森の都
僕とさっちゃんは今とてつもなく大きい城門の前に立ち尽くしている。先ほど宿屋で聞いた話では『この街での仕事は領主様の許可のもと執政官の方々から賜る』ということだった。要するにここで面接をして僕らに見合った仕事が振られるのだ。
今は見張りの人に要件を伝えて謁見してもらえるかどうか判断を待っているわけだ
「待たせてすまんね、謁見の許可でたから入りなさい。通路に従って真っ直ぐだ。余計なところに行くんじゃないぞ?迷うからな」
「ありがとうございます、さあ行こう。さっちゃん」
さっちゃんはガチガチだ。領主という立場はこの世界では随分と偉いものらしい。僕の世界では遥か昔に廃れていて実感がもてないでいる。
城内は真っ白な石造りで、シンプルながら綺麗なところだった。入ってすぐささやかな庭園があって花の香りが漂う。余計な飾り気のない佇まいに領主様の趣味が窺えるな。
壁にかけられた絵画などをみながら進むうちに謁見の間に辿り着いた、僕の背丈の三倍くらい大きな扉だ、いや門かな?とにかく立派な造りだ。
門番の兵士さんに名前と用件を告げると開門の合図と共に扉が開いた。奥へ進むように言われ、それに従う
そこには数人の僧侶のような出で立ちの人が立っていた。執政官だろうか、一人が手をかざし止まれと合図する。さっちゃんが跪いて顔を伏せた。多分そういうマナーなんだろう僕もそれに倣う。
「おもてをお上げください、どうぞ楽に」
領主様は二十代そこそこに見える優しそうな女性だった
「女神様みたい……」
さっちゃんが小さな声でそうこぼす、領主様にも聞こえてしまったのか優しい笑顔で返してくれた。
「昨日からこちらに逗留されている旅の街のサニアさんとリュウさん、ですね。期間は1ヶ月と伺っています。相違ありませんか?」
「はい」
「それで住居とお仕事をお探しですね。リュウさんは鍛冶仕事がご希望で、サニアさんは接客業がご希望ということで宜しいですか?」
「はい」
「承りました、まずサニアさんですが申し訳ごさいませんが現在接客に関わるお仕事の募集はありません。今ご紹介できるお仕事は城内での給仕のお仕事か、酒場での厨房係のお仕事になります。どちらかで検討頂けますか。」
さっちゃんは少しがっかりした様子だったが給仕の仕事を希望した。メイド服姿もきっと似合うだろう。
「続いてリュウさんですが鍛冶仕事と城内の庭師のお仕事の2つをご紹介できます。どうされますか?」
鍛冶屋は街の入り口近くの商店街にあったはずだ、距離を考えると庭師しかないようだ。ただこの城もそこそこに広い、あまり離れないように気をつけなくては……
「庭師でお願いします」
さっちゃんの顔が嬉しそうに輝いた。この顔はダッシュゾンビのことを忘れてるな……ただ同じ職場だからよろこんでるだけだ……
「それでは明日よりお願いします。時間や作業服の類については執政官より話がありますので控えの間にてお待ちください。それではお下がりください」
領主様は僕らの顔をみてニッコリと微笑んだ。僕の知ってる神様より神様らしい慈愛に満ちた笑顔だった。
「リューくんと一緒に働けるんだ……嬉しいな!ありがとうリューくん!」
「そ、そうだね。楽しみだね」
今水を差すと不機嫌になるかもしれないから黙っておこうか、控えの間で待っていると執政官の人からメイド服と庭師の作業服、そして手持ちの道具をいくつか借りた。その他の道具は個人管理ではなく共用とのことだ、まあ多分大きいんだろう。
仕事の簡単な説明のあと、細かい話は当日上長に聞くようにと言われた。更に住居についても城下のすぐ近くにある集合住宅の一室が借りられることになった。
ちなみに僕たちは出稼ぎ労働にきた夫婦だと勘違いされているようで、部屋の都合もあるから訂正はしないでおいた方がよさそうだ。
今日はこれだけで帰ることになった、管理人にいえば部屋の鍵を貰えるらしいので先に寄っていくことにする。
「奥方……奥方……ぐへ……ぐへへ……」
執政官に奥方と呼ばれてからずっとこの調子で、その横顔は子供の頃みていた日本一有名な春日部の五歳児を彷彿とさせる……色々と台無しだよ……
さっちゃんは結婚願望や憧れが随分強いんだなと改めて思った。こちらの世界では男女ともに十五で成人扱いで遅くとも二十代前半のうちに殆どの人が結婚してしまうそうだ。
人口自体もそう多くはないせいか、結婚して子供を残すのがごくごく当たり前の風潮らしい。
これも僕のいた世界の僕の時代とは大きく違っていた、そういう種の保存に対する潜在的な責任感や義務感はだいぶ薄れていたように思う。
成人結婚出産のサイクルがはやいことを踏まえると、この世界の平均寿命は僕の常識よりはずっと短いのだろう。
そんなことを考えていると、ふとパパさんやママさんの顔が過った。あまり悲しい想像をするのはやめておこう。
この流れで領主様のことを思い出す、聖母のような感じはあったが子供がいそうな雰囲気もないし結婚指輪もしていなかったな。独身なのだろうか。
そもそもこの世界に指輪を贈る文化があるかどうかが定かではないか、魔法の件もあるし早合点は禁物だ。
パパさんやママさんの手元はどうだったかな、気にしていなかったせいか思い出せない。
取り留めないことを考えているうちに管理人さんの家についた。説明の通り城からはそう遠くない。僕らのアパートはこの向かいの建物らしい、あまり立派とは言えない木造住宅だった。
管理人のおじいさんは口数少なく部屋に案内してくれ、その場で鍵を渡された。家賃は月末に回収しにくるとのことだった。
宿から荷物を移す作業は残っているが夕方までまだまだ時間があるのでさっちゃんと一休みすることにした。社宅のようなもので寝具や調理器具の類は備え付けで用意されている。洗濯などは裏手の水場で行えばいいようだ。
「ぐへ……はっ!……リューくん、お引越しなきゃ」
やっと正気に戻ったのね……
「とりあえず一休みしようか、少しゴロゴロしたい気分だよ。お城のなかに居て肩が凝ったような……」
クスクスと笑うさっちゃん、僕はベッドに身体を投げ出すと仰向けになって天井を眺めた。さっちゃんは窓をあけて換気をしている。
風がよく通る、春も真っ盛りといったところで昼にもなると少し暑い。風がすぅっと抜けていく心地よさと緑の匂いに包まれて眠ってしまいそうだ。
「リューくん、寝ちゃだめだよ。お引越ししなきゃ!」
ドーンと声にだしながら僕の上に倒れこんできた、自然と目が合い見つめ合うことになる。
「そうだね、先にすませないと」
努めて冷静に言ったがさっちゃんの感触のせいで内心はえらく騒がしかった
「そ、そうだね」
こういうときの微妙な空気は苦手ではあるが嫌いではなかった、そのまま抱き締めるような大胆さは僕にはない。そうできた方が器用なのだろうけど無理なものは無理だ。
なので僕は出来る範囲のことで互いの関係を楽しいものにしたいと思う、どんなにゆっくりでも。
落ち着かなくなってきたので引越をはじめることにした。馬宿はそのままにし宿をでる。手荷物はそう多いものでもないのですぐに済んだ。
掃除でもしようかと思ったが換気のため窓を開け放っていたせいか空き部屋特有の埃っぽさは既になく身の回りの拭き掃除程度で片付いてしまった、夕食まで結構間があるが、どうしたものだろうか
旅をしていると暇だとおもっていても移動していたり、野営の段取りを考えていたりで、こうも手持ち無沙汰になることがない。この感覚も久し振りだ。
今日のところは食材や調味料の買い置きもないため外食で済ませようかと思っていたが、さっちゃんがそれを許さない。何やら張り切っているようだ。
さっちゃんの料理の腕はママさんに鍛えられていて既に上等なものであることは旅の街での生活で知っている。
「初日だからって甘えちゃだめだよリューくん、せっかく新しい生活が始まるんだからスタートからちゃんとしないと!」
勇んで買い物にでかけていくさっちゃん、見送る僕……いやいや商店街はかなり先だ。1人で行かせることは出来ない、僕は慌てて飛び出した。
追いつくころにはすっかり息があがってしまい、そんな僕をみてさっちゃんは笑っていた。いやいや……うっかりすると笑い事じゃ済まないんだよ。
商店街を二人で歩いていると鍛冶屋をみつけた。やっぱりここでは城から離れすぎているか……少し残念だ。
この店内を見る限りでは斧と鉈、鋸の取り扱いが多いようだ、交易が盛んとは聞いていたが街の名前の通り林業と木材の取引が主なものなんだろう。
青果店も多いようだ、店舗のほかに露天商も沢山いるな、どこかに果樹園でもあるのだろうか。
休みの日には街のなかをゆっくり探索しても楽しいかもしれない。広い街だから歩き尽くすまでに沢山楽しめるだろう。
商店街を一巡し、買い物を済ませた僕らは家に帰って夕食の支度にかかった。料理に関して僕は全くの役立たずだが少しばかりでも良いところを見せたくて簡単な作業を手伝った、一緒に食事の支度を整えていくのも楽しいものだ。
その日はシチューだった、ミーシャおばさんのことをふと思い出す。あのときの食事は生き返るような美味しさだった。今はこうして二人でさっちゃんの手料理を楽しんでいる。これもまたとても幸せな時間だった。
食事を終え片付けを済ませた僕は外にでてぼんやりしていた。この世界には庶民が使えるお風呂はない。水を汲んで子供用のビニールプールほどの大きさのタライに溜め、少しの湯を足し温くしたうえで水浴びをするのが一般的だ。
何が言いたいかというと、今さっちゃんが水浴びをしている。見ていたいと思ったところで見ているわけにもいかないため外で時間を潰すほかないのだ。
ちなみに待つ都合もあって僕は先に済ませている、すっぴんのさっちゃんを部屋からだせば騒ぎになるからだ。
水浴びをして化粧を落とすといつものさっちゃんだ。旅の街で仕事をはじめてからというもの化粧をしたままの時間がどんどん長くなっていった。
僕は寝間着姿で化粧もしていないさっちゃんの姿が好きだった、人からすれば血の通わない肌というのは不気味なのだろうけど、旅の街で二人のんびりと寝る前のお喋りをして過ごした日々の積み重ねで、そんなさっちゃんの姿は僕にとって見慣れた落ち着く姿だった。そんな事を考えていると、いつの間にか窓をあけてさっちゃんが手を振っている、どうやら終わったようだ。
寝床がひとつしかないため一緒に眠ることになる、旅のなかで隣り合って寝ることは何度もあったので今更遠慮はないが、それでもやっぱり緊張するものだ。
体温のないさっちゃんに触れるとそこから徐々に熱を帯びていく、温かみがうつると心地良いのかすっかり眠ってしまった、その様子を僕が見つめていると不意にさっちゃんの顔が綻んだ。