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説明

 愛子は今日何度目とも分からぬ逃走のなか、別れてきた友人を心配していた。

 大丈夫だろうか。ちゃんと逃げているだろうか。疲れて倒れていないだろうか。愛子と異なり、舞夜は外見どおり運動が苦手だ。あの綺麗で非常に長いロングヘアーと、細い体を見れば、誰であってもなんとなく予想はつくだろう。

 体力はないし、足は遅いし、加えて今は疲れているだろうし――と、思ったところで。

 何かが引っかかった。自然と愛子の走る速度が緩まる。


「桜井!」


 力強い声に肩が跳ねた。そして前方から駆け寄ってくる人影が、愛子は一瞬信じられなかった。途中で別れてしまったはずの、藤井秋太がそこにいた。幻かと思ったが、力強く走る姿は、どう見ても本物だった。


「しゅ、秋太くん……な、なんで」

「探しに来た」


 端的な回答だった。前ならそこで適当に頷いていたかもしれないが、状況が状況である。愛子は秋太に経緯を説明するよう頼んだ。彼はすんなり頷いた。

 あの祠のあった場所で愛子と別れてしまったあと、秋太は紫苑と鈴のペアに遭遇した。紫苑は二人にこのまま逃げるよう言い残し、森の奥へと走って行ってしまった。そして秋太もまた、鈴を出口まで案内すると、皆を探すために改めて森へと戻ってきたのだという。


「他の奴らは?」

「分からん、でもマイマイが、マイマイが……」

「落ち着いて」


 愛子もまた今までの経緯を説明した。何もかもを吐き出すように怒涛の勢いで話した。雪成を疑ったことも含めて、自分の感情まで赤裸々に語った(ただし秋太への恋心は除く)。

 秋太は黙々と聞いていた。……彼のこういう、他人の話に耳を傾けられるところとか、真剣な相手を決して馬鹿にしないところとか。そういうところが好きなのだと、愛子は改めてそんなことを感じた。何故か久しぶりな気がした。

 だから余計に、嫌われるのが怖かった。目を逸らすように俯いたまま、服の裾を握りしめた。


「ウチ、上村くんまで疑って。……ほんとうに、どうしようもない」

「そんなこと言ったらさ、俺もお前のこと疑ったよ」

「っ……じゃあなんで、此処に……」

「疑った、けど。……疑うのと、見殺しにするのは別やろ。それだけで、危ない場所におる奴らを放っておくのは、違う」


 この人もまた、立派な人だ。良いことをする人だ。

 自嘲気味にそんなことを思う愛子に、


「桜井は?」

「え?」


 顔を上げると、まっすぐな視線が自分に注がれていたことに気付いた。


「――疑って、それで終わったってわけじゃないんやろ? それなら俺と同じやと思うし……俺はそれで、別にいいと思うけど」


 素っ気なく目を逸らした秋太に、愛子は声が出なかった。

 気遣って、くれている。愛子を励ますための言葉で、そして本心からの言葉だった。彼はこういうときに、嘘を吐かない人だ。

 目に涙が滲みそうになったが、愛子は慌てて誤魔化すように拭った。こんな時にこの人に、要らない心配までさせたくなかった。声の震えないように、か細い呼吸で息を整えた。


「どうかしたか?」

「……別に、ただ少しだけ、心配で。マイマイ、足が遅いから……」

「危ないかもな。普通、弱い方が狙われるやろうし」


 うん、と同意のために頷きかけたところで。


「――あ、」


 と。先程引っかかった違和感が、すとんと落ちるように収まった。


「桜井?」

「わざとかアイツ!!!」


 ぎょっと目を丸くする秋太の横、愛子は戦慄く手で両頬を抑えた。


「ああもーーーっ! また良い子なことしてぇ!! もうっ!」

「どうした?」

「マイマイがっ! アイツ、『シオンくん』なんて名前まで言って!」


 は? と首を傾げる秋太に、愛子は怒りを露わに、というより半ばぶつけるような勢いで説明をする。

――舞夜は、自分を囮にしたのだ。理路整然とした理屈まで用意して二手に別れて。わざわざ、愛子が誰を頼ればいいか分かるよう、ご丁寧に「シオンくん」なんて名前まで示してきて。……自分が助けられる側になると、予想していたに違いない。


「勝手に囮になって勝手に助けて勝手にそういうの全部決めて!! あかんやろ、そんなの!!」


 舞夜の自己議定的で身勝手な行動に対してはもちろん、愛子は自分の不甲斐なさにも腹を立てていた。

 何故あのとき自分は、そこまで考えつかなかったのか。疲れていたし怖かったし泣いたし精神的にも疲れていたけれど! 舞夜はいつも通りの様子だったけれど! この程度のこと、思いついてもよかったのに!


「ウチもそこまで気付けばよかったのに!! なんでウチってこんなに気が利かない人間なんですかね!?」

「……よく分からんけど、俺よりはマシやと思うぞ」


 秋太の冷静な呟きに、確かに、と愛子は内心同意したが何も言わなかった。ここで頷くほどバカじゃないし、なにより今は舞夜への怒りの方がずっと勝っていた。

 確かに彼女を肝試しに呼び出したのは自分だし、悪いこともしたかもしれないが、それとこれとは別だ。

 死んだら詫びも何もあったものじゃない。




 舞夜は、走るのを止めて歩いていた。早足で黙々と歩いていた。

 何かがついてくる。ずるずると引きずるような音がする。大きな何かが地面を這う音にも聞こえた。振り返ってもなにもいない。

 恐怖からきた幻聴かとも思ったが、耳を塞げば音は小さくなるし、なにより歩いても走っても、距離を一定に保つようについてくる。音が寄ってくることもなければ、離れていくこともない。ただ走ると大袈裟に、こちらを煽るように追ってくるから、歩く方がまだマシに思えた。

 愛子は勘違いしていたが、舞夜には別に私が囮になる、なんていうほどの意識はなかった。追われるのなら、足の遅い自分だろうなーとはなんとなく思ったが、それだけだ。

 結局のところ化物の考えなんて分からないし、愛子が狙われる可能性だって十分にある。

 そしてその結果がこれだった、というだけだ。


(暗い……)


 舞夜の額を汗が流れる。

 延々と歩いている気がした。先の見えない道が続いている。空は変わらず明るいのに、疲弊と圧迫感のせいか影に挟まれているような気分になる。

 ふと現れる曲がり角に期待しても、視界にはまた果てしなく伸びる道が続くだけだ。無心に足を進ませ続けるにも限外がある。

 愛子と別れてから、どれほど歩いたかも分からない。ここが何処かも分からないのだ、せめて時間が分かれば、と咄嗟に空を仰ぎ、当然変化が無いことに我に返る。疲れている。足の動きも鈍い……。

 舞夜が現状を打破するためにできることなんて、精々懸命に思考を巡らせるくらいだが。こうも考える土台すらない状況では、それも――。


「わっ」


 何かを踏んづけて足が滑り、そのまま転んだ。痛みに耐え目を凝らせば、石があった。点々と並び、道を作っている――目印として、舞夜が無造作にぽいぽい置いていった、あの石ころである。


「うそぉ……」


 引きつった笑いが溢れた。あれだけ足が棒になるまで歩いて、歩いて、結局元の場所に戻ってきてしまった。

 立ち上がろう手に力を込めると、頬を伝った汗がぽたりと地面に落ちた。その光景に、刹那として以前の記憶が重なる。雪成に手を引かれ倒れ込み、手のすぐ傍に滴り落ちた血と、現れた化物――。

 背後から絶え間なく続いていた這い寄る音が、聞こえない。

 いつからだろう。思い出せない。諦めたのか。逃げ切れたのか。それとも、追いつかれたのだとしたら。――振り返る、勇気もない。

 は、と震える息を吐き、舞夜はぎゅっと目を閉じた。




「なに勝手に死ぬ気でいるんだよ……!」


 目を見開いた舞夜がはっと顔を上げると、息を切らせてこちらを見下ろす紫苑が立っていた。バットを手にしたまま、不服げに目を眇めている。足音もしなかったので幻とも思ったが、幻がこんな表情をしたり、肩で息をしたりするだろうか。

 茫然とする舞夜に、紫苑は呆れたように溜息を吐いた。


「無事?」

「うん……」


 こくこく頷くと、紫苑の未だ疲弊に上下する肩から、力が抜けたのが分かった。しかしふいと舞夜から目を逸らした、その表情は険しいままだ。


「僕は、」

「う、うん」

「イヤなんだよ、こういうの……。……暑いし、汗だってかくし、こういうのは嫌いなんだ」

「あ、ご、ごめん……」


 紫苑が何を言いたいのかはよく分からなかったが、とにかく舞夜は謝った。喉に石が詰まったみたいにまともな声が出せなかったので、本当にその一言だけだったが。

 それでも紫苑は満足したらしい。小さく安堵の笑みを零した。


「まあ、無事でよかったよ」


 舞夜もそこでやっと恐怖と緊張がなくなりかけて、――はっと勢いよく振り返った。

 何もいない。

 ただの空間を拍子抜けしたように見つめる舞夜に、紫苑が横から声をかける。


「心配しなくても、しばらくは大丈夫のはずさ。……多分ね」


 最後に小声で付け足されたのは不安だが、紫苑がそう言うのなら大丈夫なのだろう。ここまできてやっと舞夜の体から、崩れ落ちるように力が抜けた。


「よ、よかった……。よかったー!」

「しっかしヒッドイ格好だね! あ、なんか付いてる。動かないで」

「ありがとう。その、色々あって……」


 髪についた葉を紫苑に取ってもらってから、舞夜は改めて自分の姿を確認した。グレーのシャツは砂埃でくすみ、何度も結い直してやっと完成したはずの三つ編みは、ゆるふわどころかボサボサだった。舞夜はガッカリして髪ゴムを解き、ヘアアクセサリーも外した。手櫛でのそのそと髪を整える。

 ふと紫苑が舞夜の横にしゃがみ込んだかと思えば、暇そうに手を伸ばして髪を引っ張ってきた。普段なら止めているかもしれないが、自由にさせておいた。今はもうそこまでの気力もない。


「なーなーシオンくん、どうやってここまで来たん? この道、おかしくなってなかった?」

「君を襲った化物にちょっと協力してもらってね。進み方を教えてもらったんだ。ほら、蛇の道は蛇って言うじゃん」

「どういうこと……」


 事情がさっぱり分からない。そもそも紫苑が退治に来た化物は、あの恐ろしい女性じゃなかったのか。

 困惑する舞夜に、紫苑は彼女の髪を弄びながら説明を始めた。

 まず舞夜が結局一度もたどり着けなかった、この肝試しの目的地である『祠』についてだった。


「君達の目的地でもある『祠』は、真新しい木製のやつでね。それが出来る以前には、古い木の祠と、石の祠の二つがあったんだ。石の方だけは今も残骸が残ってるよ。興味あったら、僕が連れてってあげるけど」

「大丈夫です……」

「そう? で、その木の祠には化物が、石の祠にはその化物の犠牲者二人が祀られていたんだ。まあどっちもずっと大人しくしてたみたいだね。此処には変な噂一つ立ってなかったんだから。だけど……」


 紫苑の手が止まった瞬間、舞夜は自分の髪を引き抜いて、彼の手から救出した。


「……この土地の所有者がね、二つの祠を一つにまとめてしまったんだ。つまり、加害者と被害者をね。古いものを新しくするついでで、悪気はなかったんだろうけど。まあ、当然反発するよな!」

「うん、自分を殺した相手とは一緒におれやんよね……」

「そういうこと。その犠牲者の一人が、君を襲った女の化物だね。気持ち悪かったと思うけど、君のことを直接殺す気はなかったみたいだからさ。許して――やる必要はないか」


 気にかける必要もないね、と紫苑は笑う。


「で。以上、その事態の解決を頼まれたのが僕。説明終わり」


 ちょうど髪の手入れを終え、舞夜はしばらく紫苑の説明について黙考した。


「えっと。さっきまで私が追いかけられたのは……」

「化物だね。加害者の――つまり、本物の化物」

「それ、さっきまで後ろにおったんやけど」


 大丈夫? との問いかけに返されるのは、大丈夫、との安心はできない明るい声。


「しばらくは囮が頑張ってくれるはずだよ」

「えっ。……え? 囮って……」


 途中、這いずる音が聞こえなくなったのは、その囮の誰かが舞夜も気付かぬうちに、追われる役を代わってくれたからなのだろう。

 誰、と言外に問うが、紫苑の不自然に明るい笑顔からは返答がない。察しろ、ということだ。


「……」

「……」

「……」

「……うっ上村くーん!!!」

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