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悪いこと

 紫苑は地面に落ちた薄手の布をつまみ上げた。破れ、汚れてはいるが、この白い上着は舞夜が着ていたものだろう。


「……」


 彼はその上着だったものを地面に落とし、両手についた砂を叩いて払った。そして無言のまま背後を振り返り、「あっちかな」と呟いた。




「これ、は……」


 息を切らせた雪成は、自分の足元に落ちた白いカーディガンに目を見開いた。……これは、少し前まで行動を共にしていた柊舞夜が着ていたものだ。砂埃で汚れたそれを見下ろしながら、雪成は独り顔を歪めた。


(なんでこんな所に……)


 自分は化物に襲われたこの場所から、出口に向けて走っていたはずなのに――しかし今は困惑よりも、それに勝る感情があった。しばらくの沈黙の後、彼は静かに息を吐いた。そっと腰を屈めて膝を付き、怖々とカーディガンに手を伸ばす――。

 その弱々しい背が、まるで踏みつけるかのように蹴飛ばされた。

 うつ伏せに倒れそうになった雪成の首根っこを引っ掴み、乱暴に引き上げる手。息を詰めた雪成がその手の主を見上げると、


「や、元気? 見たら分かるから答えなくていいよ」

「なんでお前が此処に……ッ!」


 帝釈紫苑。彼は口端を釣り上げ、もがく雪成の首に金属バットを回した。


「なんで? それはこっちが聞きたいなあ。その服の持ち主知らない? 此処で何かあったみたいなんだけどさ――一緒に行動してた人間が知らないはず、ないよねえ?」


 ぐ、とバットに軽く力が込められる。このまま力が入れば、すぐにでも絞め上げられるだろう。雪成は暴れるのを止めた。


「なんとか言えよ。……使えない喉なら要らないんじゃない?」

「ぐっ!  ば、化物が出て! それで……うぐっ」

「うるさいなぁ。もう少し静かに喋ろうか。それで?」

「そ、それで逃げて、喧嘩して……」


 雪成はそこで言い渋ったが、紫苑が手に力を込めようとすると慌てて口を開いた。


「お……俺が、お前を怪しいって言ったら、柊が庇って。『シオンくんは違う』とかなんとか、曖昧なことぬかして……」

「……へー、続けて。手短にね」

「俺は、独りで進もうとして。そしたらまた化物が出てきたから――」


 雪成はまた口籠ったが、紫苑は何もせず、ただ彼が語り出すのを大人しく待っていた。


「出て、きたから。俺は……柊を、化物の方に突き飛ばして。それで……そのまま、出口目指して逃げた。それからあんなに走ったのに、気付いたら、またここに……」


 徐々に声は弱まっていき、雪成は舞夜の着ていたカーディガンを一瞥すると、そのまま気まずげに口を噤んだ。

 紫苑も何も言わなかった。たっぷりとした沈黙のあと、静かに「ふうん」、とだけ呟いて、雪成から身を離した。

 解放された雪成は、力無く地面にへたり込んでいた。ひどく冷や汗をかいていた。半ば茫然としながら顔を上げると、紫苑はもう彼に目も向けていなかった。興味の尽きたような横顔で、何事か考えているようだった。やがて独り言のように、薄い唇が開かれる。


「――なんで此処に来てしまったかだけど、」

「え?」

「出入口と祠をつなぐ道が、ぐっちゃぐちゃになってるからだろうね。時間とか、色々なものがさ。ほら怪談とかでよくあるよね? 変な所に迷い込んで、どれだけ進んでも抜け出せないってやつ――」


 横目でへたり込んだままの雪成を見て、薄く笑う。


「もしかしたら永遠にこのままかもね」


 まるで自分は違うのだとでも言いたげな口ぶりだった。きっと酷い顔をしているだろう雪成に、紫苑はさっさと背を向けてしまう。雪成はそこではっと我に返った。


「まっ……待って! 待ってくれ、頼むから!」


 紫苑は思いの外すぐに足を止めた。冷ややかな漆黒の目が、見下すように雪成を睨む。化物とはまた違う威圧感に、雪成は唾を飲み込んだ。そして腰を抜かしていた姿勢を正すと、深く、深く頭を下げた。


「こんなこと、言えた義理ではない、のは、分かってます。でも、俺も、俺も連れて行ってください……。お願い、します……」

「言えた義理じゃないなら黙ってれば? ……なんて冗談だよ、じょーだん」

「すいません。……本当に、すみません……」

「…………しかたないなー。僕は博愛じゃないけど優しいからね。疑ってた相手に付いてくるだけの面の皮があれば、その厚顔さに免じて許してあげてもいいよ。……本当なら顔面くらいぶん殴ってやりたいところだけど、しかたなく、ね」

「っ! あっ、ありが、」


 ぱっと顔を上げた瞬間、雪成の額にごり、とバットの先端が押し付けられた。


「……代わりに、少しだけ言うことを聞いてもらうよ。君だってこのまま、何もしないまま助けてもらうなんて気が引けるだろう?」


 な、と歯を見せて笑う。逃げ道すら分からない雪成に、まさか拒否権などあるはずもなかった。




 愛子は一人森を彷徨っていた。

 秋太の背後に化物を見て、必死になって逃げ出して。ふと気付けば独りぼっちになっていた。振り返っても誰もいない。秋太は追ってきてくれなかったのだろうか。それとももしや、化物に――。

 すん、と鼻を啜った。汗と涙で化粧は台無しになっていた。足の痛みも悪化している。散々だった。


(……なんで、ウチが、こんな目に)


 悪いことをしたからだろうか。人の好い友人を騙してしまった。後悔はしていないが、こんな目に遭うとさすがに反省の念もよぎる。

 もし舞夜が、自分と同じように化物に遭遇していたら。無理矢理の参加で、おまけに怖い思いもして。愛子だったら絶対に、そんな目に合わせた奴を許さない。

 愛子はどうしようもなく気分が落ち込んでいくのを感じた。心の内面が変にざらついて、色んなことが気がかりだった。……こういう感覚は、自分にしては珍しい、と冷静な判断ができる部分も残っているが、それも陰鬱な気分の底に引きずりこまれていく。


(がんばった、つもりなのに……)


 皆に好きになってもらえるような性格じゃないとは、自分でも理解している。何か秀でた特徴があるわけでもない、普通にズルくて普通にうるさい、ただの女子高生だ。だから色んなことを考えて作戦を練った。服だって髪型だって化粧だって頑張った。可愛くなるために精一杯自分を飾った。舞夜みたいに素がいいわけじゃないから、ちょっとでも可能性を上げるために努力した。好きになってもらいたかった。

 なのに、今では独りぼっちだ。誰も愛子の周りにいない。

 必死で楽しみで怖くて、あんなに幸せだったのに。今はその時の気持ちさえ思い出せない。


――なぜ、こんなことになったのか。


 自業自得、運が悪かった、もしくは、他に何か原因があって、そのせいで……。

 暗い目で考え込む愛子の耳に、ばさばさと、何かを払い落とす音が届いた。

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