母
僕らが商人の街を後にして一日、またしても途方に暮れていた。旅は順調そのものだ、商人の街での滞在期間が短かった事と、さすが整備が行き届いた街道だけあって移動距離もかなり稼げている。そんな状況で何故途方に暮れているかというと、馬車を停めて休むスペースがどこにもないのだ。野営ができないまま僕らは一晩中走り通して今に至る。
ここは大農園のただ中、街道沿い見渡す限り畑、畑、畑で馬車を止められない。農道のような横道はあるが土地の持ち主に出会しても面倒だ、仕事の邪魔になって叱られるだろう。かといって街道のど真ん中で野営をするのも考え物で、道幅は広いが大型の荷馬車がすれ違える程度の幅でしかない。
ここまで作業小屋や納屋のような小屋は見かけたが、ある程度まとまった集落には辿り着けていない。馬車さえ止められるならもう文句はなかった、ただただ今は休みたい。
こういうときにいつも元気なはずのクロエも、変わり映えしない景色に飽きてしまったのか幌の上で空や鳥を眺めると言ったきり一言も喋らないままだ。さっちゃんは僕の隣でぼんやりしている。僕の視線に気付いたのか振り向いた。自然と目が合うとさっちゃんは微笑んで僕との幅を詰めて寄り掛かるように姿勢を崩す。こういうのは寒かった春先のこと以来だ。
「どうしたの?さっちゃん。疲れたかい?」
悪い気はしないが疲れが出たとなれば話は別だ、休ませてあげるべきだろう。
「ううん、なんとなく。前はよくこうしてたなと思って。ただ甘えたくなっちゃっただけ~、ドキドキした?リューくん」
そう言いながらクスクスと笑っている。体調が悪いわけじゃないようで一安心だ。僕もこの久しぶりの感覚が懐かしく思えてきて、何だか心が安らぐようだった。春の陽気もあってうっかりすると眠ってしまいそうだ。
「まーた二人でイチャイチャしてるのね、除け者なんて寂しいわ。仲間にいれなさいよ」
そんな僕らの様子をずっと幌の上からみていたのか、クロエがいかにも不機嫌そうに言いながら降りてきた。
「ほら、私も来たわよ。皆でキャッキャウフフしましょうよ」
そう言われるとなんだかやりずらいんだけど……
何気なく辺りを見回すと、少し先の畑で僕らと歳の近そうな女の子が何故か満面の笑みで一心不乱に鍬を振るっている。このあたりの女の子は随分働き者なんだなぁと感心しながら馬車を進めるにつれ、その姿が徐々に鮮明になってくる。玉のような汗を流しながら懸命に鍬を振るその姿、やや童顔ながらも豊かな胸が振るう腕に合わせて大きく揺れていて迸る汗と相まってそれはまるで――
「リューくん、なにみてるの……顔がエッチィよ」
「えっ?!いやなにも僕はただ立派な働き者がいたものだなと」
「ふぅ~ん?立派ねぇ……何がでしょうねぇ……」
よく見ると周りの農夫達も彼女に釘付けになっていた。あれじゃ仕事どころじゃない。
彼女の横を通り過ぎるとき、最後に一目と思い視線を向けると強烈な既視感を感じた……あの人どこかで見たことがある……
僕のこの世界にきてからの長くはない記憶を辿る……思い当たる人はいない……それじゃあ前世だろうか、前世のことなら他人の空似だろう……いや前世の知り合いにもあんなに綺麗な人は居なかったはず、好きだったアイドルとかだろうか……うーん……
クロエにも少し似ているような気がするが、クロエは性格が少し顔にでているからな……幼いだけであって童顔というわけじゃない
淡いプラチナブロンド……ショートボブ……童顔……巨乳……今まで会ったことのある美少女の数はたかが知れている、特に前世では他人と顔を合わせる機会なんてほぼ無かったんだ。死んでからに絞って全て思い出せ……ん?死んでから……?
「ま、まさか……か……神様……」
「何?どうしたのリュウ」
「い、いや別に……」
そういえば夢の中では長話ができないから、こっちに来るとか言っていたような……いやまさか、そもそも何で畑仕事を?
まるで意味がわからない、関わり合っても見つかっても良いことがなさそうだ。僕は馬を急かしてその場から逃げ去った。
程なくして小さな村を発見した僕らは厩舎を持っているお宅に頼み込んで馬車を置かせてもらい、酒場の二階の空き部屋を宿変わりに二日ほど借りることにした。身体はもうガタガタだった。
早めに休んで明日は少し補給のため買い物をしよう。数日中に消費できる範疇でなら生野菜も買えそうだ。根菜なら日持ちもするので売ってもらえそうなら買っておこう。
明日の計画を建てながら僕らはまだ陽が落ちる前だというのに眠りについた。
目が覚めると夜だった、八時くらいだろうか。限界を超えて疲れすぎていたせいか眠りが浅かったのだろう。下からは賑やかな笑い声が聞こえてくる、流石酒場だな。
さっちゃんもその声で目を覚ましてしまったようだ。クロエが見当たらないな、いつもの散歩だろうか。
このまま眠ると朝には空腹で目を覚ますことになりそうだったので少し遅めの夕食をとることにし、僕らは下の酒場へ降りていった。
――――リュウとサニアが眠ってから退屈で村の中を眺めていたのだけれど街と違って刺激的なものは何もなかった。
ただこの長閑さは私にとって少しだけ新鮮なものに感じられる、これが田舎というもなのね。鶏や豚は旅の街にもいたけど牛は初めて見た、こんなに大きい生き物だったんだ……
そうこうしている内にすっかり陽が落ちてきた。私には関係ないことだが一応女の子なのだし夜道の一人歩きはやめておこうかなという気紛れから酒場へ戻ることにする。
酒場に近付けば実体化するので飛んでいるわけにはいかない、私は地面に降りて歩き出す。そろそろかなと思ったあたりで実体化した、この感覚にも随分慣れたと思う。
アリアとの別れ際、リュウの手を握り締めたときに彼の力の一部を分け与えられたため今に至る。その力には彼の心が宿っているかのようで、魂だけになった身体を優しく包んでくれた。
そうして私は未練を清算しただけでなく夢を叶える機会を与えられたんだ。それについてはとても感謝している。
あくまで感謝だけのつもりだった、それがどうしたことなのか私は年甲斐もなく十六~七の少年に淡い恋心を抱いてるようで自分のことながら可笑しくなる。まだリュウには気取られていないと思う、出来るだけ態度に出さないようにしているつもりだし幸い彼は鈍感だ。
よく考えると、私は生前から男性の知り合いが殆どいなかったので異性に対する免疫がないのだろう。
普段から一緒にいたのはアリアにニーア、それと乳母と使用人くらいか。お父様やお母様は余程お暇なときでないと会うことも出来なかった。
死んでも叶わなかった自由の身になれて、はじめてできた男の子のお友達、免疫のない私がどこかで執心するのは無理もないことなのかもしれない。ただ私は幽霊だ、好きな気持ちを持つのは自由でも、それに応えてもらおうなんて事は考えていない。どんなに好きでも肉体すらない私は彼を愛せない、そして肉体がある彼だからこそ私を愛せないだろう。心の繋がりも大切だけれど抱き締めて感じられる互いの体温というのも生者にとって掛け替えのないものだ。私は生者が持っている全てを失っている。そんな私が彼と恋心を分かち合うなんておこがましいように思えた。
ちょっと考え事に集中しすぎたのか、私はやたらと弾力のある何かに思い切りぶつかってしまい、派手に転んでしまった。幸い幽霊なので怪我などはしないが……あの感触は少し腹立たしいものを感じる。
「ごめんね、大丈夫?怪我は……ん?君は……」
「あなたはさっき畑にいた……いえ、大丈夫ですわ。考え事をしていて前をよくみていなかった私の不注意です。こちらこそごめんなさい」
「ううん!お互い怪我がなくてよかった、ところで酒場に行く途中?」
「ええ、連れの者が酒場におりますの。よろしかったらお詫びに一杯いかが?」
「気を遣わなくていいのに~と言いたいところだけど私も酒場に用事ができたんだ。せっかくだから一緒に行こ!」
やたらと胸の大きなその女は馴れ馴れしく手を繋いできた。動く度にいちいち揺れてるんだけど……全く鬱陶しい。
ただ、こういうスキンシップは寂しい生活をしていたせいか嫌いじゃない、鬱屈とした思考を掻き消すように私は彼女へ微笑んで酒場へと共に急いだ。
――――食事を終えてしばらくお茶を飲みながらさっちゃんと取り留めない話を続けていた。こういう一時は森の都以来になる、懐かしくも穏やかな時間だ。クロエも交えた賑やかな時間も好きだが、夫婦水入らずというのかな……いやいや……パパさんが結婚しろなんて言うものだから変に意識してしまってるんだろうな僕は。
「たまには二人きりでのんびりするのもいいよね、リューくん」
「あ、ああ。そうだね」
若干上擦ってしまった、テンパっているのがバレなきゃいいんだけど……
「あら、また二人でイチャイチャしてるの?私がいないと思ってハメを外しすぎないでね?」
「お、おかえりクロエ……いや僕は何だか熟年夫婦みたいでいいなと思っていただけで……」
「ふっ!夫婦?!う……うへへ!」
さっちゃんがまたあの顔になってる。
「あれ?クーちゃんその人は?」
「さっきそこでぶつかってしまったの。お詫びに一杯奢って差し上げたいわ。リュウお金」
何で僕が……といっても旅費を管理してるのは僕なので当然か。その人の方を向き直って挨拶をしようとした瞬間、僕は凍りついた。
「やぁ!リュウくん、久しぶり~!」
「ヴッ!!神様?!」
見つかった……やっぱりさっきの人は神様だったのか……よくよく考えたらこの辺りにある集落はここだけだ。仕事が終わればここに帰ってくるのだろう。顔を合わす機会は充分あったのだ。
「神様??何を言ってるの?リュウ」
「リューくん酔ってるの?」
「はっ!?あ~……うん!カーミラさんって言ったんだよカーミラさん。ちょっと噛んだだけで聞き間違いだよ」
「そう?あなたカーミラさんってお名前なのね?私はクロエ、よろしくね。それにしてもリュウのお知り合いだったなんて奇遇ね」
「私はサニアです。リューくんってこっちの方に来たことないって言ってたよね……?ね?」
さっちゃんの目が怖すぎるんだけど……
「リュウくん、その名前は神に対して不遜だよ……あとで神罰ね、二人きりで……」
神様は僕にそう耳打ちする、二人きりで僕はどんな仕打ちを受けるのだろう
「ちょっと!カーミラさん!リューくん!近い近い!!何ひそひそ話してるの?なんかエッチィよ!」
「心配ないよ~サニアちゃん。リュウくんは私の産子、つまり私はリュウくんのお母さんってわけ!だからそんな背徳プレイはしないから安心してね?」
「また誤解を招くようなことを……もう僕面倒くさい……」
「嘘は言ってないよ~」
「たしかにそうだけどお腹痛めたわけじゃなくて、神の力でちょちょ~いと作っただけでしょうに……」
「またひそひそ話……怪しいよ~リューくん!怪しい!」
「久しぶりにママに会えて照れてるだけだよね?リュウくん。ほら祝福祝福、チュッチュッ!」
「うわわ!みんなの前で恥ずかしいってば!!」
さっちゃんが仁王像のような顔になったまま固まってるんだけど……怖っ……
「リュウのお母様にしては若すぎるような……十七~八にしか見えないけど……?」
「え?それくらいに見えちゃう?!参ったなぁえへへ!じゃあそれでよろしくです!」
ほんと何なのこの神様……