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素直

 揺れる草木に逃げようと思った瞬間。「いてっ」という間抜けな声に、愛子は目を丸くした。


「いったいなー……、あれ、愛子ちゃん?」


 もそもそ茂みを掻き分けながら現れたのは、つい先程まで反省に思い浮かべていた相手だった。


「マイマイ……?」

「愛子ちゃん! 愛子ちゃんや! よかったー死ぬかと思ったー!」


 安堵に笑う舞夜だが、愛子に負けず劣らずひどい有様だった。折角の美しい黒髪はほつれてしまっているし、肩には葉っぱが乗っている。羽織っていたカーディガンはどこへやったのか、剥き出しの腕には細かい傷がたくさんついていた。愛子は咄嗟に、雪成にでも襲われたのかと思った程だ。

 聞けば、襲われたのは襲われたが、相手は人間ではなく化物だったという。口の裂けたように笑う女の姿で、舞夜は咄嗟に引っ張られたカーディガンを脱いで逃げたため、助かったらしい。

 問題はその後だ。咄嗟に森の茂みのなかに飛び込んでしまい、そのまま我武者羅に逃げ続けた結果――迷子になって、半泣きで森の中を彷徨い歩いていたのだと言う。


「遭難て怖いねえ。死ぬかと思った……。お化けも怖かったけど、遭難もすごい怖かった。もう二度としたくない」


 しみじみと、噛みしめるような声だった。


「よく逃げきったね。マイマイ、足遅いのに」

「おそっ……まあそうやけど……、……思い出すと、あんまり追われた感じもなかった気が……」


 舞夜は記憶を振り返るように視線を逸らす。そして、化物の手が上着にかかり、頭上から引きつるような笑い声が降ってきたときはもう駄目かと思ったが、逃げた後は案外あっさりしていた――と、奇妙なことを言う。冷静ではなかったためあまり記憶はないが、しつこく追われた記憶はないらしい。

 それがどういうことなのか、舞夜と愛子は二人揃って首を傾げたが、結局ハッキリした理由は分からなかった。


「とりあえず愛子ちゃんが無事でよかった。一番手やったし心配して……あれ、そういえば藤井くんは?」

「秋太くんは、逃げてるうちにはぐれたみたいで」

「そっか。愛子ちゃん、足も痛そうやし大変やったね。折角一緒に行動できたのに、離れて不安やったやろ? 大丈夫?」


 労るような顔と声は身に染みるように優しくて、しかしその温かい気持ちもすぐに、水でも浴びせられたかのように冷めていった。


「別に……そういうのは、もういいかなって」

「え!?」

「……なに」

「なにって、その、珍しいね。いつもはもっと、そのー、悪い意味じゃないけどしぶといと言うか、頑固と言うか……。全力で手に入れる、みたいなところがあるから……」

「それ、悪い意味以外になんかあるの?」


 愛子が腕を組んで睨めば、舞夜は口を閉じた。恐れたというより、何事か思案しているようだった。愛子は小さく溜息を吐いた。


「そういえば、一緒にいた上村くんは?」

「あ、え、えっと……大丈夫、やと思う」


 舞夜は口を開く直前、一瞬だけ戸惑うように目を伏せた。しかしすぐ、訝しむ愛子に気付いたのだろう、「……そっちと同じで、襲われたときに別れて」と取り繕うように付け足した。ひどく言いにくそうな、苦い表情だった。それでも、雪成に襲われた、というような様子ではない。


「そっか、よかった……」

「よ、よかった?」

「うん、聞いて! ウチと秋太くん、実は無事に祠に着いてさ。そしたら祠のドアが開けっ放しで。中も空っぽで、なのになんかすっごい不気味な感じで……」

「確かに開いてて空っぽって、それはおかしいね」

「…………あれ、絶対、誰かが何かやらかしたんやって。……例えば、上村くんとか」


 言葉もなく舞夜はぽかんとしていたが、愛子は構わず捲し立てた。


「だって他にも案はあったのに、こんな場所を最終的に選んだのはあいつやもん! こんな心霊スポットでもなんでもないような場所選ぶなんて、おかしいなって思って……ああでも提案したのは鈴ちゃんやし、もしかしたら二人で何か企んだのかも……!」

「いや、それは……」

「マイマイだって、あいつと何かあったんやろ? 化物に襲われて独りで逃げたってことは、置いてかれたとか? まあなんでもいいけど、やっぱり怪しいって!」


 ねえ、と同意を求め舞夜を見れば、彼女は心底気まずげに視線を泳がせた。


「う、」

「う?」

「う、……上村くんは、違うと思う……」


「……は?」


 つつけば壊れてもおかしくない、絞り出したような声だったが、それでも舞夜は愛子の凄みにもその発言を撤回しようとしなかった。ただひどく複雑げな表情を浮かべ俯くばかりである。


「その顔やめてー……。私もこれ言うのすっごい複雑というか、勇気が必要というか……」


 うう、と舞夜は呻くように顔を覆った。その妙に煮え切らない態度に、愛子は顔を歪めた。

……自分でも、何にこんなに苛立っているのか分からなかった。


「……意味分からん。なんで? なんでそんなこと言うの?」

「でも最初はすごいいい人やったんやってばー! 真面目でちゃんと将来のこととか考えてさー! なんか面白かったし! ……確かにあんなことあったけど、もう友達になるのは難しいかもしれんけど……その人についてなんでも知ってるわけじゃないけど! でも、でも、自分の中にある印象って裏切れへんやろー!?」


 わーっと子どもが叫ぶみたいだった。滅茶苦茶を言ってると思った。

 しかし反論の言葉は、愛子の喉から出てこなかった。代わりに溢れたのは。


「ず、ずるい」


 舞夜に負けず劣らずの、拙い一言だけだった。

 彼女の顔も見れぬまま、愛子は俯き両手で顔を覆った。


「ずるい、ずるい……マイマイはずるい。……なんで、そんないい子なこと言うの。……ウチは、そんな風には思えへんのに」

「なんで泣くの!?」


 ぼろぼろと涙が溢れる。悲しいのか虚しいのか分からないが、とにかく辛い。

 愛子にとって、彼女の言葉はまっすぐだった。裏切ったり、囮にしようとしたりして、友人と仲違いなんてしない。そういう人間だと思った。自分とは、違う場所に立っているような、そういう……。

 それだけなのに、何故こんなにも――涙を流すほど苦しい気分になるのか分からないまま、愛子は涙を流した。


「えーっと、私はいい子って言うか、いつもそれっぽいこと言っとるだけやし……。愛子ちゃんも、そんなに自分のこと嫌にならんでもいいと思うよ。そんなこと言うと、ほんまに自分のこと嫌いになってくよ。そういうの愛子ちゃんらしくないし。な? ……ほんまに大丈夫?」


 愛子は涙を拭いながら、こちらを窺う舞夜の顔を見た。必死に宥めようと焦っていた。

 やっぱりいい子だと思う。奇妙なくらいだった。


「じゃあ、ウチっていい子?」

「……その答えは、人によって変わると思いますね。はい」

「マイマイはどう思う? 素直に言って」

「どう考えてもいい子ではない。そこで私に聞く勇気はすごいと思うけど」


 即答だった。何言ってるんだというような顔だった。

 確かに、彼女がこんな目に遭った理由は自分にあるのだから、当然といえば当然だ。覚悟はしていた。それでも多少なりともショックはある。

 うう、と呻きながら項垂れる愛子に何を思ったのか、舞夜はぽつりと「でも、」と呟いた。


「でも、愛子ちゃんは……いい子じゃないけど、悪い子でもないから……別に嫌いじゃないよ」

「好き?」

「すぐ調子に――」

「こんなウチでも、まだ誰かに好きになってもらえる……?」


 ズルくて友達を騙して裏切りさえした――そのままではとてもじゃないが、他人から好かれるとは自分でも思えない。こんな自分でも、誰かに――。

 縋るように服の裾を引くと、舞夜は困ったようにちょっとだけ微笑んだ。


「……その答えも、人によると思うけど。私は好きやよ」


 その言葉に、愛子も涙や化粧でぐちゃぐちゃな顔で笑った。靄のように胸を覆っていた陰鬱さは、いつの間にか消えて無くなっていた。




(愛子ちゃんは素直過ぎるんやろなあ……)


 手渡したハンカチでせっせと顔を拭く愛子を眺めながら、舞夜は疲れを取るためにぼんやりしていた。久しぶりに走ったため足が痛い。帰りたい。休みたい。エアコンのきいた部屋でごろごろしたい。


(『いい子』って言うけど、私も別に、誰も疑ってないわけじゃないし……。なんか申し訳ない……)


 雪成と一緒に行動していたとき、深刻なほど暗い感情に襲われもした。愛子とあまり感情の波自体は変わらない。

 ただ、口や態度に出さないだけだ。そこまで自分の考えに確信も持てないし、相手に失礼であるし、そのことが原因となって喧嘩にでもなったら大変だ。正直、殴り合いにでもなってしまったら、舞夜の身体能力ではどう考えても、誰にも勝てる気がしない。

――つまり、舞夜が愛子の言う『いい子』として振る舞えていたのは、理屈や打算で考えた結果、冷静に動かざるを得なかった、ということの結果に過ぎないのである。


(……あとは、シオンくんのお陰かなー)


 舞夜には、『彼がいるから大丈夫』だという、経験に基づく信頼があった。その分だけ余裕があったのだ。

 今になってそのことを自覚した。……確かに雪成に言われたとおり、彼については確かに分からないことも、知らないことも多いけれど。それでも自分の心は、彼を信じている。それだけだ。


「わー、ごめんマイマイ! ハンカチにマスカラついた……! 新しいの買って返すから!」

「別にいいよー。それより元気出たみたいでよかったよかった」

「うん。あと、その、ありがとう」

「ハンカチなんて別に、」

「そうじゃなくて――色々。ありがとう。あと、ごめん……」


 きょとんとする舞夜に、愛子は早口に「ちゃんと謝ってなかったと思って」と目を逸らした。


「……な、なんか言ってよ」

「ごめん。ちょっとビックリした……」


 えー、と意外そうに声をあげながら、舞夜がまじまじ愛子の顔を眺めると、彼女は勢いよく立ち上がってしまった。


「そ、そろそろ行こ。もう十分休んだやろ? ほら!」

「分かったって。よし、早く皆を探して、帰って休も。うん」


 これからの目的は簡単だ。自分達以外の四人を探し、合流して、そのまま出口を目指して歩けばいい。空間がおかしくなっている気はするが、それについてはまた再会したときにでも改めて、専門家である紫苑に相談すればいい。

 舞夜は自分を鼓舞するように立ち上がった。もう一息だ、と気合を入れたところで。


「――マイマイ」

「ん?」

「その、どっちが出口で、どっちが祠……?」

「……」


 焦るような縋るような愛子の声に、舞夜は黙った。そもそも、木々の間を我武者羅に突っ切ってここまで来たのだから、どちらか、なんていう方向感覚がはっきりしているはずもなく。

 折角立ち上がった二人の間に、気まずい沈黙が落ちた。

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