暴虐の末路
僕が触れた彼女の魂は傷付き酷く歪になっていた。そしてそれが今、形となって像を結ぶ。目の前に現れた者は呪いの体言者たる禍々しい姿をしていた。
深い闇のように落ち窪んだ目には眼球が見当たらず、肌は赤黒く爛れ、顎が外れ裂かれた顔の皮膚一枚で辛うじて繋がっている。不格好に垂れ下がった顎が揺れ、舌が根元から飛び出していた。
彼女がどれだけ凄惨な死を迎えたか、聞かずとも物語るその姿に、僕は恐怖以上に深い悲しみを感じた。このような残虐極まりない何かが彼女と山賊達の間で起きた事実が僕には悲しくて堪らない。
彼女が僕の手を放すと怯える山賊に向き直り、言葉にならない怨嗟の叫びをあげた。
「な、何なんだおめぇはよぉ!!こっちへ来るな!来るんじゃねぇ!!」
ぶんぶんと手斧を振り回すが何の意味も成さず、山賊は怯えきって逃げ出した。すかさずそれを追う彼女、暫くすると遠くから山賊と思われる男達の絶叫が次々と響いてきた。
牢の中の僕はただ為す術なく待つ他ない、彼女の怨念が更なる悲しみを生み出してしまわないことを願うばかりだ。
奥からひたひたと足音が聞こえ、暗がり何かが顔だす。彼女だろうか……と、思ったが現れた人は先ほどとは様子が違い、生者のように見える。
「ごめんね……君も怖かったかな……もう済んだから」
「あ、君はさっきの……?済んだって……」
「うん……怨みは晴らせた……よ」
そう言い悲しそうに微笑む彼女からはもう憎悪の念は感じられず、ただ深い悲しみを湛える一人の幽霊になっていた。先ほど彼女と山賊の間に何があったのかはまだわからない。だが、彼女の無念が晴れたことは嬉しく思えた。
「さ、君は早く逃げて。鍵見つけてきたから……もう大丈夫だよ」
「……君も一緒に行こう。君だってもうこんな所に居ちゃいけない。傷ついた君の魂を何とかしないと……そうだ僕には君のような幽霊やゾンビの友達がいるんだ。きっと仲良くなれる……だから――」
「ありがとう……でもアタシはいいの。色んな悲しい事がありすぎて……こんなアタシでも許されるなら早く神様の下へ……」
「諦めちゃだめだよ!一緒に来て、頼むから!僕が力になるから、君がまたこの世界を好きになれるまで僕達がずっと傍にいるから!」
俯いて涙を流し続ける彼女の手を引いて、僕はこの牢獄代わりの洞窟の中を懸命に走った。握った手を通して彼女の悲しい記憶が僕の魂のなかに流れ込んでくる、走りながら走馬灯のように脳裏に表れる彼女の記憶を垣間見て、僕も涙が止まらない。
彼女は海の街で生まれ、旅の街から来た行商人の青年と恋をした。そして彼女達が結婚のため旅の街に移り住もうと引越の荷物を積んだ馬車を北へと走らせていたときだ。
その馬車が野党に襲われた。泣き叫ぶ彼女を野党達は笑いながら飽きるまで嬲り続け、飽きたら彼女が叫ばなくなるまで何度も何度も切り裂き、最後には火をかけ焼き尽くした。
夫となるはずだった人の叫び声が途絶えると彼女はもう人ではない者に変わっていて
目の前で彼の頭が割られ、血や泡を吹きながら痙攣する様子をただ黙って見ていることしか出来ずに、彼女はただ救いを求めて泣き続けた。
やがてその彼も動かなくなり、後には無残な亡骸二つと嫁入り道具となるはずだった彼女達の幸せを形作るための全てを乱雑に奪っていく野党達だけが残された。
彼女が彼の無念の魂に語りかけようにも声は全く届かず、彼の魂は打ちひしがれたまま暗い闇へと姿を変えながら、最後には霧散してしまう。余りの無念と憎悪から彼の魂さえ変えてしまい、死後の二人の平穏さえ引き裂かれた彼女の怨みは際限なく膨れ上がり、あの様な姿へと変わっていった。
走りながら辺り見回すと、そこかしこに山賊達が倒れている。虚ろな瞳で口からは泡を吹きながら譫言のように何かを繰り返していた。死んではいないようだがこれは……哀れと思うほど彼等に傾ける情はないが、彼等は生きたまま人間足りうる精神を喪失してしまったようだ。どのような恐怖に曝されたら、人間はこうまで壊れるのだろう。
洞窟の出口近くまで来ると、何だか外が異様に騒々しい。
「待って……いつもと違う……君は油断してると死んじゃうからね……ここは慎重に」
僕らは様子を窺うように洞窟からそっと顔出し、辺りを見回すと、遠くに人集りができている。その人集りの方へ走っていく山賊達の姿も見えた、彼らは口々に叫ぶ。
「何だって急に兵隊共が?!」
「兵隊だけじゃねぇ!馬鹿みたいな数の冒険者や傭兵共も一緒だ!!さっさと全員呼び集めてこい!!」
「早く何とかしねぇと全滅だ!!牢屋の見張り共も呼んでくる!!」
そう言って一人がこちらに駆けてきた。彼女が僕に身を潜めているよう指示すると、山賊の前に立ちはだかって叫んだ。
「もう誰も殺させない!アタシが相手だ!」
山賊は無表情のまま当たり前のように斧をふり下ろす。しかし幽霊である彼女には何の意味もなかった。彼女がニヤリと笑い手を伸ばす。
その手が山賊の額をすり抜け頭の奥に触れた途端、山賊は発狂し、のた打ち回りながら洞窟の中にいる人間だった者達と同じ存在へと変わってしまった。あの瞬間、彼は何を見たのか……
「アタシは何もしてないよ、ただ見せただけ……ずっと忘れないように……」
だから何を……僕は追及したい気持ちをぐっと抑えて堪えた。
「全員あっちに行ったみたいね……もう大丈夫よ」
「しかし、一体何が起きてるんだろう……兵隊とか傭兵とか叫んでたけど……」
僕らは身を隠しながら、その渦中へと徐々に近づいていく……そこでは何処かで見たことのある鎧を来た兵士達と革鎧に身を包んだ沢山の冒険者達が山賊達を次々と打ち倒し縛り上げていた。
「リュウ!!」
「リューくん!!」
絶叫に近い呼び声に振り返る、そこには僕が会いたくてたまらなかった二人の姿があった。




