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タチが悪い

 雪成は這々の体で生きていた。舞夜から引き離すように化物に石をぶつけ、それを惹きつけてからずっと――紫苑と舞夜の二人がのん気にあれこれ喋っている間も、絶えず走り続けていたので、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。

 重たい身を引きずるような音が、背後から延々と追ってくる。妙な質感を持った非現実的な音は、もしかしたら獲物を追いつめ、精神的にいたぶるのを愉しんでいるのかもしれない。息切れのなかそんなことを考えた瞬間だった。

 喉を引き絞るような悲鳴が聞こえた。人間の声に、甲高い金属音を混ぜたような音だった。

 雪成が振り返ると、黒っぽい背中が見えた。帝釈紫苑だろう。バットを手にしているからすぐに分かる。

 彼の前には、丸太のような胴回りの生物がその身を折り重ねていた。単純に殴られただけで、そんな風に大人しく縮こまるだろうかと雪成は思った。

 白色の蛇――だったと思う。ただ胴体から、暗闇に浮かぶほど白い手が伸びていたこと、頭部には恐らく人間の顔がついていたことは覚えている。ただしどちらも確実かと聞かれれば言い淀んでしまう。手は見間違い、頭は猿だったかもしれない。

 曖昧なのは、雪成がその場でぶっ倒れてしまったからだった。

 どこからか舞夜の悲鳴が聞こえた気がした。




 失神してしまった雪成の横では、舞夜が半泣きで焦っていた。紫苑が気絶しただけだと伝えると、安心したように息を吐いた。


「よかったー。突然の死かと……」

「ほっといたら起きてくるよ。というか君は酷い目に遭わされたんだからさ、こんな奴の心配しなくてもいいだろ?」

「…………なんか知ってるんですか……」


 紫苑が、舞夜と雪成の間に起こったこと――具体的には、雪成が舞夜を、化物の前に放り出して逃走したこと――を知っていること、そしてそれが、雪成本人が白状したことだ、ということを伝えると、舞夜は困ったような顔をした。変に冷静だが、少し寂しげな顔だった。紫苑に対してどう答えるべきか、考えあぐねているようだった。


「……しっかたないなー」

「ん?」

「別に、そいつが全て悪いわけじゃないよ。ほら、さっき話しただろ。君を襲った女の姿の化物。あいつが元々の原因だ」


 紫苑はかくかくしかじか、雪成にもしたような説明を舞夜にも大分丁寧にしてやる。

 しばらくぽかんと紫苑の話を聞いていた舞夜だが、その全てを理解すると、急に元気を取り戻した。


「そ、そっか! そっかー、そうなんやー」


 事実を噛み締めるように笑っている。紫苑もつられて少し笑った。


「そうそう。じゃ、さっさと帰ろうか」

「上村くんはどうしよ?」


 舞夜が揺さぶるっても、雪成が起きる気配は全くなかった。


「置いてこうぜ、邪魔だし!」


 死にはしない、と言う紫苑の提案は当然のように却下された。引きずって帰るという渋々の妥協案も却下された。

 舞夜が抱えていくという案は紫苑が却下した。その貧弱な細腕では持ち上げることさえ不可能だろうに、何故そんな無理を言うのか、そもそも君はそういう無茶なところが……と、長い説教にまでなった。

 結局、雪成が目覚めるまで、大人しく待つことにした。


「あの蛇……? はどうすんの?」

「アテがあるから大丈夫」

「そーなんや」


 よく分かっていない舞夜をよそに、紫苑は背後に目をくれる。以前、この森で殺された女がいる。己を殺した化物が虫の息であるのを、口の裂けるほどの笑みで見つめている。

 紫苑が言うまでもなく気の済むまで――跡形もなく、片付けてくれることだろう。『望むままにあの化物を甚振らせてやる』のが、紫苑が持ち出した条件だった。そして終わったら、女も心置きなくこの世から消える。

 いい取引だ。


「うん、僕も楽できていいや」

「? よかったねえ」




 舞夜が紫苑と、とりとめのないことを喋っている間に、白蛇の化物は消え去っていた。紫苑に尋ねれば、もう終わった、とのことだった。深くは踏み込まないことにした。

 そして目を覚ました雪成が状況を把握してから真っ先にしたことはというと、


「……ごめん!!」


 舞夜が口を開くよりも先に、勢いよく頭を下げることだった。


「謝って済むことじゃないけど、俺、本当に……」

「……上村くんのせいじゃないし、いいよ」

「でも、俺は……」


 思いつめたような暗い顔だった。確かに彼のしでかしたことは、とんでもないことだったかもしれない。しかし、原因は彼にはない――どころか、寧ろこんな目に遭わされた被害者だ。ある意味、置いていかれただけの舞夜よりも、自らあんなことをしてしまった彼の方が、酷いトラウマになっているのかもしれない。

 今にも倒れそうな顔色で俯いて、自分が彼だったらどれほど居た堪れないだろうと思うと、舞夜は消沈した様子の雪成が心底哀れに思えた。


「えーと……」


 と、舞夜は頬を掻いてから、明るく笑ってみせた。


「じゃあお詫びになんか貰おっかなー。愛子ちゃんからも貰う予定やから、二人でなんかいい感じのものを……うぎゃっ」

「マイマイ!! 無事!?」


 愛子に背中から勢いよく飛びつかれ、舞夜は悲鳴をあげた。そのまま倒れ込みそうにもなったが、雪成が正面から支えてくれたため助かった。彼に礼を言う余裕もなく、咳き込む舞夜に抱きついたまま、愛子は歓喜の声をあげた。


「もーっマイマイ無事やったー! よかったー!!」

「あ、愛子ちゃ、」


 いや今ちょうど無事じゃなくなった、と、愛子の肩を押そうと手を伸ばしたところで。

 その手を、愛子に強く掴まれた。ぎょっとして見れば、彼女の眉間にはシワが寄り、釣り上がった目は怒りに燃え上がっている。


「なんであんなことすんの!? いい子やけど、どう考えても悪いことやろ!?」


 何の話だ。舞夜はビックリして雪成を伺ったが、彼も分からないという表情をしている。愛子の背後から現れた秋太は、思い切りこちらから目を逸らしている。

 などと余所見していたせいで、舞夜は勢いよく愛子に肩を揺さぶられた。疲れたのもあってか、やたらと目が回り気持ち悪い。


「勝手に危険なことして! いい事やけど、そう、あのっあれ……タチが悪い! マイマイはタチが悪い! そういうとこ注意した方がいいと思う!」

「な、なんか分からんけど心配かけてごめん……。でも何の話?」

「自分のこと囮にしたやろ!? ウチ心配したんやからな!!」


 それは愛子の勘違いで、そうなる可能性が高いかもしれないといった程度で、どちらにせよ、あれがあの場では舞夜が思いついた最善で――。

 と、いうことを舞夜が端的に説明すると、愛子は深く溜息を吐いた。


「そーゆーとこが、タチが悪いんやってば……」

「めっちゃタチが悪いって言うやん……。いい子で有名な舞夜ちゃんなんやけどな」

「いい子ではないわ。悪い子でもないけど」

「うう……」

「……というか、いい子とか悪い子とかどうでも良くなってきた」


 あっけらかんとした愛子に、舞夜は内心目を丸くした。少し前に会ったときには、やたらとそれに拘りを持って鬱々としていたというのに。


「つまり?」

「つまり……なんか、変にどっちかって決め付けて考えるんじゃなくて。……その時その時の自分の気持ちというか、言動とか行動次第なのかなーと……」


 ふと浮かんだ愛子の視線の先には、雪成と何やら話し込んでいる秋太の姿があった。その彼女の目の穏やかさに、舞夜は「なるほど」と頷いた。そしてそのままうっとりしている愛子に秋太が気付いたのを見て、彼女から静かに距離を取った。さすがにこの空気の邪魔をする気はない。




「自業自得だろ」


 愛子に叱られたことを告げると紫苑にすげなく一蹴され、舞夜は項垂れた。


「ほら、マイってクソみたいなとこあるじゃん」

「周知の事実みたいに言うの止めてください」

「なんだよ自分を囮にするって……。お陰で僕はこの暑いなか走る羽目になったんだけど?」

「すいませんでした……」


 愛子に散々言われた後なのでさすがに反省した。

 落ち込んだ様子の舞夜を一瞥すると、紫苑はいくらか気を紛らわせるように視線を斜めにやった。溜息混じりのなか、小さく口を開いた。


「…………心配したよ」

「何を? ……あっ私か! ごめんびっくりして……ありがとう!」

「黙れよ」

「ごめんて。だってシオンくんがそんなこと言うなんて思わなくてですね……。ほんま謝るのでその顔やめてください……」

「そっちがその顔やめたらな」


 吐き捨てるような声に、舞夜は自分の緩みきった両頬を抑えた。抑えて、結局堪えきれず、喜びのまま顔をほころばせた。


「だってさー、……だってさー! シオンくんがさー!」

「黙れ」

「まだなんも言ってない……」


 口よりも遥かに雄弁な舞夜の表情に、紫苑はぎりぎりと奥歯を噛み締めている。舞夜はそれを恐れて表情を引き締める努力はするものの、結局込み上げてくる笑みを抑えられなかった。


「わー、友情とか仲の良さとかを感じる……」

「そういうことじゃなくて! 僕は、君が、自分が襲われる可能性が高いと知って、一人で行動したことについて話してるんだけど!」

「それは本当に反省してます……」

「なんでそういうことするかなあ。偽善? 度の過ぎたお人好し? それとも何か普通の人間には分からない理由があったとか?」

「理由っていうか……」


 舞夜は照れ臭そうにはにかむ。


「だってシオンくん、私のことなら助けに来てくれると思って……」


 だから化物には愛子よりも自分が襲われた方がマシかな、と思った、というようなことを舞夜は説明するが、紫苑は途中からもう聞いていなかった。

 ただ盛大に顔を顰めて、胸の中で混迷しこんがらかった複雑な感情を吐き出した。


「タチが悪い!!」

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