、ひとりでチャペルに戻った。


 祝福の鎮まった、ステンドグラスの映える白い空間で佇んだ。

 新郎から手渡された祝福の花束は、大なり小なりあるけれど、すべて八重の白い花で、私はどうあがいても惨めだった。



 許してなんかあげない。

 恨んだりもしない。ただただ泣いてやる。



 佐喜彦さん。私はあなたを許してあげなくて、あなたたちに泣いてあげる。




 私の愛した人を不幸にしたら、殺してやるから。





 八重の花たちの名前はほとんど知らない。

 かろうじてわかる梔子(くちなし)の花めがけて、思い切り握り潰した。

 花は音も無く、原型を留めない白の破片となってゆく。ばらばらに地面へ散ってゆく。


 次から次へとブーケを(むし)った。

 掌のなかでぐちゃぐちゃになった破片を(つい)ばむ。何度も何度も、啄ばんだ。


 青臭さが口いっぱいに拡がって、どこまでもみじめだった。

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