終わりよければ全て良し
それから色々なこと――幼馴染がしたことを知った秋太が舞夜に頭を下げたり、雪成が何故か紫苑にひどく怯えたり――があったものの、五人は何事もなく森を抜けた。疲れた体を引きずり進み、待たせていた鈴と合流した。
愛子と雪成と秋太はバスの時刻を気にして、体に鞭打ち急ぎ足で帰っていった。田舎の次のバスをのん気に待てるほど、三人の体力、気力には余裕がなかった。
残ったのは紫苑と舞夜と、近所に住んでいるため、帰宅に公共交通機関を要しない鈴である。
必然的に、鈴に森での経緯を説明する役は、舞夜に任せられた。三人で近場にあったベンチに座り、舞夜があれこれと説明をするなかで、紫苑は彼女の言葉を補足したり、しなかったりした。
鈴は落ち着いた様子で聞いていた。取り乱すことはなかった。最後まで冷静だった。
「……それで最後まで、あの二人は申し訳なさそうに頭を下げてたの?」
「うん。もういいって言ったんやけどね。疑ったのも、しょうがないことやし……」
雪成が、紫苑や舞夜を疑ったのも。愛子が雪成を、秋太が愛子を疑ったのも。悪かったのはあの場であって、彼ら自身のせいではない。
「そんなことがあったのか。ふーん。……ということは、舞夜ちゃんも誰か疑ったとか?」
「まあ、多少……」
「は? 誰それ。僕?」
曖昧に濁すように頷いた舞夜に、真っ先に反応したのは紫苑だった。
舞夜は思わず変な顔をした。
「……そんな顔しなくても冗談だよ。疑ってたら、僕のこと庇ったりしないだろうし。で、誰?」
舞夜は逡巡の後、鈴の目を見てはっきりと口を開いた。
「……鈴ちゃん」
「私?」
自分を指さして目を丸くする鈴に、舞夜は首肯した。
意外にも鈴は怒らなかった。ただ小さく
「そう」
と呟いただけだった。
そんな何とも言えず静かな空気のなか、自分には関係ないと判断したらしい紫苑が、一人躊躇なく口を挟んだ。
「なあ、その話長くなる?」
「……たぶん?」
「僕は外す。依頼人の所に行かないと」
「そっかあ、またね。今日はありが、」
「あんなことがあった後で、独りで帰る気かい、君。……僕が戻ってくるまで、ここで、動かず、待ってること。……いいね?」
詰め寄られた舞夜が大人しく頷くのを見ると、紫苑は満足げに去っていった。依頼人への報告は今日中とのことだ。
「……二人って、そんなに仲良いの?」
「うん。今日でさらに仲良し度があがった! たぶん!」
誇らしげな舞夜に対し、鈴は「ふーん」とどうでもよさそうに呟いて、自分の爪を眺めていた。
「……理由、教えて。私、なんか疑われるようなこと言った?」
「最初の、肝試しの許可をもらったって発言がちょっと……。まず、近所の森の持ち主が誰かを把握してるって所で引っかかったかな」
墓の背景になっているような森である。雪成曰く心霊スポットでもなければ変な噂も立ってない、ただの森。近くに民家もないようだし、誰が持ち主かどうかだなんて、近所の人間が知っているものだろうか。
「まあ、そういうこともある……とは思うけど。でも、シオンくんが仕事で現れたから、おかしいかなって」
普通に考えれば、その土地に出る幽霊・化物の退治を依頼するのは、その土地の所有者だろう。依頼だって無料ではないというのに、そんな大切な日に、ただの近所の高校生に、肝試しの許可なんて出すだろうか。
かくかくしかじか説明する舞夜に、鈴はふーん、と呟く。
「で。それで怪しいから、私が何か企んだって?」
「企んではない、と思う。もしかしたら――」
舞夜はそこで言いあぐねるように黙り込んだ。
「……もしかしたら、鈴ちゃんは、そういう事情――化物退治があることも把握してた可能性があるな、と。根拠はほとんど勘やけど」
「勘って?」
「鈴ちゃん、なんか冷静過ぎて……。最初から――シオンくんが、肝試しに参加したいって言い出したときから最後まで、というか今まで」
紫苑の突然の参加にも動じず、一番に賛成したこと。ペアになった時も文句なく受け入れていたこと。
そして、これは後で聞いたことだが。
舞夜と雪成、愛子と秋太のペアとは異なり、紫苑と鈴のペアの間には、なんの諍いも起こらなかった。当然だ。襲ってきた化物を、紫苑がさっさと退治してしまったのだから。そして鈴はその時にも、大した動揺も見せなかったという。
以上の説明の後。鈴はそれを飲み込むように黙り。小さく首を傾げた。
「それで全部? それだけで?」
「それだけでも色々考えてしまう状態やったからね。疑心暗鬼というか、なんでもこじつけて、悪い妄想ばっか膨らむ感じ……?」
などと苦笑しつつ言う割には、舞夜の表情からは余裕が見て取れる。
「勘、なんて言った割には、自信ありそうに見えるけど。私が色々企んだ、悪い奴やったらどうすんの?」
「それはない自信がある! ……というか、今できたというか。シオンくんが席を外したやろ? つまり、私一人でも大丈夫。鈴ちゃんは安全って確信しての行動……の、はず……。慎重な人やし。うん……」
話しながら、舞夜ははたと気付いてしまったことに焦った。
――今、彼が、自分を囮として置いていったのだとしたら?
目の前の相手が本性を露わにするように、わざと置いていった可能性もある。逃げる雪成にそうされたように、一人で、囮として――。
舞夜は恐る恐る窺うように、鈴の顔を見つめた。彼女はしばらく思わせぶりに黙っていたが、やがて大きな溜息を吐いた。
「はー……驚いた。賢いんやね。なんも考えてませんって感じやのに……」
「最後の一言いる?」
唇を尖らせる舞夜に、鈴は肩の力を抜いて笑った。頬の緩んだ、少し疲れのにじむような笑みである。
今日はじめて見た柔らかな表情だった。舞夜も張っていた気を緩めた。
「まあいっか。別に隠すようなことでもないし」
そして背後を振り返る。つい先程まで肝試しの舞台となっていた森は、遠く夕日の逆光で、黒々とした大きな影となっている。
「この森、おじいちゃんの土地」
「へえ……え!? ってことは祠を一つにまとめたのも……」
「それもおじいちゃん。どっちも古くて、崩れかけてて。折角やし、貯めたお金で一気に直すかーって思ったらしいよ。ちょっと豪快というか、大雑把な人で……。悪気はなかったけど、まあ結果ああいう感じになって……」
と、鈴は困ったように笑う。
つまり、帝釈家に除霊を依頼したのも、土地の持ち主である鈴の祖父だった。
鈴も以前から話は聞いていた。曰く、以前から二つあった祠を、一つにまとめたこと。「死ぬ前にいいことが出来た」と、祖父はにこにこ笑っていた。
しかし後日状況は一変する。祖父が掃除に向かったら、その真新しい祠の扉が開いていて、中が空っぽになっていた。不気味な空気、おどろおどろしい女の声に慌てて逃げ出し、すぐに対応してくれる専門家を探し、依頼を取り付けた。助かったことに、すぐ対応してくれると言う。これで一安心だ――。
以上、後になって祖父から、一連の流れを聞いた鈴の反応はというと。
(うっさんくさ……)
当然信じなかった。
騙されている、絶対詐欺だと思ったし、そのことをかなり強い口調で伝えたが、祖父は頑なだった。普段は鈴に甘い祖父だけに、彼女はどうにも納得できなかった。
愛子から肝試しに誘われたのはそんなときだった。普段なら断っている。しかし今回は、そんなものを信じてオロオロしている祖父に反発したい気持ちもあった。子どもじみた癇癪だった。
だからこの場所を雪成に提案した。その日、除霊のため人が来ると知って伝えたのだ。
現れたのが、同い年くらいの少年だったのには、さすがに少々驚いたが……。
「祠の掃除って言うから、まあこの人かなって。一緒に来るって言い出したときも驚いたけど……そっちの方が監視とかできて、私には都合がよかったし」
「なるほどなー」
紫苑と鈴、二人の接点がそこでようやく理解できた。
「満足?」
「うん。聞けたいこと聞けたし、すっきりした。急にごめん、ありがとう! よかったよかった」
「……もう終わり?」
「え? うん」
小さく頷いた舞夜に、鈴は少々躊躇う素振りをみせたが、すぐに口を開いた。
「まあつまり、そもそものきっかけというか、全部の原因は私で、それを隠してたってことになるんやけど――」
「そういうのは……もういいです……」
舞夜はうんざりと頭を振った。
全ての事態が分かった今、緊張が解けると同時に体の力も抜け、張り詰めていた気も抜けていった。相手を攻めたり疑ったり、そういうことに関するエネルギーが抜けていくかのようだった。そういったこと自体から、今だけは距離を置きたかった。
声もなく目を丸くしていた鈴だったが、やがて彼女のスマホから着信音が鳴り出すと、舞夜に断ってから立ち上がり、通話をはじめた。
「あ、藤井くん? うん分かった、もう帰るから。……うん。今日はありがとう。また明日ね」
通話はそれだけで切れた。ささやかな会話だということは、舞夜にもすぐ分かったのだが。
「…………藤井くんって、」
「うん、藤井秋太くん。二人で行動したときに、ちょっとね。……別に藤井くんはまだ誰のものでもないし、これから私と愛子ちゃんの勝負になるってだけやろ?」
まあ確かに言う通りだが、と戸惑う舞夜に、鈴は「じゃ、私もう行くから」と言い残して、さらりと去っていってしまった。
一人残された舞夜は、ベンチに深く腰掛けたまま、ぐったりと空を仰いだ。夕日に照らされ、鮮やかな金や橙で染まった雲が、流れることなくのんびりとその場に留まっている。その光景がやけに綺麗に映った。
長い一日だった。怒涛のように過ぎていった。
花火かと思って楽しみに来たら肝試しで騙されて、友達くらいできるかと気を取り直せば裏切られ。さらに化物には襲われ、上着は紛失、おまけに遭難。そもそものきっかけとなった「秋太と仲良くなる」という愛子の狙いはあまりうまくいかず(前向きにはなっていたが)、それどころか、ライバルが現れる始末……。
自分はほんと、何のためにこんな所に来たのか。独りで考えれば考えるほど虚しくなる。
「はー……」
「なに溜息ついてんの」
「……シオンくん」
顔を上げると、訝しげに見下ろす目と視線があった。何やらスーパーのレジ等でもらえるポリ袋を手にしている。
「おかえりー。早かったね」
「軽い報告だけだからね。詳細はまた後日……、なに? その顔」
「さっきは疑ってごめん……」
「人の顔見て急に死んだような顔すんの止めてくれない」
失礼だと不服気な紫苑に、舞夜は経緯を説明、というより白状した。
つまり、貴方に囮にされたかと思いました、と。
「……別にいいよ。僕は優しいからね。素直に謝ったし、今日なんか全体的に哀れだし? しかたないから許してあげよう。感謝してくれてもいいよ」
「ありがとうございます!」
「というかそんな馬鹿正直に言わなくても、黙っとけばよかったのに」
「今日一日、なんかいろいろ疲れたから……」
理由になっていないように聞こえるが、舞夜のここまでの事を振り返ってみると、だいたいの意味は紫苑にも伝わった。彼は「ああそう」と呟いた。
(あと、愛子ちゃんが、素直やったから……)
なんとなく浮かんだ、もう一つの理由は言わなかった。良いも悪いも卒直な彼女のことを思い出していた。色々と強烈だったため影響を受けたのだろうか。彼女なら言ってしまう気がしたのだ。それが『良いこと』なのか、『悪いこと』なのかはともかく。
(……そっかー)
散々な目にはあったけれど。振り返って自分の内側を探ってみれば、なんとなく、得たものもあったらしい。
そうしてぼんやり考え込む舞夜の横。紫苑も紫苑で、彼女に伝えていないことがあった。言う必要もないことだった。
囮という手は、確かに悪くない。
(……もし依頼人から、大事な孫娘のクソ長話を聞かされてなかったら、そうしてただろうけどね)
依頼人――風野鈴の祖父は心底人の良さげな顔をした、朗らかな老人だった。紫苑にやたらと菓子を食べさせようとしたり、持たせようとしたりするくらいにはのん気だった。紫苑が孫と同じくらいの齢だからと、個人情報もあったものじゃなく、『鈴』という名前まで伝えられていた。
その情報があったため何もしなかったが、もし、あの長ったらしい孫自慢話がなければ。変に冷静にこちらを見てくる鈴に対して、何らかの手段を講じていたに違いない。
そんなことを考えていると、舞夜から視線が注がれていることに気付いた。
「……なに。まだなんかある?」
「…………シオンくんとも仲良くなれたから、いっかー」
疲れのにじむ顔から力を抜いて笑う。
紫苑はふにゃっと笑う彼女の顔面に、持っていたポリ袋を押し付けた。
「んぷっ、なにこれ」
「あげる。依頼人からおまけで貰ったんだ。開けてみたら?」
言われるがまま素直に袋を開いた舞夜はその中を覗き込み、はっと目を輝かせ、キラキラと紫苑の顔を見つめた。
紫苑は口元を緩ませる。
「する?」
「うん! わー、やったー」
はしゃいで掲げられた袋。そのなかには、煎餅やアラレの袋に混ざって、大きな手持ち花火の袋が入っていた。
完結しました!
この短い話にお気に入り、ポイント下さった方ありがとうございます。
詳しい後書きはまた活動報告に。ありがとうございました!




