栞那
遠い世界、遠い時代
私は栞那と呼ばれていた。
その辺りでは名の知れた名士の家系に産まれて何不自由ない暮らしをしていたように思う。
十四になった頃のこと、これまで雇っていた庭師が歳のため辞めることになり新しい男が雇われた。年の頃は十六~七の静かな男だった。
彼は物言わず黙々と働く人間だった、私はそんな彼の姿を見てつまらない男だと思い興味すら持たなかった。その頃、私には二人の許婚がいたが、彼らのほうが余程私に尽くして楽しませてくれたものだ。
そんなある時だ、彼が話し掛けてきた。私に一輪の花を差し出しながら、小さな声で言った。
「里山のほうでここいらでは珍しい花を見つけまして、じっと見ているとお嬢さんを思い出したもんで、是非差し上げたいと思い……これに」
名も知らぬ小さくて白い花だった、不器用な言い回しで、媚びるでもない、彼の静かな優しさにどこか惹かれるものを感じた私はそれから彼と少しずつ話すようになった。
彼は私の知らないことを沢山知っていた、私はと言うと産まれてこの方屋敷から殆どでたことのない箱入りだ。彼が口数少なく語る外の世界の話は私にはとても刺激的だった。
外には彼がくれたような私の知らない花が沢山ある、そして沢山の人がいて、そこには沢山の想いがある。私はそんな環の外にいることがどうにも我慢ができなくなっていた。いつかここを出て自由に暮らしてみたいものだと、よく夢想していた、そんな想像のなかで傍らにいるのはいつも彼だ。
彼ならば私を知らない世界へ連れて行ってくれる、そこで私を幸せにしてくれるのだと、いつしか強く信じるようになっていった。
彼の下へ通い詰めることが日課になっていたある日のことだ。私は彼に自分の思いを告げた。真面目な彼はとても真剣に考えてくれているようだった。そして彼は決断した、父の下へ行き私との結婚を申し出たのだ。彼が私を求めてくれたことが何よりも嬉しかった。
だが、父は激怒した。元から何処ぞより現れたかも定かでない彼を父は刀で斬り伏せたのだ。彼は血を流しながらも頭を下げ続けた――栞那様と一緒になることを許してください――と。
彼はそのまま死んでいった、時代のせいか名士の刃傷沙汰が事件になるようなこともなく、彼が故郷へ返されることもなくだ。その亡骸は里山に捨てるように埋められた。
彼を殺したのは子供じみた私の恋心だった。ワガママな箱入りの独り善がりが彼を殺したのだとわかっていた。彼はただ誠意を尽くしたに過ぎないのに死んでしまった。
十五になる僅か前のこと、私はこのまま許婚のどちらかを婿に取るという気にもなれず、父と大喧嘩になった。
そして彼の後を追おうと独り家をでた、行く宛もなく辿り着いた先は彼が捨てられた里山だった。
私は里山のなかで動かずに彼に詫び続け、いつしか眠ったまま死んだ。
そこに大恋愛があったわけでもない、語られるほどの悲恋があったわけでもない。ただただ自分の未熟さ故に愛しい彼を死なせた事が口惜しかった。
それがリュウとの出会いだ。クロエとなるまでの間、私は何度となく生まれ変わり、そして必ず十四のうちに死んだ。
彼の生まれ変わりと再会することもあれば、何もなく独りでわけもわからず死んだこともある。
クロエとなった私もわけもわからずに殺された、だが死後に死霊と通じる力を得た彼がやってきて私を見つけてくれたんだ。
私は自分が幽霊だから彼を愛せないと思っていた、彼もまた生きているからこそ死者など愛せまいと思っていた。だけど、私は、もう我慢などしなくて良いのではないかと思う。
幾星霜の時を経て彼を待ち続けた、何度も出会い、何度も引き裂かれた。そんな私が今死んでいる、ただそれだけで諦めるのだろうか。私はまだ生まれ変わっていない、今の私で彼を愛せと前世の記憶を通してカーミラが教えてくれたのだ。
報われようと報われまいと構いはしない。
私は自分の魂にかけて、リュウを諦めない。




