ちゃんと
ママの元カレとデートする少女の話。
※胸糞注意(?)※
本日あたしは、ママの元カレとデートをしている。
「元カレだなんて、そんな、たいそうな物ではないよ、」
樋山さんはそう謙遜するけれど、彼の口から聞く過去のママとの思い出話や、今でも変わらない彼女の癖や習慣なんかが一致したりすると、やっぱり元カレで語弊は無いのだなと認識してしまう。
もしくは、樋山さんの謙遜が嘘っぱちであるかのどちらかだ。
「私が一方的にマリコさんを愛していただけだよ。」
男のくせに「私が」とか、日常会話で「愛していた」なんて使う男性を、あたしは後にも先にも樋山さんしか知らない。
元カレであるかの真相は置いといて、彼がママと結ばれず、ママがパパと結婚してあたしが産まれた理由は、それとなくわかってきた。
ママはママになった今でも、娘のあたしでさえ恥ずかしいくらいパパにお熱だ。
年に一度の結婚記念日は勿論、そのひと月前の『プロポーズ記念日』と、もうふた月前の『交際開始記念日』、そしてママの誕生日とパパの誕生日の、合計年に五回。二人は、あたし抜きでお泊りディナーや旅行にでかける。割合にして二ヶ月に一回、重要なイベントがあるわけだ。
しかもそれらは全部、誰がどう見てもママの我侭とパパの寛大さで成り立っている。
「そこまで好きな男性がいたんじゃ、私が報われなかったはずだ。」
あたしも同意見だった。参ったように笑う樋山さんには申し訳ないけれど、ママのこの熱烈ぶりが結婚前からのことだとするのなら、彼に入り込む隙なんて無い。
偉そうなことを並べたけれど、実のところあたしもママに負けず劣らずパパが大好きだ。
パパはママより十五も年上で、あたしが産まれたときは既に四十代半ばを過ぎていた。クラスで還暦を越えたパパを持っているのはあたしくらいだ。でも、あたしはパパが大好きだった。
「どんなところが好きなの?」
運転しながら流し目で、樋山さんは聞く。
えーっと……、あたしはパパのすてきなところを、語り始めた。
ママはパパが大好きだ。
食事のメニューはいつだってパパの好物優先。お風呂はどんなに晩い時間でもパパが最初。もういい歳なのに一つのベッドで寝ている。行ってらっしゃいとお帰りなさいのキスは欠かさない。
そしてパパはもう十何年も、こんな彼女に付き合っている。
あたしはママが尽くすふりをして、実は一番彼を振り回している事実を、わりと幼いうちから見抜いていた。だから尽くされてあげているパパの懐の広さはすごいなあと感心すると同時に、あたしもパパのような人に尽くしたいなあと自然に思うようになった。
「それだけ?」
アイスコーヒーを手にしたまま樋山さんは首を傾げた。
「まさか。」
あたしは大いに首を横に振った。
「じゃあ続きはお店で聞こうか。」
ここまで話すうちに、ランチの予定に組んでいた店に到着していた。車を降りて、彼の後ろを歩いた。背筋のぴんとした背中を追う。
パパは決してママを怒らない。怒鳴らない。殴らない。言い返さないし言い訳もしない。
でもママは時々怒る。時には暴れて物を壊す。
よくあるのが、パパのお仕事でママとのデートが潰れてしまったときだ。
「どうして? 私の約束が先だったじゃない、」
ママの怒鳴り声はあたしの部屋までよく響いた。最初のほうは聞き取れても、徐々に叫んでいるだけにしか聞こえなくなる。
ああ、パパからデート中止の電話がきたんだな。
冷静に推測しているうちに怒鳴り声は止んで、代わりに物が割れる音や、布を引き裂く音なんかが聞こえてきて、ああ始まった、と、あたしはため息をつくばかりだった。
しばらくするとその音も止んで、今度は涙と洟の水っぽい音が聞こえてくる。これは耳をすまさないと聞き取れない音。
部屋を覗くと、そこには大きな赤ん坊みたいなママが泣きじゃくっていた。
部屋中めちゃくちゃ、カーテンはボロボロ、花瓶を割ったのか手から流血していて、破れたクッションからは羽毛が飛び散り、床は羽まみれ。
めちゃくちゃになった部屋の真ん中で、ぐちゃぐちゃなママが泣きじゃくっていた。
「まるで小汚い天使でした。」
「天使って、ルリコちゃんはロマンチストだね。」
ママの話よりもそっちに注目してきたその台詞を、のしでも付けて返してやりたいと思った。
「話、続けますよ?」据わり目で言うあたしに、樋山さんは「お願い致します。」と、少々大げさな礼をしてきた。
ママが怒って暴れた日、あたしは必ずパパが帰宅するまで起きていた。そしてパパが戻るとママよりも先に、彼と接触した。
「パパ。ママを、許してあげてね。」
この一言を言うためにだ。
「怒らないよ。ルリコは優しい子だね。」
そして、この一言を貰うためにだ。
あたしが懇願しなくても、パパが怒ったりしないのはわかっている。でもママだけがパパを独占するのが悔しかった。ついでに、出来の良い娘を演じたかった。
パパから可愛がられている実感を、味わいたかった。
「それが、どうしてお父様の『すてきなところ』に繋がるのかな?」
樋山さんはハラペーニョソースを振りかける手を止めた。ピザの上には、緑色のソースが中途半端に点々としている。
「まず、そんなママに、ちゃんと付き合ってあげているところです。」
あたしは薄いピザをくるくる折り畳んで、フォークに刺した。
「それと、あたしにも、ちゃんと騙されてくれているところです。」
樋山さんも同じように、小さく畳んだピザをぷすりと刺した。
「ちゃんと……騙される、ねえ。」
彼が理解してくれているようで何よりだった。
ママは、ちゃんとあなたを愛していたと思います。
帰り道、車の中で樋山さんに言ってみた。
彼は特別動揺もみせず、ふふっと口角をあげて流し目をする。
「おや。どういった根拠なのかな、」
彼の問いかけに、あたしは予てから頭で整理していた見解をのべた。
「ママは、思い通りになるものを愛でるんです。」
それは夫であったり、娘であったり、恋人であったり、友人であったり、動物であったり、道具であったり、手段であったり。
だから、あたしもあなたも愛されていると思うのです。
あたしは彼の横顔を見据えて言った。
「愛でる、とか、思うのです、とか。ルリコちゃんは不思議な言葉遣いをするね。」
「ええ。
あなたとおんなじですよ、あたし。」
流し目をするとき睫が下を向くところも、
アイスコーヒーにミルクを二つ入れるところも、
歩くときやたら姿勢が良いところも、
タバスコよりハラペーニョソースを好むところも、
変なピザの食べ方も、
ロマンチストのような、かしこまったような、変な言葉を選ぶところも、
ぜんぶぜんぶ、あなたとおんなじ。
そっくりなのですよ、あたし。
「でも、あたしはこれからも、ちゃんとママとパパの娘でいるつもりです。」
それは光栄だ。樋山さんが不敵に笑う。
「私もちゃんと、報われなかった男でいるつもりだよ。」
車が見慣れた街にさしかかる。あたしたちのデートがもうすぐ終わりを告げる。
樋山さん。
ママを、赦してあげてね。
ママはどんな手を使っても、パパを逃がしたくなかったの。
パパを愛するママだったから、あたしたちは愛でられたの。
あたしたちも、ちゃんと騙され続けましょう。
家の前まで送ってくれた彼に深々と礼をした。車のライトが見えなくなるより先に、家へ入る。
玄関を開けると家の中は真っ暗だった。本日は、パパとママが入籍した日。
今夜二人は、帰ってこない。