姉妹
それからしばらくクロエさんと話した後、僕らは家に帰ることにした。ニア先輩が領主様と話す機会を作ってくれるのを待つだけだ。
その前にクロエさんをニア先輩に引き合わせてもいいかもしれないなと思ったが僕の力のことで余計な不安を煽るだけかもしれないな、どう話を切り出したものか考えが及ばないというのも正直なところだ。
あれからクロエさんから聞けた話は領主様は4つ下の妹で歳も離れていたことから溺愛していたということ、クロエさんの知る限りでは領主様は甘えん坊でいつも彼女の袖を掴んでついてまわり傍から離れることはないくらいの懐きようだったということ
そして今の領主様は自責の念と立場上の責任感から心身共に弱り切っているということ。最後に、クロエさん自身の未練と領主様の後悔とでクロエさんの魂は城内に縛られており自由に行動できないということだ
クロエさんと計画を練りたかったので家に招待したものの、そういった事情から身動きがとれないとのことだった
翌朝、僕らはいつも通りに仕事に向かう、ニア先輩は領主様と話せただろうか
「少年、今夜は時間空いてるかな。領主は今晩個人的に会ってくれるそうだよ。私も同席するので変な期待はしないようにね」
ニア先輩が僕をからかいながらクスクスと笑う。そんなことは露ほども考えていなかったけど、改めてそう言われた上に先輩が同席するとなると、それこそ余計な妄想が加速してしまいそうだった
「公式に会うとなると執政官が立ち会うことになるからね、結局のところ彼女も一連のことで彼等を信用していないのさ」
鈍い僕でもそのあたりは察しがついた。特に魔法なんて胡散臭いものの話なら尚更だろう。
「今夜は中庭で待ち合わせよう、夜になれば執政官もいないし夜勤のメイドを残して大半は眠っているからね。城門では私に会いに来たと言えば堂々と入れるよ。」
「ニア先輩は、ここに住んでるんですか?」
「言ってなかったかな、ここには住み込みでね。正面から向かって右手の奥に庭師や馬番の小屋があるよ。よかったらいつでも遊びにおいで。」
ニア先輩の部屋か、どんなだろうか。今度、さっちゃんと一緒に訪ねてみようかな。新しい楽しみはさておき問題は今夜だ。
夜になる前にクロエさんに会っておきたかったが日中に姿を現すことはなかった。うまく落ち合えるだろうか。
それから僕らはいつも通りに仕事こなし、帰ってから食事を済ませたあと再び領主様の城へ。話の通りニア先輩に会いに来たと伝えると問題なく通された。
そのまま中庭に向かうと既に領主様とニア先輩が待っていて何か話している様子だ。
「待っていたよ少年、それにサニアさん。」
「すみません、お待たせして」
「構いませんよ、ニアちゃんと久し振りにゆっくり話せましたから」
そう言い領主様が微笑む、しかしどこか寂しそうな気がするのは考えすぎだろうか
誰かが僕の袖をちょいちょいと引いている、クロエさんだった。昼間とは違いはっきりと彼女の姿が見える。
彼女がここに現れたのも、僕らにはわからなかっただけで昼間の会話を聞いていたのかもしれないな。
面子は揃ったが、ここで僕がクロエさんに声をかけてしまうと頭のおかしな奴だと思われるだろう。
相変わらず彼女は他の人には見えていないのでクロエさんの意思表示を待つほかない
「少年、せっかくの機会だ。君が聞きたかったことを聞くといい彼女ならきちんと答えてくれるさ」
「遠慮はいりませんよ、私にわかることでしたらお答えします」
「ありがとうございます、それでは」
「市民、私の用件から先にいいかしら……」
申し訳なさそうにクロエさんが申し出る
「それでは先に領主様に会いたいという人がいまして」
「何方かしら、私達の他に何方もいらっしゃらないようですけど」
クロエさんが僕の手をギュッと握る
「私よアリア、久し振りね……といっても私はずっとあなたの傍にいたんだけど」
領主様とニア先輩が完全に固まってしまった
「こ、これはどういうことなんだ……少年」
「僕がご相談したかったこととも関係のあることなんですが、まずはクロエさんの話を先にお願いします」
「アリア、こんなに驚いて……二十八にもなってお化けに怯える歳でもないでしょう?ほら、しっかりなさい」
二十八という数字にビクッと反応する領主様とニア先輩、遅れてクロエさんもビクッと揺れた
「クロエさんって三十二歳だったんですね」
「うるさいわね!黙りなさい!」
この国では成人も結婚も早く殆どの人は遅くとも二十代前半の早いうちに結婚してしまう。
彼女達の年齢で未婚というのは少しばつが悪いらしい、僕の世界ではまだまだ若く未婚の人も沢山いるのでそこまで気にならないことだが
「クロエ姉様……なのですか?本当に……?」
「本当もなにも見ての通りよアリア。なんならあなたが最後におねしょをした日の話をしましょうか?」
領主様が顔を真っ赤に染めながら俯いて首を横に振り続けている。謁見の間での立ち振る舞いからは想像もつかないが、彼女にも当然ながら人に聞かれたくない恥ずかしい思い出のひとつやふたつはあるらしい
「それにニーアちゃんも、こうして顔を合わせるのは久し振りね。あなたのこともいつも見ていたのよ。大きくなったわね色々と、それと弟さんのことは残念だったわね。私もとても悲しかったわ」
「クロエお姉ちゃん……」
「姉様だとして、なぜ今私の前に……?」
「これまで辛そうなあなたを見てきて、何とかしたいとずっと思っていたの。そうしたら神様がこの不思議な男の子を遣わしてくださったのよ」
そういって握った僕達の手を掲げて放した
「き、消えた……」
「この通り、この子のおかげで話せるの。」
「少年……君は一体……」
「僕のことは後で、今大切なのはクロエさんと領主様のことですよ」
「アリア、あなたは今まで私のことでずっと自分を責めていたようだけどアリアが気に病むことはないのはもう大人だからわかりますね?」
「理屈ではわかっています、でも私がいなければクロエ姉様が殺されてしまうことは……」
「そんな仮定は無意味よアリア、私の可愛いアリア。あなたは私の宝物なの、お父様もお母様もお忙しくて殆ど一緒に居てくださらなかったのは覚えている?」
「ええ、覚えています」
「あなたが産まれたときからずっと乳母と私とであなたの世話をしてきたの。あなたの名前も私がお母様におねがいしてつけて頂いたのよ。ずっと大好きだった私の可愛いアリア。どうか自分を責めないで」
「姉様……」
「それにあなたは私の仇はとってくれたじゃない、あれはスッとしたわ。派閥争いに加担した者は誰であれ国外追放だもの。私の死に関しては充分に報いてくれたわ」
そう言いクロエさんがニヤリと笑った。不穏な政敵がいなくなったからここまで平和になったということか。
「それにアリアは立派に務めを果たしていますよ。私が領主になっていたらこうはいかないと思うもの。私はワガママですからね、きっと大変な暴君になっていたわ。フフ……」
「私など至らないことばかりで……」
「そうだとしても私よりずっとましよ。私ならこんな退屈な生活に堪えられそうにないもの、きっと投げ出してどこかへ旅にでていたわ」
クロエさんはきっと悲しい思い出と心残りを精算して自由になりたいのだろう、自分だけでなく妹のアリアさんと一緒に
「アリア、これから私のことを思い出すときは悲しい思い出じゃなくて楽しい思い出を振り返って頂戴。あなたも私も充分すぎるくらい悲しんだわ。これからはお互いに楽しいものに目を向けていきましょう?」
「はい……姉様……良かった。私ずっと姉様を苦しませているものとばかり……」
「あなたがこうして立派な大人になってくれたことは私の誇りよ。アリアこちらに……今ならあなたに触れられるの。さあ顔をよくみせて」
「姉様……姉様……うぅっ!」
領主様は子供のようにクロエさんの腕のなかで泣いていた。クロエさんは愛おしそうにその髪を撫で続けた。
「さぁ、もう大人なんだから泣くのはおよし。あなたの苦痛が晴れたならもう思い残すことはないわ。これでお別れね、最期にきちんとお別れを言えてよかったわ。」
「姉様!いかないで!姉様ぁ!」
「そういうわけにはいかないのよ、聞き分けて……私と違ってあなたはもう大人になったのだから」
「大人になんてなりたくなかった!領主になるのも嫌!!クロエ姉様がいなくなってしまうのも嫌!!私なにもいりません、どうか姉様は傍にいて!どこへも行かないで!」
「いつも傍にいるわよアリア、ずっとあなたの傍に。きちんと幸せになりなさい……さようなら」
「姉様ぁぁ!姉様……」
クロエさんは何かの合図のように僕の手を強く握り締めた、塀の向こうから朝日が射し込んでくる、もう夜明けだった。強く繋いだままだったはずの手の中には既になんの感触も無くなっていて、泣き崩れる領主様の声だけがずっと響いていた
あれから2日が過ぎた
「私もあなた達と旅にでるわ、いつ発つの?次はどこへ行くの?ねぇ」
あれから毎日我が家を訪ねてくるのはクロエさんだ。
「成仏したんじゃなかったの……」
「……?私の夢は身分も立場も捨てて旅をすることだったの。それが死んでも叶わないことが私の未練、そしてやっと叶えることが出来るっていうのに何で成仏しなきゃいけないの?」