廃墟に住まう者
僕の力は禁書との接触(殴打)、そして神様から魂を分け与えられたことによって随分と強いものになっている。分かり易いところだと、今までは霊を目で見ることが出来たのは夕方か夜に限られ、昼は声が聞こえるのみだったけれど、今では昼間でもはっきり見えるようになった。
特に想念の強い霊ははっきりと見え過ぎてしまい、僕の目には生者と区別がつけられない。ただ彼らは僕以外には認識されないため、周りの様子をみることで判別ができるというわけだ。
殆ど全ての霊は、全くの無害で多くは遠く旅立つ前に名残を惜しんで思い出のあるものを見て回っているというだけの人達だ。彼らと話してみると、大体の人は悲しみつつも死を受け入れ穏やかである。
問題になるのは想念の強すぎる人達だ。強い未練や怨念から旅立ちを拒み現世をさ迷う人々。そういった人々の多くは死に際の姿をそのままに惨たらしさを漂わせているものや、人の姿を捨て憎悪を体現する何かに変わってしまっている者もいる。
僕らが海の街へ向かっている途中、廃村に立ち寄ることになった。補給は期待していないが井戸水は使えるだろうし、空き家なら寝床もあるかもしれないという期待があったのだが、いざ村に立ち入ってみると、とてもじゃないが井戸の水は飲めそうにない、薄茶色に濁っていて鉄の臭いが強い。鉄分が多い水質なのかとも思ったが、井戸の周りを注意深く見て、そうではないと確信した。
野党による略奪と虐殺が行われたらしく、村のあちこちにどす黒い汚れの跡がみられる。この白いかけらは人骨だったものだろうか。野犬にでも荒らされたのだろう。
往来のある街道に程近い村なので、既に亡骸の類は片付けられていると思われるが、どこか不気味な気配が漂い、とてもここで寝泊まりする気にはなれなかった。
「私は平気よ?何人かいるみたいだけど、私の方が強そうだし問題ないわ」
クロエの言う『強い』の意味がよくわからないが……
「僕も平気なの。人間の生き死になんてよくあることだし。汚れなきゃ構わないの。」
「私はちょっとだけ嫌かな……でも馬車も狭いしリューくん毎日外で寝てるから……そろそろお布団で寝ないと身体壊しちゃうよ」
気遣いはすごく嬉しいのだけど僕が先程から感じてる威圧的な想念の気配がどうにも怖くて耐え難い。彼女達は『あちら側』にいるのであまり気にならないのかもしれないが……
よくよく思い返してみると定命の生者は僕ただ一人だった。結局ちょっとした感覚のズレを埋められないまま、ここで一泊することになってしまった。多数決になってしまうと、どうも分が悪い。
使えそうな部屋がないか、あちこちの家をまわっていると……やはり出会してしまう。頭の半分が損なわれている中年の霊に寝泊まりできる場所はないかと尋ねてみたら、地主さんの館なら部屋があるんじゃないかと情報がもらえた。
そうして地主の館を目の前にして確信する。僕の感じていた強い想念の発信源がどうやらこの中にいるみたいだ。入るのが恐ろしい。恐ろしいのだがクロエがスタスタと中に入っていってしまったので追わざるをえない。
中は荒れ果てており、玄関から入ってすぐの広間は黒い血の汚れで酷い有り様だった。この調子では一階は絶望的だと思われる。
「こういう広い屋敷には必ず使ってない部屋があるものよ。二階の客間や物置をみてみましょ。」
そう言ってクロエは一人でズンズン進んでいった。居る者が同輩ということで何の遠慮も恐怖もないらしく、とても頼もしくみえた。
二階は二階で惨劇を物語る酷い有り様だったが、クロエの言う通り使われてない客間があった。誰も逃げ込まなかったらしく家捜しされた程度に散らかっているだけだ。ベッドも二つしかないが何とかなるだろう。
食欲なんか湧くわけもないので、僕らは早々に眠ることした。はやく眠って明日を迎えれば、ここを去ることができる。僕は目を瞑って早く眠ろうと努めた。
僕は気が付くと館の外にいた。日中のような荒れ果てた様子もなく周りを見渡せば村人の姿もある。これは夢であることは明白なのだが、しかし何故こんな夢を……。
遠くから叫び声が聞こえる、村の入口の方からのようだ。そちらに向かおうとするが身体の自由がきかない。僕のこの夢の中での役割は、ただ見ていることだけなのだろうか。
遠くから馬に乗った野党が群れをなして向かってくるのが見える、手には酷く錆びた鉈や斧を持ち、すれ違い様に村人を次々に斬りつけいく
あんなもので斬られては一溜まりもないだろう、切れ味は鈍り刃はヤスリのようにデコボコしているはずだ。傷口というよりは抉り取ったかのような傷になり、縫合もできないだろう。
何より辛くもここから逃げ延びたとしても破傷風などの感染症により命を落とすことになる。この世界では風邪さえ命取りになるほど医療が進んでいないため、破傷風は不治の病だ。
一目見ても分かる通り、野党達はとても残忍で非道だ。この村が全滅に至った経緯がよくわかる。僕が次に瞬きをして目を開いたら、石造りの貯蔵庫のような場所に立っていた。この村にこんな場所はあっただろうか。
奥には女性や子ども達が肩を寄せ合い震えている姿が見えた、野党から隠れるため逃げ込んだのだろう。すると上の方からバタンと叩きつけるような音がし、誰かが歩いてくる。暗がりから姿を現したのは野党の一人だった、泣き叫ぶ女性の頭を鷲掴みに引きずりながら向かってくる。
女性は譫言のように『ごめんなさいごめんなさい』と繰り返していた。この謝罪は野党への慈悲を乞うものなのか、あるいは子ども達へ向けられたものなのか、それは僕にもわからない。
そこからは見るも無残な光景だった。大人子供関係なく嬲られ殺されていく女達、その光景を見せられ憤怒する男達、そんな男達を嘲笑いながら次々と斧で頭を割っていく野党達。あまりの悍ましさに僕は堪えられず気を失うまでひたすら叫び続けた。
重苦しくのし掛かる何かの気配で目を覚ました僕は今度はベッドの上にいるようだ、眠る前の記憶と繋がると安堵の溜め息がでる。よかった、やはり夢か。
ただあの光景は僕の夢想による産物ではないように思う、更に気配を強めた恐ろしい想念が僕にそう結論付けさせた。
あの夢はこの想念の源が見せたに違いない、波打つように僕を煽る威圧感はきっと僕を呼んでいるんだと思う。
僕は隣に寝ていたさっちゃんを起こさないように、そっと部屋を出た。
この気配をより強く感じる方へと歩みを進めていく、階段を下り厨房へ、さらにパントリーの奥へと導かれる。この辺りから強い気配がするが夢の中の景色とは程遠いものがあった。あたりを注意深く見渡すと、床に何か引きずったような痕がある。血の痕だった。
その痕跡を辿った先、床に地下へ繋がる扉を見つけた。扉の向こうから濃密な腐臭がする。血や肉が腐った臭いだ。僕が怖じ気づいていると、扉の奥から這いずるような音が聞こえた。
今更こんなところに誰かが居るはずはないのだが、確かめないわけにもいかない。僕は意を決して扉を開いて地下への階段を降りていく。
予想通り、この地下は兵士達の調査から漏れていたのだろう。僕が夢の中でみた惨劇そのままの状態でそこにある。もう年齢や性別さえ分からない程に腐敗した骸達が散らばっていて、その足も、その手も、その頭も、誰の持ち物だったか判断することは出来そうにない。僕は悍ましさのあまり気が狂いそうだった。
僕を呼びつけた者はどこにいるのかと見回してみると部屋の隅に黒く蠢く何かを見つけた。
その何かは僕に気付いたようで、突然無数の目を見開き、僕の方へとゆっくり這いずってくる。無数に生えた触手……いや、よく見ると人間の手足だ。その黒いものに無造作に突き立てたかのように生えた手足をばたつかせて僕に何かを訴えかけているようだった。
「リュウ!それに近づいちゃダメ!!」
「クロエ?!どうしてここに」
「忘れたの?私は眠らないのよ。あなたが部屋から出たあと戻らなかったから探しにきたの。てっきりその、お花摘みだと思ってたから遅くなっちゃったわ。大丈夫?」
「僕は大丈夫だよ、臭いですこし辛いけどね。それよりこの黒いのが……」
「その黒いやつは、死んだ人間達の成れの果てよ。触ると取り殺されるわ……触っちゃだめよ。」
でも、なんだかそんな様子でもないように見える。まるで抱きしめて欲しそうな、抱っこをせがむ子供のようにも見えてくる。
「女子供の怨念が集まったものなのよ。その黒いの――なんだか呼びにくいわね。えーと……その『イカ墨フルーチェ』はかなり危険よ。絶対に触らないで」
イカ墨フルーチェ……?ぶるぶるした感じはフルーチェっぽいけど……クロエはふざけているのだろうか。それとも何代か転生を繰り返すなかでフルーチェに思うところでもあったのだろうか。
イカ墨フルーチェという呼称に気をとられていると、その黒いものから僕に触れてきた。
「あっ」
「リュウーーーッ!」
意識が真っ黒いものに呑み込まれていく、その奥底から助けを求める沢山の声が聞こえてきた。そうか、この黒いものは僕の神威に縋ってきたのだろう。
僕の想いが届くかどうかわからないけど、この成れの果て達が苦しみから救われるよう強く祈ってみよう。祈ることで魂を繋ぎとめる力が使えたのだから、逆に解き放つこともできるはずだ。
黒く蠢く奥の底から聞こえてくる叫び声ひとつひとつに対して僕は懸命に祈った。怖いのでどうか成仏してくださいと。
僕が目を覚ますとクロエが膝枕をしてくれていた。相変わらずの幽体なので太ももの感触が全く感じられないのが実に惜しい。それはさて置き、どうやら僕の試みは成功したらしい。僕は新しい力、除霊に目覚めた。
「馬鹿なこと言ってるんじゃないの。独りで危ないことはしないで頂戴。リュウはただでさえ軟弱なのに、あんな化け物に立ち向かうなんて無謀よ」
僕には返す言葉もなかった。