料理人は途方に暮れる
「さて、どうしたものか」
男は悩んでいた。
彼はこの地で長きにわたって食堂を経営しており、彼自身も腕の良いコックである。
ある『大虐殺』をきっかけに、各国の交流は衰退していったが、それでも交通の要衝であるこの地では、食材に事欠くことはなく、行きかう人々も各地の名産品を見事に組み合わせた、この食堂の料理を楽しみにしている。
ところが最近になって問題が一つ発生した。
彼が契約していた老魔術師が天寿を全うしてしまったのだ。
契約とは「食物庫への定期的な『保存魔法』の付与」である。
実は大虐殺の後に最も深刻となったのが『魔術師の不足』である。
歩行雑草族が姿を消してしまってから、魔術師は彼らとの同居による豊富な魔素の供給を甘受することができなくなってしまったのだ。
さらにはウォーキングウィードから得られる『魔晶珠』も、大虐殺後からは新たに入手することが不可能となってしまう。
その結果、これまでの魔道具たる価値よりも、希少品としての価値が跳ね上がったそれらは、目が飛び出すような高値で売買され、宝物庫に眠ってしまうことになる。
なので魔術師は一部の裕福な者を除き、魔法を行使するには自らの体内に蓄えられた魔素を使用するしかなくなってしまった。
これはつまり高位の魔法をホイホイ使えなくなってしまったことを意味する。
また、それまでは魔晶珠の魔力を使い、弟子に指導を行っていた。
魔術師自身が持つ魔力は、魔法の使用回数や魔法の難易度により増加していくので、素人のうちは魔晶珠の魔力を利用して成長にブーストをかけるのが常識だったのだ。
ところが魔晶珠がないと、弟子の魔力がゆっくりと増加するのを待つしかなくなってしまう。
これは師から見たら効率が悪いことこの上ないし、弟子にとってもいつになったら一人前になれるのか先の見えない修行となってしまう。
こうした流れから、魔術の師も弟子も慢性的に不足するようになり、今度は魔術師そのものが裕福な者たちに高報酬で召し抱えられてしまうことになってしまったのだ。
これまで彼が契約していた老魔術師は、こうした流れが気に入らなかったのか、孤高を貫いており、彼がこしらえる料理を非常に気に入ってくれてもいたので、一日三食の食事と引き換えに、定期的に保存魔法を彼の食物庫に施してくれていたのである。
最後の保存魔法から既に30日が経過しており、魔法効果はいつ切れてもおかしくない。
「まいった……」
そうつぶやきながら食物庫から出てきた男の前に、淡く光る光の扉が現れたのである。
吸い込まれるように扉をくぐった男の前には、見慣れない風景が広がっている。
豊富な緑に包まれている場所もあれば、石ともレンガともつかない建物らしきものも見える。
「どこだここは?」
すると彼の耳に言い争うような声が飛び込んできた。
声質から察するに、女性と少年と少女というところか。
男は声のする方に近づくと、窓らしきところから建物の中を覗き込んでみる。
「なにをやっているんだ?」
そこでは美しい女性と可愛らしい娘、そして黒い毛玉が、小さな金属らしき容器を目の前に置きながら言い争いをしていたのである。
「やっぱり『ツナ』は油漬けが最高だな!」
「そんなことないよ。『水煮』の方がさっぱりしていておいしいよ!」
「おこちゃま舌もケダモノも黙りなさい。ここは『野菜スープ入りの油控えめタイプ』に決まっているでしょ!」
「なにやつ!」
不意に女性が窓の方を向いた。
同時に娘と毛玉の視線も男に集まる。
「すまん。ついのぞき込んでしまった。ところでここはどこなのだろうか?」
そう頭を下げる男に女性が手招きをする。
「もしやあらたな管理人か? ちょうどよい。あなたもこれらを食べ比べてはくれないか?」
男は腕組みをしながらうなっている。
その横ではナハルッド、プドルフ、シルベールの三人が、腕組みをしている男の腕の数を数えながら、首をひねっている。
「もしかしておじさんって『蜘蛛腕族』?」
何かを思い出したようなシルベールの問いに、男は表情を緩め頷いた。
「ああそうだ。あ、これは失礼した。私はハンデルという」
男の腕組みは三組。つまり腕が六本生えていたのである。
シルベールとハンデルのやりとりに、少なくともこのおっさんは魔物の類ではないと納得したナハルッドとプドルフも続けて自己紹介をしていった。
「で、ハンデルさん。やはりツナは油漬けに限るよな?」
「そんなことないよね。水煮がやっぱりナチュラルだよね?」
「いいとこどりの油控えめが一番よね?」
うーん。
ハンデルは再び腕を組みなおす。
ハンデルにとって、目の前の魚らしき肉の味は、実はたいしたことはない。
油漬けは既に味が決まっているので、そのままもしくは他の食材と和えるのが良いだろう。
水煮は逆に魚の基本的な味しかしないので、食材として使用すべき。
油控えめはあわせもつ野菜の味も生かしてひと手間加えた料理を作れば生きるだろう。
「だと思うが、どうだ?」
ハンデルの優等生的な答えに、どうやら三人とも納得していない様子。
するとそこに貴意が買い物から帰ってきた。
「またお前らツナで言い合いをしてたのか。 いい加減にしねえとまた飯抜きにするぞ。 って、このおっさんはなんだ?」
ハンデルを紹介され、この家の主人だとナハルッドから紹介された貴意は、目の前に座っている六本腕のおっさんに『ゾーン』と『キーマン』の説明をしてやる。
「なるほど」
どうやらおっさんも納得したようだ。
「で、何か困りごとがあるんだろ。よかったら言ってみな」
うーん。
話してみるべきなのだろうか。
ハンデルは考え込んでしまう。
さすがに赤の他人に食物庫の状況を正直に説明するのはリスクがある。
下手に世間に広がってしまうと信用問題になるだろう。
なのでハンデルは話を半分だけしてみることにした。
「実は食材の保存について考えていてね」
今度は四人が考える番。
「さすがに冷蔵庫を向こうに持っていくわけにはいかねえしな」
貴意がそう漏らすと、ナハルッドが自慢げに答えた。
「向こうの世界ならばプリザーベイションを施せばいいのではないか?」
そんなことはわかっている。
しかし誰が保存魔法を施すというのか。
そんなハンデルのいらだちに向けて意外な答えが返ってきた。
「なら私が施してあげよっか?」
え?
「その代わり、ツナ三種を使った料理をご馳走してよ。はーさんは料理人なんでしょ? 絶対に油控えめでこしらえたのがおいしいに決まっているんだから!」
どうやらおっさんにはちゃん付けではなくさん付けらしい。
「まさか君は魔術師なのか?」
「そうよ。文句ある?」
ということで、いつものように一行は異世界への鳥居をくぐったのである。